<14.旧友再会>
「ボス、芭皇さんをお連れしました」
組事務所に戻った椎奈が、鷹内に告げた。
「そうか、御苦労だったな」
鷹内は組長室の椅子から立ち上がり、そう言った。
その視線は椎奈ではなく、その後ろにいる芭皇に向けられている。
「よお、鷹内」
飄々とした態度で、芭皇が手を挙げた。
「久しぶりだな」
鷹内は、硬い表情を崩さずに言った。
「ボス、彼と知り合いなんですか?」
椎奈が驚いた様子で聞いた。
「ああ、ちょっとな」
鷹内は芭皇から視線を外し、言葉を濁した。
「なんだ、何も知らされていないのか。俺と鷹内は、昔馴染みなんだ」
芭皇が、椎奈に告げる。
「昔馴染みって?」
「大学のサークルで一緒だったのさ」
「サークルで?」
「ああ」
「芭皇、いいじゃないか、そんな話は」
鷹内が、やや強い口調で言う。
明らかに、その話を続けることを嫌がっている様子だ。
「椎奈、しばらく外で待っていてくれ。彼と2人だけで話したいんだ」
「ええ、分かりました。では」
椎奈は、少し釈然としない様子だったが、命令に従って組長室を出て行った。
「おい鷹内、そんなに慌てるようなことじゃないだろう」
こめかみをポリポリと掻きながら、芭皇が告げる。
「別に慌ててなどいない」
「お前、もしかして恥ずかしいのか?ヤクザの組長が、落語研究会出身だということが」
芭皇は、からかうように言った。
「バカな。わざわざ話すことでもないと思っただけだ」
鷹内は即座に否定したが、微妙に動揺したようでもあった。
「大体、オレとお前の関係は、大学時代のことだけじゃないだろう。オレは昔馴染みという言葉で、そっちを思い浮かべたんだ」
「そっち?」
「忘れたわけじゃないだろう、10年前のことを」
「ああ、あっちか」
芭皇は、すぐに思い出した。
*
10年前、殺し屋稼業をしていた芭皇は、暴力団・清水組二代目組長の暗殺を請け負った。
芭皇は、組長が1人でいる時を狙って家に侵入した。
そして破田で首を斬り、仕事を遂行した。
破田というのは、芭皇が殺し屋時代に使用していた特殊な武器の名前だ。
鍔の無い短刀で、長さは約40センチ。形状は匕首に似ているが、片刃ではなく両刃だ。相手を斬る場合と突き刺す場合、どちらの用途でも使用しやすいようになっている。
殺しが終わった直後、部屋に1人の男が飛び込んで来た。
胸のバッジを見て、芭皇は男が清水組の構成員であることを理解した。
芭皇は、目撃者を抹殺しようと構えた。
だが、男は慌てて、
「おい待て、芭皇、オレだ。大学の落研で一緒だった、鷹内だ」
と告げた。
そう、その男が、鷹内だった。
「お前、満々亭銀次か」
芭皇は、身構えたままで聞いた。
「ああ、そうさ、ハレンチ家ゴーゴー」
鷹内は大きくうなずいた。
満々亭銀次とハレンチ家ゴーゴーというのは、2人の高座名だ。
死体が転がっている現場には、およそ似つかわしくない会話であった。
「まさか、こんな形で会うことになるとはな」
芭皇は口の端を歪め、皮肉っぽく笑った。
「悪いな鷹内、お前の組長を殺してしまった。だが、これも仕事なんでな」
「いや、別にいいんだ」
鷹内は、妙にサバサバした様子だった。
「以前から、組長には辟易していた。仁義を守らないにも程がある。そろそろ組を抜けようと思っていたぐらいさ。お前に殺されて、良かったよ」
その言葉を聞いた芭皇は、鷹内の目をジッと見つめた。
「な、なんだ?」
鷹内は、意図が見えない芭皇の行動に動揺した。
「お前がウソをついていないかどうか、目を見て確かめたのさ」
芭皇はそう言って、視線を外した。
「どうやら、お前は本当に組長の死を歓迎しているようだな」
「ウソなんて、ついていないさ」
「しかし、お前が組長の死をどう感じようと、そんなことは免罪符にならない」
芭皇の顔付きが、スッと険しくなった。
「免罪符?何のことだ?」
鷹内の問い掛けに、芭皇はフウッと息を吐き、こう告げた。
「目撃者は、殺さねばならん。これは殺し屋の掟だ」
「お、おい、待ってくれ」
鷹内の顔が強張った。
「待てない。残念だが、死んでもらう」
「違う、オレは目撃者じゃない」
「無駄なあがきはやめておけ」
芭皇は、鷹内に近付こうとした。
