<21.宣戦布告>
「いきなり俺を狙わなかったのは、プロのメンツかもしれんな」
芭皇は視線を落とし、つぶやいた。
その足元には、ビール瓶の破片が散乱している。
芭皇が瓶を叩き付けたわけでもないし、誤って落としたわけでもない。
手に持っていたビール瓶が、急に砕け散ったのである。
だが、芭皇には、それが狙撃によって生じた破裂だと分かっていた。
そこは極楽園である。
他のホームレスも芭皇の周りに集まり、緊張した面持ちで地面を見つめている。
「芭皇さん、プロのメンツって、何のことですか?」
西崎が聞く。
するとキンドが、
「メンツ?それって生理のこと?」
と、とぼけた顔で聞いた。
「バカ、それはメンスよ」
珠子が即座に訂正する。
緊迫していた場の空気が、そのやり取りでフッと和んだ。
「おいおいキンド、勘弁してくれよ。そんな間の抜けたボケが似合うような状況じゃないんだからさ」
池内は注意するような言葉を発したが、顔は穏やかである。
「ボケじゃないよ。真面目だよ」
「メンスって、そんなことばっかり考えてるのか、お前は」
「そうじゃないよ。心外だな」
キンドは、真剣な顔で否定した。
「そんなことより、今起きた問題について考えましょうよ」
竹下が眼鏡のフレームを触りながら、池内とキンドの会話を遮った。
「状況を整理しましょう。まず、我々が風呂の近くで話し込んでいた」
「ええ」
珠子が相槌を打ち、近くにある大きなドラム缶をチラッと見る。それが極楽園の風呂なのだ。ドラム缶風呂の湯は、竹下が作ったソーラーシステムを利用して沸かしている。
「そこへ芭皇さんがやって来た。一歩前に出た西崎さんが、転がっていたビール瓶につまづきそうになった。それを見た芭皇さんが、ビール瓶を拾い上げた」
「その通り」
西崎がうなずく。
「そう言えば、誰よ、あんな所にビール瓶を捨てたのは」
「捨てたんじゃない。置いてあったんだ」
池内が、珠子の言葉を訂正した。
「どう考えても捨ててある状態でしょ、あれは」
「違う、あれは置いてあったんだよ」
「ちょっと、つまらないことで言い争わないでくださいよ」
竹下が夫婦を諌めた。
「ケンカがしたければ、後で自分達のテントに戻ってやって下さい。それで、芭皇さんは拾い上げたビール瓶を、邪魔にならない場所に移動させようとした。その時、手に持っていたビール瓶が急に破裂した」
「いや、説明は分かったが」
池内が早口で言う。
「だから何なんだ?なぜビール瓶がいきなり爆発したのか、それは分からないだろ?」
「一応、確認しただけですよ」
竹下は痛い所を突かれて、すねたように言った。
「超能力だよ、きっと」
キンドは、自信たっぷりで口にする。
「誰かが遠くから、サイコキネシスを使ったんだよ」
「原因は分からないけど、超能力じゃないってことだけは確実に言えるわね」
珠子は、突き放すように言った。
「どうして?」
「どうしてって、あのねキンド、超能力なんて、そんなの世の中には存在しないのよ」
「存在するよ、絶対に」
キンドは激しい口調で抗議した。
「あんたは変なコスプレ衣装ばかり着てるから、脳味噌がどんどんおかしくなってきてるんじゃないの」
「セーラームーンを侮辱すると、いくら珠子さんでも許さないよ」
「バカにはしてないわよ」
「その態度は、完璧にバカにしている。失礼千万だよ」
「キンド、まだコスプレ衣装を探しているのか」
西崎は話を反らす目的で、そう尋ねた。
「もちろん、そうだよ」
「残念だけど、もう見つからないと思うよ。新しいのを買ったらどうだ?もちろんキンドが持っていたのは手作りだから、思い入れはあるだろうが」
「ちょっと、その新しい衣装を買うお金、どこから出るの?まさか、あたし達の生活費から出すつもりじゃないでしょうね」
珠子は、抗議を込めて聞いた。
「しかし今のままでは、キンドがかわいそうじゃないか」
「別に、かわいそうじゃないわよ」
「珠子さん、冷たい。冷酷無比な人だ」
キンドが泣き真似をする。
