<16.椎奈独断>
「いや、努力はしてみるけどさあ」
茶留は山高帽に触りながら、困った表情を浮かべた。
「だけど、ボスに内緒で行動するってのは、やっぱりマズいんじゃないかなあ」
「ボスのために動くんだから、きっと後で感謝してもらえるわよ」
椎奈が強い口調で反論する。
そこは、鷹内組が管理している無人駐車場だ。
誰にも知られず内密で話をするため、椎奈が茶留を呼び出したのだ。
「だけど、行動の内容が大きすぎるからね」
茶留は、消極的な気持ちを言葉に込めた。
「さすがに高原首相の暗殺となると、勝手に仕掛けるのは良くないと思うけどなあ。それに、危険すぎるよ」
そう、椎奈は鷹内の指示に従わず、自分の手で高原を殺そうと決意していたのだ。
「別に、あなたに高原首相を殺せと言ってるわけじゃないのよ。あなたに頼んでるのは、高原の周辺調査だけ。奴を狙えそうな日時や場所さえ探り出してくれれば、暗殺を実行するのはアタシなんだから」
「そりゃあ、分かるけど」
「難しいことなんて頼んでないでしょ。出来ないとは言わせないわよ」
椎奈は茶留の肩を掴み、脅しめいた言い方をする。
「分かった、分かった」
茶留は、降参状態を示すために両手を挙げた。
「だけど、そこまで高原の暗殺に執着しなくても、いいんじゃないのかなあ。そんなにボスの役に立ちたいのかい?君は、もう充分に貢献していると思うけど」
「そんなんじゃないわよ」
椎奈は、即座に否定した。
「じゃあ、ボスの指示を無視してまで危険な仕事をしようとするのは、なぜなんだい?」
「伝説を超えるためよ」
「何のことだ?オイラにも分かるように説明してくれよ」
手にしたステッキでアスファルトを軽く突き、茶留が尋ねる。
「芭皇邪九と会ったことは、話したでしょ」
「ああ、すっかり幻滅したと言ってたね」
「そうよ。あの男は、多くの殺し屋が崇めるような存在じゃなかった。ただのロクデナシに成り下がっていたわ。でも、今も彼は、伝説の殺人王のまま」
「そりゃあ、他の連中は、現在の彼を知らないからね」
「だから、アタシが新しい伝説を作るのよ。高原を殺して、アタシが芭皇邪九を超える殺し屋になるの。そうすれば、あんな奴の伝説は、いずれ消えていくわ」
「本当に、そうなのかな?」
茶留はステッキを椎奈に向け、含んだような笑みを浮かべた。
「何よ、いやらしい顔をして」
「そうじゃなくて、君は自分の中で、芭皇邪九への気持ちにケジメを付けたいだけなんじゃないのかな」
「ケジメ?」
「そうさ。君は、自分が尊敬していた相手が、思い描いていたイメージとかけ離れていたことにショックを受けた。だから彼を超えることで、自分の心に折り合いを付けようとしているんじゃないの」
茶留は、椎奈の心を見透かしたように言った。
「殺し屋でもない人間に、そんな偉そうなことを言われたくないわ」
椎奈は不快感を露にする。
「そりゃあ、悪うございました」
茶留は、おどけたように舌を出した。
「ただ、理由がどうであれ、君は芭皇邪九を超えることは出来ないよ」
「どうしてよ」
椎奈は口を尖らせた。
「アタシが彼より劣っているとでも?」
「そうは言ってない。だけど、現役の人間は、辞めた人間には勝てないんだ。辞めた人間ってのは、そこにいない分、周囲がイメージをどんどん膨らませるからね。だから芭皇邪九が現役復帰でもしない限り、君が彼に勝つのは無理ってことだよ」
「アンタ、口だけは達者ね」
椎奈は、不愉快そうに言った。
「口の上手さなら、君には負けないよ」
そう言って茶留は、ステッキをクルクルと回してみせた。
「だったら、その口の上手さで、高原の情報を聞き出してちょうだい」
「はいはい、ご要望通りに」
茶留はニヤニヤしながら山高帽を脱ぎ、大げさに会釈した。