「そうじゃない。オレが依頼したんだ。この殺しの依頼主は、オレなんだ。山本という男が依頼に出向いただろう、あれはオレの代理人だ」
「何だと?」
鷹内が山本という名前を出したことで、芭皇は足を止めた。
芭皇は仲介人を通して仕事を受けており、依頼者と顔を合わせることは無かった。だが、山本という男が依頼してきたことは、仲介人から聞いていた。
「口から出まかせを言っているとも思えないな」
「当たり前だ、本当のことだからな」
そこで芭皇は鷹内に、山本の容姿について尋ねた。
何かあった時のため、仲介人は依頼者の写真を必ず撮影しており、芭皇はそれを見て山本の特徴を知っていたのだ。
鷹内が語る山本の容姿が写真と一致したので、芭皇は彼の話を信用することにした。
「どうやら、お前が依頼したというのは事実のようだな」
芭皇は、戦闘体勢を解いた。
「ああ、そうだ」
硬直した表情を崩さずに、鷹内は答えた。
「だが、分からんな。自分の親分の暗殺を、なぜ依頼したのか」
「オレが自ら手を下して、現場に証拠を残したら色々と厄介だからだ」
「そういう意味じゃない。なぜ自分で殺さないのかという意味ではなく、清水組の構成員であるお前が、組長を殺そうとする理由が分からないと言っているんだ」
「二代目が、仁義を守らないからだ」
鷹内は、声を強めた。
「仁義を守らない?」
「そうだ。オレは先代組長の男気に惚れて清水組に入った。だが、先代が亡くなった後、息子の二代目は細々と営んでいる店に不当なショバ代を要求したり、ヤクの売買に手を出したりと、任侠道に外れることばかり始めたんだ」
「不当なショバ代を取ったりヤクを売ったりするのは、ヤクザなら当然じゃないのか?」
「違う、それは暴力団のやることだ。先代は常々、言っていた。『極道とは道を極めると書く。決して道を外れてはならない』と」
それから鷹内は拳を握り、自分の考える任侠道について熱く語り始めた。
*
「あの時は、いつの間にか、お前の演説会になってしまったな」
芭皇は思い出を巡らせ、苦笑いを浮かべた。
「すぐ近くに死体が転がっていたのに、妙な状況だったよ、あれは」
「気が付いたら、10分ぐらい喋っていたな」
鷹内が、真面目な顔で言葉を返した。
「しかし結局のところ、お前が考える極道と、そこいらの暴力団との違いは、俺には良く分からなかったがな」
芭皇が言う。
「今の鷹内組を見れば、その違いは分かるはずだ」
鷹内が重厚な調子で、そう口にした。
「確かに、ちょっと変わってるよな、この組は」
「あの後、清水組は後継者争いが原因で弱体化し、やがて他の組に取り込まれることになった。だが、オレは数少ない同志と共に鷹内組を旗揚げし、ここまで大きくしたんだ」
「大まかなことは知ってるさ。お前はお前なりに、頑張ったんだろうさ」
芭皇は、受け流すように言った。
「だが、そんな昔話をするために、俺をわざわざ事務所に呼んだわけではあるまい」
「そうか、そうだったな」
鷹内は大きくうなずいた。
「さて、鷹内よ」
芭皇は、まじまじと鷹内を見つめた。
「何か俺に頼みがあるそうだが、聞かせてもらおうか」
「うむ。まあ、座ってくれ」
「ああ」
芭皇は勧められるままに、ソファーに座った。
続けて向かい側のソファーに、鷹内が腰を下ろす。
「回りくどい言い方をしても仕方が無いから、単刀直入に言おう」
鷹内は、1つ間を取ってから、再び口を開いた。
「実は、ある人物を殺してほしい」
「殺しの依頼か」
穏やかだった芭皇の表情は、瞬時に緊迫したものとなった。
「報酬は、1億円だ」
「すごい金額だな。となれば、かなりの大物を狙うんだな」
「ああ、その通りだ」
「それで、ターゲットは?」
その問いに、鷹内はやや声を潜めて答えた。
「日本国総理大臣、高原清澄」
「……それは、本気なのか」
しばしの沈黙の後、芭皇が確認を取る。
「もちろん」
「ふふっ、高原の暗殺か」
そう言った芭皇の表情が、一気に緩んだ。
「愉快なことを考える奴だな、お前は」
「何が可笑しい?」
「なかなか滑稽なことを考えるよ。さすが落研出身だけのことはあるな」
「茶化すなよ。オレは本気だ」
鷹内は、芭皇を真っ直ぐに見据えた。
