<13.使者来訪>
「もっとマニアを挑発するような感じで、セクシーにアピールしてくれ」
芭皇はビデオカメラから一旦顔を離し、珠子に指示を出した。
「挑発って、こんな感じ?」
珠子は、茶色のパンストを履いた太股の付け根を、左手で撫で回した。
「いい感じだ。じゃあ、そのまま、ゆっくりと手を下げていく所から撮っていこうか」
芭皇は、再びビデオカメラを構える。
2人は、パンスト・フェチ向けDVD『パンスト万歳』シリーズ第11弾の撮影を行っている。
そのシリーズのモデルは、全て珠子なのだ。
もちろん、DVDを買っている連中は、38歳のホームレス女性がモデルをしていることなど全く知らない。というのも、DVDでは顔が映っていないからだ。
足だけを見れば、購入者はモデルが若くて美しい女性だと思ってしまうだろう。
「だけどさあ」
ポーズを取りながら、珠子が口を開く。DVDでは会話の音声が消されているので、喋っていても撮影に支障は無い。
「本当に、こんな場所でいいのかしら」
「何が?」
芭皇は、珠子の太股をゆっくりとパン・アップしながら聞き返す。
「だってさ、こんな貧乏じみたテントの中って、撮影場所としてはどうかと思うわよ」
「悪かったな、貧乏じみたテントで」
そこは芭皇のテントなのだ。
「いえ、あんたのテントだけじゃなくて、この極楽園がってことよ。今までのシリーズでは、病院の敷地とか、学校の校舎とか、それなりの場所で撮影してきたじゃない」
「全て無断使用だけどな」
「しょうがないわよ、普通に頼んでも貸してもらえないだろうし。それはともかく、今回は、どうしてテントなの?」
「チープなイメージが、逆に新鮮かと思ってな。だから今回の設定は、生徒と一緒にキャンプに来た女教師ということで頼むぞ」
「分かるような、分からないような、微妙な設定ね」
珠子は困惑の表情を浮かべる。
「いいじゃないか、その辺りは。それに珠子なら、どんな場所でも、どんな設定でも、男を興奮させることが出来るだろうしな」
芭皇はサラッと言った。
「いやあねえ、お世辞ばっかり」
「お世辞じゃないさ。珠子なら、まだまだ充分にイケるぞ」
「まあ、照れちゃうわ」
珠子は、わざとらしく両手で頬を押さえた。
「ダンナに内緒で、あんたと浮気しちゃおうかしら」
「珠子なら大歓迎だが、池内さんに悪いからやめておこう」
「……あの」
テントの外で、やや不機嫌そうな女性の声がした。
「お取り込み中、申し訳ありませんが」
その女性が、そう言いながらテントを開けた。
椎奈だった。
今回は、革のジャケットにホットパンツという服装だ。ただし坂口の別荘にいた時と同様、黒の網タイツは履いている。
彼女の表情には、明らかな不快感が浮かんでいた。
「ひどいわ、芭皇さんったら」
珠子は椎奈を目にして、白々しい泣き真似をしてみせた。
「私を口説いておきながら、こんな若い女の子を呼んでいたのね」
「いや、こんな女を呼んだ覚えは無いんだが。誰だ、アンタは?」
芭皇は撮影を一旦中止し、問い掛けた。
「アタシは谷屋椎菜。ある人に頼まれて、あなたに会いに来た者です」
椎奈が答えた。
「ある人?誰だ、それは」
「それは……」
椎奈は、チラッと珠子に視線を向けた。
「出来れば、2人きりで話したいのですが」
「分かりましたよ。こんなオバサンは、お邪魔虫でしょうからね。どうぞ、お2人で楽しんでくださいな」
珠子は、からかうような態度を取った。
「じゃあ芭皇さん、続きは、また後でね」
そう言って、珠子はテントから出て行った。
椎奈は珠子を見送った後、テントの外に顔を出し、周囲に誰もいないことを確認した。
それから彼女は振り返り、芭皇に軽蔑の眼差しを向けた。
「なんだ、その目は?初対面の人間に、そういう態度は良くないぞ」
芭皇は、たしなめるように言った。
「ボスから聞いてはいたけど、まさか本当だったとはね」
椎奈は、芭皇を真っ直ぐに見つめたまま、嫌悪感剥き出しで言った。
「なんだ、急にタメ口になって?」
「あの伝説の殺人王が、今はホームレスになっているなんて」
「何だと?」
芭皇の目付きが、一瞬にして鋭くなった。
「なぜ俺の正体を知っている?谷屋椎菜とか言ったな。何者だ、貴様」
「鷹内組の、鷹内組長の使いで来たのよ」
「へえ、鷹内組ね」
その名前を聞いて、芭皇は警戒心を緩めた。
「それで、何か用でもあるのか」
「あることを、あなたに依頼したいの」
「依頼だと?」
「ええ」
「それで、依頼の内容は?」
「詳しいことは、ここでは言えない。鷹内組の事務所に来てもらいたいのよ。そこで、ボスが直接話すことになっているから」
「おいおい、話があるなら、向こうから来るのが当然じゃないか」
芭皇は、フッと小さく笑った。
「ボスが足を運んだとしても、こんな場所では重要な話は出来ないわ。人に聞かれては困るのよ」
「そんなにヤバい話なのか」
「そうよ」
「だが、俺の方には、会いに行く用事は無いしなあ」
芭皇は、露骨に面倒そうな態度を示す。
「わざわざ鷹内組の事務所へ出向くなんて、疲れるしなあ」
「車を用意するから、それに乗っていけばいいわ」
「俺も色々と忙しいからなあ」
