<18.抹殺指令>
「もう少し、利口に振る舞うべきだったな」
高原は、松岡に言った。
静かな口ぶりだが、その言葉には厳しさが込められていた。
2人は、首相官邸の執務室にいる。
高原は椅子に腰を下ろし、机を挟んで向かい合う形で、松岡が直立している。
松岡の斜め後方では、福間が両腕を後ろに回して立っている。
「せめて敬語ぐらい使うべきだった。最初から見下すような態度で話し掛けては、さぞや芭皇邪九も気分を害しただろう」
「申し訳ありません」
松岡は、深々と頭を下げて謝罪した。
「お前は頭が悪いとまでは行かないが、少なくとも交渉役には向いていないようだな」
「やはり、私が行くべきだったでしょうか」
話を聞いていた福間が、一歩前に出て口を挟んだ。
「そうだな。お前の方が適任だったかもしれん。松岡を差し向けたのは、どうやら私の間違いだったようだ」
「しかし、どのような言葉遣いであっても、芭皇は引き受けなかったと思います」
松岡が釈明した。
「ほう、責任逃れか」
高原は冷たい笑みを浮かべ、松岡を見た。
「いえ、そういうつもりでは」
松岡は、慌てて否定した。
「ただ、奴の話しぶりを聞いた限り、私の態度に機嫌を悪くして断ったようには思えませんでした」
「だが、それはお前が思っただけだろう?」
「それは、そうですが」
「彼の言う通りかもしれません」
福間が口を挟み、松岡を擁護した。
「さっき松岡が説明した内容が全て真実だとすれば、私も、芭皇は何があろうと断っただろうと思います」
「嘘は言っていません」
松岡は高原に向かって、キッパリと言う。
「結局、松岡の態度が気に入らないとか、あるいは報酬が足りないとか、そういう問題ではなく、総理の警護役などまっぴら御免だと、そういうことなのだろうと思われます」
福間は、手厳しい内容を丁寧に述べた。
「なかなか言うじゃないか、福間」
高原は机に右肘を突き、体を前方に傾けた。
「いえ、私はあくまでも、芭皇の考えを推理しただけです。誤解しないでください」
福間は、自分の言葉に高原が立腹したのではないかと思って、そう弁解した。
「確かに、お前の言う通りかもしれん」
高原は、別に怒ってはいなかった。
「どうであろうと、奴は私の下に付くことを拒否したということだ。それが事実だ」
「申し訳ありません」
松岡が、また頭を下げた。
「過ぎたことは仕方が無い。問題は、今後の対処だな」
高原は顎に手を当て、考え込んだ。
「今後の対処ですか」
「そうだ。芭皇邪九に対して、どのような行動を取れば良いかということだ。ところで、奴の住み処は分かっているのか」
「はい、突き止めてあります。奴は、荒無川の河川敷に住んでいるようです」
松岡が答える。
「河川敷?ホームレスじゃあるまいし、どうしてそんな所に?」
「そのホームレスをしているようです」
「本当か?」
「ええ、間違い無いようです」
「訳が分からないな」
高原は戸惑いを見せた。
「伝説の殺し屋が、なぜホームレスをやっているんだ?妙な世の中だな」
「それで、どうしましょうか。今度は私が行って、説得に当たってみましょうか」
福間が、そう持ち掛ける。
「いや、やめておけ。お前は自分で言ったはずだ。芭皇は何があろうと断っただろうとな。ならば、お前が行った所で態度を変えるとは思えない」
「放っておけば、良いのではないでしょうか」
やや遠慮がちに、松岡が申し述べた。
「奴が味方にならなくても、特に問題はありません。もしも優秀な殺し屋が必要であれば、現役の人間を雇えばいいだけの話です」
「本当に、放っておいていいと思っているのか?」
高原は鋭い視線と共に、言葉を投げ掛ける。
「松岡、お前は私に説明したな。芭皇邪九は、私が好きではないからという理由で断ったのだと」
「そうです」
「それは裏を返せば、好感の持てる人物から依頼があれば、それを受ける可能性があるということになる」
「そうかもしれません」
「その依頼主が、私を狙っている反政府組織の人間だったら、どうする」
「なるほど、それは危険です」