「しかし本気の人間が、10年も前に足を洗った奴に殺しを依頼するかな?」
「本気だからこそ、お前に頼むことにしたんだ」
「殺し屋なら、他に幾らでもいるだろうが。さっきの椎奈とかいう女だって、殺し屋なんだろう?」
「その辺の連中がターゲットなら、椎奈に任せるさ。だが、相手が高原となると、椎奈では無理だ。他の誰でも無理だ。あの男を殺れるのは、お前しかいない」
「えらく期待されたものだな」
芭皇は肩をすくめる。
「お前ほど多くの大物を始末した殺し屋は、他にいない。お前が今も伝説として語り継がれているのは、お前以上の存在が現役の殺し屋の中にいないからだ」
「ただ単に、殺し屋の世界が弱体化しているだけじゃないのか」
芭皇は、皮肉っぽく口元を緩める。
「そうかもしれん」
鷹内は否定せず、真剣な顔で言った。
「しかし、そうだとすれば、ますますお前に頼むしかない」
「なるほど、そういう論法で来たか」
芭皇は頭を掻く。
「そういうことになるとは思わないか」
「まあ、そうなってしまうかな」
まるで他人事のように、芭皇は返す。
「だろう?引退から10年が経過しても、今でもお前は最高の殺し屋なんだ」
「そう誉めるなよ。調子に乗るぞ」
「では、引き受けてくれるか?」
鷹内は、体を前に傾けて尋ねた。
その答えは、すぐに返って来た。
「いや、断るよ」
芭皇は、あっさりと言った。
「断るだと?」
鷹内は聞き返した。
「ああ、断る」
「なぜだ?」
「面倒だからだ」
芭皇は、軽い調子で答えた。
「何っ?」
鷹内は、自分の耳を疑った。
「聞こえなかったのか。面倒なんだ」
やや声を大きくして、芭皇は再び返答した。
「そんな理由で、断るのか?」
「ちゃんとした理由だと思うが」
「頼むから、ふざけないでくれ」
「いや、ふざけているわけじゃないさ」
芭皇は、ソファーに深く座り直した。
「本当に面倒だと思ったから、そう答えただけだ。考えてみろよ。一国の首相を狙うというのは、大変なことだ」
「そんなことは、こっちだって分かっている。大変な任務だからこそ、高額の報酬を出すと言っているんだ」
「金なんて、そんなに多くあっても大した意味は無いぞ。貧乏でも、それなりにやっていけるものさ。そんな面倒なことに首を突っ込むよりも、俺は今のままでノンビリと暮らしていたい」
「だが、今のままでは、ノンビリと暮らすことも難しくなるかもしれないんだぞ」
鷹内は、熱くなっていた。
「高原は、どんどん独裁化を強めている。そして奴は軍国主義を推し進め、さらに純血国家、エリート国家としての日本を作ろうとも企んでいる。だから、その一環として、インチキをやらかしてまでも外国人の排除運動を進めている」
「そんなことは、いちいち説明されなくても分かっているさ。世間の奴らは騙せても、ホームレスを騙すのは難しいんだ」
「さあ、そのホームレスだ。エリート国家を作ろうとする高原にとって、ホームレスは社会のゴミだ。いずれ奴は、ホームレスの一掃を開始するだろう。いいのか、そんなことになっても」
「それは困るがな」
芭皇は淡白に返す。
鷹内は高ぶった様子で、言葉を続ける。
「選挙のような真っ当な形で、高原を首相の座から引きずり下ろすことが出来るのならば、こんな方法は選ばずに済む。だが、国会も世論も、完全に高原の支配下にある。この国を救うためには、誤った方向に導こうとしている高原を殺すしか無いんだ」
「熱弁を振るうのは結構だが」
芭皇は、興奮した様子の鷹内とは対照的に、クールに言った。
「お前の考えている道が、絶対に正しいとも限らないだろうに」
「芭皇、だったら、お前はどう思うんだ」
「何がだ」
「高原を今のまま、のさばらせていいと思っているのか」
「いや、そうは思わないが」
「だったら……」
「焦るなよ」
芭皇は、喋ろうとする鷹内を制した。
「高原でいいとは思わないが、お前は奴を殺して、代わりに誰を首相に据えればいいと思っているんだ。ハッキリ言って、誰が総理大臣になっても、この国は変わらないぞ。そんなことは、今まで40年近く生きてきたのだから、分かるはずだが」
「悲観的なんだな、お前は」
鷹内は、ポツリと言った。
「むしろ現実的と表現してくれよ」