「ちょっと、あたしのどこが冷たいのよ。くだらないことに大事なお金を使わせたくないのは、誰でも同じよ」
「くだらなくないよ、セーラームーンは」
「あの、話がどんどん脱線してるんですけど、元に戻しませんか」
竹下が困った表情で口を挟む。
彼らが会話を交わしている間、芭皇はずっと無言だった。
そして彼は、極楽園の周囲を、遠くの風景を見回していた。
「芭皇さん、何を見ているんです?」
それに気付いた池内が、質問した。
「いったい、どこから狙ったのかと思ってな」
芭皇は、視線を巡らせながら答えた。
「何のことです?」
「そういえば芭皇さんはさっきも、狙うとか狙わなかったとか、そんなことを言ってましたよね」
竹下が思い出し、そう口にする。
「それは、どういう意味ですか」
「ビール瓶が破裂したのは、もちろん超能力なんかじゃない」
芭皇は静かに言う。
「誰かが、遠くからライフルで狙撃したんだ。俺が見回していたのは、どこから狙ったのかを探していたんだ」
「狙撃?まさか、そんな」
珠子は、本気にしなかった。
「信じるかどうかは、自由だ。ただ、俺は事実を述べただけだ」
「……本当なの?」
「ああ。その辺りを探せば、きっと銃弾が見つかるだろう」
「危険だよ、すぐに伏せないと」
キンドが、慌てて地面に腹這いになった。
「みんなも早く伏せて。撃たれるよ」
「大丈夫だ、キンド。もう撃って来ないよ」
芭皇が穏やかに告げる。
「そのつもりなら、我々が話している間に、もっと銃撃があるはずだ」
「そうなの?本当に大丈夫?」
キンドが怯えながら、芭皇を見上げた。
「ああ、信じろ」
「じゃあ、信じるよ」
キンドはすぐに立ち上がった。
「でも、なぜです?」
竹下が口を開いた。
「狙撃される理由なんて、我々には思い当たりませんが」
「けっ、理由なんて要らないだろ」
池内が、吐き捨てるように言った。
「ホームレスを嫌ってる連中なんて、山ほどいるんだぜ。西崎さんだって、意味も無く襲われたじゃないか。誰かが殺そうと考えたって、不思議は無い」
「しかし、銃を使うというのは尋常ではありません。それに撃つとしても、近くまで来て狙うと思いますが」
西崎が疑問を呈した。
「遠くから狙撃するというのは、その辺りのチンピラがやることとは思えません」
「じゃあ、どう思うんだ?」
「いや、それは」
「みんなが狙われているわけじゃない」
芭皇は、淡々と告げた。
「狙撃した奴の目的は、ホームレスの殺害ではない。奴の目的は、俺を殺すことだ」
「芭皇さんを殺す?なぜです?」
「狙われる理由でもあるんですか?」
「タチの悪い女にでも捕まったとか?」
みんなが、口々に言葉を発する。
「俺を殺したいぐらい、大好きな奴がいるってことさ」
芭皇は軽く笑いながら、そんなことを言う。
「ちょっと、はぐらかさないでよ」
珠子が本気で怒った。
「あんた、命を狙われてるんでしょ。そんな冗談、言ってる場合じゃないわ」
「冗談じゃないさ。俺は事実を述べただけだ」
「待ってくださいよ。芭皇さんを狙っているのなら、どうして、もう銃撃して来ないんですか?だって、芭皇さんには命中しなかったわけですから、まだ目的は達成していないはずです」
竹下が、率直な疑問をぶつけた。
「今回の狙撃は、俺を殺すためのものではないからさ」
「芭皇さん、言ってることの意味がサッパリ分からないんですけど」
「相手は、俺に知らせたかっただけさ。命を狙っていることをな。だから、今回は挨拶だけだ。殺す気なら、最初の銃撃で俺を撃ち抜いているだろう」
「命を狙ったのに、外れただけでは?」
「いや、違うな」
芭皇は、キッパリと否定した。
「狙撃した奴は、自分の存在を知らせたかったのさ」
そう言って芭皇は左を向き、川を隔てた遠くの方へと視線を向けた。
その方向には、外壁の塗装が剥げた8階建ての廃ビルがある。
芭皇はビルの屋上を見て、ニヤリと笑った。
「芭皇さん、何を見て笑ってるんですか?」
西崎が不思議そうな表情を浮かべた。
「いや、ちょっとな」
そう言って、芭皇は仲間の方に向き直った。