芭皇は、わざとらしく大きなあくびをする。
「忙しいって、あのオバサンのビデオを撮るぐらいでしょ」
刺々しい口調で、椎奈が告げる。
「まあ、そうカリカリしなさんなって」
芭皇は微笑した。
「分かったよ、お前さんの顔を立てるために、行くだけは行ってやるよ」
「気に入らない言い方ね」
「行く気になっただけでも、感謝してもらわないと。ちょっと待ってろよ、出掛ける準備をするから」
芭皇は椎奈に背中を向けて、テントの隅でゴソゴソとやり始めた。
その時、何を思ったのか、椎奈はいきなり芭皇の後頭部にパンチを見舞った。
ゴツン。
パンチは見事に命中し、芭皇の頭から鈍い音がした。
「痛っ、何をするんだ」
芭皇は後頭部を押さえ、振り返った。
「何のつもりなんだ、いきなり殴りやがって」
「やっぱり、そうなのね」
椎奈は見下したような態度を取った。
「何がだ?」
「あなた、アタシのパンチを避けられなかったわね」
「当たり前だろう、いきなり後ろから殴られて、避けられるはずがない」
芭皇が口を尖らせる。
「昔のあなたなら、かわせていたはず。全く反応できないなんて、殺し屋として完全に終わっているわ。今のがナイフなら、あなたは死んでいたわよ」
「はあっ?昔だって同じように避けられなかったよ。それに、お前は昔の俺を知らないだろうが」
「会ったことは無くても、あなたの伝説は良く知ってるわ。だけど、すっかり感覚が鈍ってしまったようね。殺気もまるで無いわ」
椎奈は、冷たい視線を向けた。
「ここに来た時点で半ば諦めていたけど、今ので完全に幻滅したわ」
「幻滅か。どうやら、俺は大した人物だと思われていたらしいな」
芭皇は口元を緩める。
「大した人物だと思って当然でしょ、あの殺人王なんだから」
椎奈は非難めいた言い方をする。
「アタシは、あなたに憧れて殺し屋になった。あなたのような殺し屋になりたいと、ずっと思ってきたのよ」
「お前、殺し屋か。随分と時代は変わったもんだな。俺が現役の頃は、お前みたいな殺し屋はいなかったよ」
椎奈の全身をなめるように眺めて、芭皇が言う。
「まさか殺人王が、こんな惨めな暮らしをしているとは。落ちぶれたものね」
「おい、落ちぶれたなんて、とんでもない。俺は、好きでホームレスをやってるんだ。毎日を楽しく暮らしている。惨めなんて、失礼な」
「おまけに、変態DVDで収入を得るなんて」
椎奈は、顔をしかめた。
「それだって、好きでやってるんだ。他人にどうこう言われる筋合いは無いね。大体、俺に憧れていたにしては、掌を返したような態度だな」
「強く憧れてたからこそ、その反動が大きいのよ。あなた、伝説の殺し屋なのよ。今でも多くの殺し屋が崇めるほどの人物なのよ。それが、何をやってるのよ」
「他の殺し屋がどう思っていようと、そんなのは知らん。それに、俺は10年も前に足を洗ったんだぞ。今さら、昔のことを持ち出されても困る」
「本当ね。その通りだわ」
椎奈は、深くうなずいた。
「会うまでは、今も殺し屋の腕は鈍っていないはずだと、そう思っていたわ。でも、会ってみて分かったわ。あなたは、もう過去の人だとね」
「ああ、過去の人だ。殺し屋稼業は、とっくの昔に店じまいさ」
突き放すように芭皇が言う。
「最低だわ。あなたのポリシーに感銘を受けて、アタシも殺しの時に銃を使っていないぐらいなのに」
「ポリシー?何のことだ」
「あなたは殺しの時、絶対に銃は使わないというポリシーを持っていたでしょ」
「いや、確かに銃は使わなかったが、別にポリシーではないぞ」
芭皇は首をひねる。
「だが、お前がそう思っているということは、そんな風に話が広まっているのか。噂というのは恐ろしいものだな」
「ポリシーじゃないのなら、どうして銃を使わなかったのよ?」
「単純に、射撃の腕が恐ろしく下手だったんだ」
軽い調子で、芭皇が答えた。
「はあっ?」
椎奈は、思わず間の抜けた声を発した。
「最初は、俺も銃を使おうとしたんだ。ところが、いざ使ってみると、幾ら撃っても的に当たらない。練習を積んでみたが、全く上達しないんだ。だから、すぐに諦めた。それだけのことだ」
「じゃあ、別に銃を使わない美学があるとか、そういうことじゃないの?」
「いいや、全然」
芭皇は、あっさりと言った。
「何てこと」
椎奈は額に手を当てて、嘆いた。
「こんな人に憧れていたなんて、自分が恥ずかしい」
「そう落ち込むなよ。人生、そう上手く行くわけじゃない」
「あなたに慰めてもらっても、もっと情けなくなるだけよ」
椎奈は、芭皇をキッと睨んだ。
それから何かを吹っ切るように、頭を激しく左右に振った。
「ええい、だけど仕方ないわ。アタシの任務は、あなたをボスの元に連れて行くこと。残念だけど、あなたが期待外れの人物であっても、任務は遂行しなければいけない」
「ひどい言われ方だよ、全く」
芭皇は苦笑した。
「まあ、何を期待していたのかは知らないが、そもそも俺に期待するのが間違いだったということだな」
「だけど、ボスはあなたに随分と期待しているみたいね」
「きっとバカなんだろうな。さてと」
言葉を途中で止め、芭皇は腰を上げた。
「では、出掛けるとするか、お前のボスの所へ」