芭皇は淡々と返す。
「しかし芭皇よ、お前だって、国を変えてやろうという熱い気持ちを持っていたはずだ。だからこそ10年前、日本を腐敗させている大物連中を次々に殺したんじゃないのか」
鷹内が食い下がる。
「そんなに買い被るなよ。俺は殺し屋として、依頼された仕事を遂行しただけだ」
芭皇は軽く受け流す。
「しかし、依頼者の信念に賛同したから、殺しを引き受けたんじゃないのか」
「何も知らない奴は幸せだな。あの時の依頼者が殺しを依頼した理由は、『生理的に嫌いだから』というものだぞ」
「生理的に嫌いだから?」
「そうだ。バカバカしい理由だろ」
芭皇が言う。
「し、しかし、依頼者の目的はともかく、日本を腐敗させていた連中を、お前が始末したことに違いは無い」
鷹内は、やや焦りを帯びた物言いになった。
「どうしても、そこに固執したいらしいな」
芭皇は、呆れたように微笑した。
「そうだとして、鷹内よ、それで何が変わったんだ?」
「えっ?」
「確かに10年前、俺は政財界の悪党どもを次々と殺害した。だが、奴らを殺して何が変わった?何も変わっちゃいない。今も相変わらず、悪党どもが大きな顔で国を牛耳っている。俺のやったことには、何の意味も無かったのさ」
芭皇は、自嘲気味に笑った。
「クソ野郎が消えても、すぐに新たなクソ野郎が空いたポジションに入る。世の中は、そういう仕組みになっているんだ。高原を殺しても、何も変わらないぞ」
「オレはお前と違って、この国に対して、まだ希望を抱いているんだよ。だから、明るい未来を作るためにも、奴を殺さねばならないんだ」
鷹内は興奮を抑え切れなくなったのか、テーブルをドンと叩いた。
だが、芭皇は表情を変えずに、冷めた態度で鷹内を眺めている。
「勝手な使命感に燃えるのは結構だがな」
そう言って、芭皇は立ち上がった。
「俺は遠慮するよ」
「おい、待てよ。どこへ行くんだ」
鷹内も立ち上がる。
「どこって、もちろん帰るに決まってるじゃないか」
芭皇は、ドアに向かって歩き始めた。
「オレの依頼は、引き受けられないということか」
鷹内は、声のボリュームを上げた。
「お前の気持ちは、良く分かったよ」
芭皇は鷹内に背中を向けたまま、立ち止まった。
「そこまで熱い気持ちがあるのなら、無下に断るのも失礼だ。少し考える時間をくれ」
「考えてくれるのか」
「ああ」
芭皇は振り返り、含んだような笑みを浮かべた。
「そうだな、50年ほど考えさせてくれ」
「おい待て、それは断ると言っているようなものじゃないか」
鷹内は、慌てたように言った。
「頼むから真面目に考えてくれよ、芭皇」
「真面目に考えるさ、50年ほど」
「……そうか。いい返事は貰えないのか」
冗談めかした芭皇の言葉に、鷹内は大きくため息をついた。
「だが、オレは諦めないぞ。また日を改めて、お前を説得する」
「そんな暇があったら、他の方法を考えた方がいいと思うぞ。じゃあな」
軽く言って、芭皇は組長室のドアを開けた。
すると、ドアのすぐ近くに、椎奈が立っていた。
「盗み聞きしていたのか」
芭皇はドアを閉めて、そう尋ねた。
「聞かなくても、大体のことは分かるわ。依頼を断ったのね」
椎奈は、芭皇を冷たい目で見た。
「50年ほど考えると答えただけだ。断るとは言ってないさ」
芭皇は飄々と告げる。
「引退したロートルに、こんな大仕事は無理ってことね」
「どう考えてもらっても結構だ」
芭皇は苛立つ椎奈に付き合わず、立ち去ろうとした。
そこへ、向こうから茂戸がやって来た。
茂戸は、“紫雨”と書かれたTシャツを着ている。
「あっ、組長のお客さんですか。どうも」
茂戸は芭皇を見て、挨拶した。
「お前、鷹内の子分か」
「はい、最近、入ったばかりです」
「ふうん」
芭皇は茂戸に歩み寄り、ためつすがめつ眺めた。
「な、なんでしょう?」
「俺の好みだな」
「へっ?」
茂戸は、少したじろいだ。
「物は相談だが」
芭皇が、椎奈に視線を向けた。
「こいつを抱かせてくれたら、依頼のことを考え直してもいいぞ」
「くだらない冗談はやめてよ」
椎奈が声を荒げる。
「冗談じゃないさ。こいつは俺の好みだ」