「みんな、悪いが、俺はしばらく極楽園を離れることにする」
「離れるって、旅行にでも行くの?」
キンドが尋ねた。
「そうじゃなくて」
竹下が、すぐに言った。
「きっと芭皇さんは命を狙われているから、身を隠すつもりなんですよ」
「そうか、ここにいたら色んな所から狙われ放題だもんね」
「見晴らしがいいもんな、ここは」
珠子と池内が、続けて言った。
「いや、俺は身を隠すために、ここを離れるわけじゃない」
芭皇は首を振り、彼らの考えを否定した。
「だったら、何のために?」
「例え身を隠したとしても、たぶん奴はどこまでも追って来るだろう。だから、俺は奴と勝負する。そのために、場所を変えるんだ。ここで奴に狙われるのを待っていたら、勝ち目は無いからな」
「芭皇さん、狙った人物の正体が分かってるんですか?」
「ああ」
芭皇は短く返答し、さっきと同じ方向をもう一度見た。
そして廃ビルの屋上に向かって、軽く手を振った。
*
レミントンM700を傍らに置き、廃ビルの屋上で望遠鏡を覗き込んでいたカウント乃木は、思わずギクッとした。
慌てて姿勢を低くした。
芭皇がこちらに向かって、手を振ったからだ。
その時、目が合ったような気がしたからだ。
(……まさか、オレに気付いたのか?)
乃木は考え込んだ。
(……いや、そんなはずがない。あそこからの距離を考えれば、オレを見つけることなど絶対に無理だ)
乃木は、心の中で自分に言い聞かせた。
芭皇が口にした通り、乃木は狙撃に失敗したわけではない。ビール瓶を狙って銃弾を発射したのだ。
廃ビルから極楽園までの距離は、約600メートル。
この距離なら、絶対に狙いを外さないという自信がある。
最初はドラム缶を撃つつもりだったが、たまたま芭皇がビール瓶を拾い上げたため、そちらを狙ったのだ。
不意討ちにするのではなく、自分が命を狙っていることを相手に分からせて、それから勝負を仕掛ける。
その上で芭皇を倒してこそ、本当の意味でナンバーワンになれる。
それが、乃木の考えだった。
ビール瓶を破裂させた後、乃木は望遠鏡を覗き、相手の反応を確かめようとした。
芭皇が特にこれといった反応も示さず、平然とした態度だったことに、乃木はやや苛立ちを覚えた。
もちろん相手は元殺し屋なので、それほど激しく怖がったりしないだろうとは思っていた。ただ、それにしても、少しは動揺することを期待していたのだ。
さらに様子を観察しているところへ、芭皇の顔が向けられた。
たまたま廃ビルの方を見ただけだろうと、そう思った。
しかし芭皇はニヤリと笑い、おまけに手も振った。
それを目にした乃木の方が、逆に動揺してしまったのだ。
(いや、偶然に決まっている。絶対に気付いていない)
激しく首を振り、乃木は平静を保とうとした。
再び望遠鏡を構えて、極楽園に視線をやった。
ちょうど芭皇は、テントに入るところだった。
彼がテントに姿を消すのを確認してから、乃木は望遠鏡を下ろして向き直る。
それからM700を手に取り、彼はビルを去る準備を始めた。
(……ともかく、オレの挑戦状を、奴は理解したはずだ)
乃木はM700をキャリング・ケースに戻しながら、そう思った。
「……挑戦状?」
その言葉は、心の中で発せられたのではなく、無意識に声となって出たものだ。
(……違う、挑戦状ではない)
乃木は強い意思で、自分の言葉を打ち消した。
挑戦状では、まるでこちらの立場が下みたいではないか。
そうではない。
オレと芭皇は、対等な立場にある。
いや、向こうは復帰するのだから、むしろ自分の方が上なのだ。
そんな風に彼は、考えを巡らせる。
「……宣戦布告だな」
乃木は、今度は意識して声に出した。
きっと奴は、今回の狙撃で警戒するだろう。
乃木は思った。
芭皇は危険を避けるため、どこかに身を隠すかもしれない。
だが、奴は銃を使わない。
ならば、どこに隠れようが、オレの方が圧倒的に有利だ。
「……オレこそが、ナンバーワンの殺し屋だ」
乃木はキャリング・ケースを持って立ち上がり、ビルの屋上から去ることにした。