松岡より先に、福間が返答した。
「しかし、総理の警備は完璧です。芭皇が命を狙っても、そう簡単に暗殺を実行できるとは思いません。まず間違いなく失敗するでしょう」
松岡は、強気に言った。
「暗殺が未遂に終わったとしても、問題は残る。伝説の殺し屋が私を狙ったという噂が広まったら、反政府運動の連中に大きな勇気を与えてしまうかもしれん」
高原は説明する。
「もちろん、それで意気上がる連中など、抹殺すればいいだけの話だ。だが、大きな障害に育つことが事前に分かっているのだから、芽が出る前に潰してしまうのが利口だとは思わんか?」
「なるほど……。確かに」
松岡は、ようやく納得した。
「つまり、総理は芭皇邪九を始末しようというお考えなのですね」
福間が、自分の推理を確認するための質問を述べた。
「そういうことだ」
高原は、眼光鋭く告げる。
「ただし、簡単には行くまい。とうの昔に引退しているにも関わらず、地獄山を簡単に捻じ伏せたほどの男だからな」
高原は、芭皇と地獄山が戦う映像を目にしていた。松岡がアングラ・ファイトの会場で密かに撮影していたのである。
「では、とびきり優秀な殺し屋を送り込みましょう」
福間が進言する。
「誰か目ぼしい奴がいるのか」
「並の殺し屋連中では、おそらく芭皇邪九には歯が立たないでしょう。しかし奴がターゲットなら、適任者がおります」
「もちろん、優秀なのだろうな」
「芭皇邪九が現役だった頃、殺し屋の世界で1、2を争う関係にあった男です。性格に少々の問題はありますが、射撃の腕前なら世界一ではないかと」
「射撃が世界一か。それは頼もしいな。性格など、仕事さえ受けてくれれば、どうでも良いことだ」
「頑固でプライドの高い男なので、囲い込むことは出来ていませんが、この仕事であれば必ず引き受けます。芭皇に対して、並々ならぬ思いがあるはずですから」
「では福間、手配を頼む」
「了解しました。では、今すぐに」
福間はうやうやしくお辞儀をして、執務室から出て行った。
「ところで、総理」
松岡は、福間の退出を目で追った後、高原に話し掛けた。
「何だ?」
「地獄山の処置ですが、どうされるおつもりですか」
「そうか、地獄山か」
高原はそう言って、椅子の背もたれに体重を掛けた。
アングラ・ファイトで芭皇に敗れた地獄山は、病院送りとなっていた。
「もうすぐ、退院できるのだな?」
「ええ、3日後には」
「回復が早いな。右脚と顎を骨折して、全治2ヶ月と聞いていたが」
「ええ、知恵は足りませんが、体力だけは有り余っているようです。すぐにでも芭皇邪九にリベンジしたいと燃えています」
「なるほど、たくましい奴だな」
高原はニヤリと笑った。
「私はてっきり、負けた直後に地獄山を始末するものだと思っていたのですが」
松岡が言った。
「どうしてだ?」
「もう用済みですから」
「いや、あいつは、まだ使える」
高原は何か思案しながら、松岡の考えを否定した。
「試合に負けて心が折れるような奴なら、すぐに殺す。だが、あいつはそうではない。上手くやれば、もう少し利用できる」
そこまで言って、高原は松岡に視線を向けた。
「松岡、絵麻をあまり外に出さないようにしておけ」
「絵麻を、ですか」
「地獄山を上手く使うには、絵麻への気持ちを利用するのが一番だからな。もし絵麻と顔を合わせでもしたら、何の意味も無い」
「でしたら、御心配には及びません。絵麻と地獄山が出会う可能性はゼロです」
「なぜだ?」
「あまりにベタベタして煩わしいので、蹴り殺しました」
松岡は、平然と言った。
「そうか。それなら問題は無いな」
高原がそう言った時、ノックの音がして、福間が部屋に戻って来た。
「総理、殺し屋と連絡を取りました」
「そうか、ご苦労」
「今回は、私が交渉に行ってよろしいでしょうか」
「そうだな、頼むとしよう」
「では、これから早速、会いに行きます」
福間が出て行こうとすると、後ろから高原が声を掛けた。
「おい、福間。その殺し屋、名前は何と言うんだ」
福間は振り返り、質問に答えた。
「名前は、カウント乃木です」