「あなた、珠子とかいうオバサンを口説いていたじゃない。ホモのフリをするなんて、ふざけないでよ」
「おいおい、あれは口説いていたわけじゃなく、ビデオを撮るために褒めていただけさ。相手の気持ちを乗せないと、いいビデオは撮れないからな」
「じゃあ本当に、そっちの趣味があるの?」
眉をしかめて、椎奈が聞く。
「そっちの趣味というのは、あまり気持ちのいい呼び方じゃないな。まあ、どっちにしても、本人が乗り気じゃないようだから、この話は無しだな」
そう言って、芭皇は戸惑っている茂戸を見た。
「お前、俺に抱かれたいか?」
「い、いえ、勘弁して下さい」
慌てて、茂戸が首を激しく横に振った。
「やっぱり無理らしい。じゃあ、鷹内によろしくな」
芭皇はそう言い残し、去って行った。
「あ、あの、OKした方が良かったんでしょうか」
茂戸は、遠慮がちに椎奈に聞いた。
「いいのよ、あんなバカな奴の言うこと、いちいち相手にしなくても」
椎奈は芭皇の背中を見送りながら、吐き捨てるように言った。
その時、組長室のドアが開き、鷹内が顔を出した。
「あっ、組長」
「なんだ茂戸、来てたのか」
鷹内は、そっけなく対応した。
「来てますよ。当然じゃないですか」
「ボス、お話が」
椎奈が2人の会話に割り込んだ。
「うむ。では、中で話そう」
そう言って鷹内は、椎奈を組長室に迎え入れた。
続いて、茂戸も入ろうとする。
「おい」
鷹内は、茂戸の首根っこを掴んだ。
「どうして、お前が入ろうとする?」
「は、はあ。流れで、何となく」
「そんな流れは無いんだよ」
鷹内は茂戸を外に突き出して、ドアを乱暴に閉めた。
「あいつ、成長が無いどころか、退化してるんじゃないのか」
うんざりした様子で鷹内が言う。
「ボス」
椎奈が声を掛けた。
「ああ、悪いな」
そう言って、鷹内は組長用の机まで移動した。
「それで、話というのは?」
鷹内は椅子に腰掛けて、そう尋ねた。
「芭皇邪九は、依頼を断ったんですね」
椎奈は事務机に歩み寄り、言った。
「まあ、そういうことだな」
「それで、どうするおつもりですか」
「どうする、とは?」
「高原首相の暗殺計画です」
「もう一度、あいつを説得してみるつもりだ。まあ、たぶん無理だろうがな。だが、あいつが受けてくれないと、この計画は無意味になる」
鷹内は、厳しい顔付きで言った。
「なぜボスは、あんな男にこだわるんですか。アタシには、全く理解できません」
激しい口調で、椎奈が尋ねた。
「おいおい、お前は芭皇を尊敬していたんじゃなかったのか」
「以前は、確かにそうでした。でも、会ってみて、もう終わった人間だということが良く分かりました。あんな男は、もう殺し屋としては使い物になりません」
椎奈は、不愉快だといった表情を見せる。
「どうやら、あいつは随分と嫌われてしまったようだな。しかし、芭皇を置いて、今回の仕事をこなせる者はいない」
「アタシがやります」
椎奈は、身を乗り出すようにして言った。
「お前がか」
「そうです。あんな奴に頼らなくても、アタシが任務を果たしてみせます」
「なあ、椎奈」
鷹内は、落ち着いた様子で言う。
「お前は今までに、多くの仕事をやり遂げてくれた。紛れも無く優秀な部下だ。だがな、相手が高原となると、お前では無理だ」
「どうしてですか?」
椎奈は、抗議の意思を込めて尋ねた。
「そう興奮するな」
鷹内は、椎奈をなだめる。
「いいか、冷静に聞いてくれ。歴代の総理大臣であれば、警備も手薄だったし、暗殺など容易だっただろう。しかし、高原は違う。奴は強い警戒心を持っており、厳重な警備体勢を敷いている。殺しを仕事とする大勢の連中が、奴を守っているんだ」
「それでも、アタシはやってみせます」
「無理だ」
鷹内は、キッパリと言い切った。
「気を悪くするかもしれないが、お前では無理だ。決して能力が低いと言っているわけじゃない。他の殺し屋でも、やはり無理だろう」
「それが出来るのは、芭皇邪九だけだと?」
「そういうことだ」
「しかし……」
「もう言うな」
鷹内は、椎奈の言葉を遮った。
「この話は、もう終わりだ」
「でも、ボス……」
「椎奈」
鷹内は自分の唇に人差し指を当てて、ドスを効かせた声で静かに告げた。
「この話は、おしまいだ」