不思議と暖かい
―6日目
健司は酷い空腹で目が覚めた、外は吹雪だが湯船の温度はまだ暖かい、夜通し体温は下がることなく過ごすことが出来た。
しかし湯船から出ていた頭や睫毛はガチガチに氷が付いていた。顔を湯船に潜らせて溶解させていく、睫毛に氷がつくなんて外の気温は一体何度なのか想像がつかない。
空は暗くまだ強い吹雪で荒れている、これでは湯船から上がったら体温の低下を気にしなければならないだろう。
この数日間で80キロは移動しているはずなのに未だに川が暖かいのはどういう理屈だろうか、火山の外周に沿って歩いているのだろうか。
この数日間でわかった事は川の中心部に近いほど熱いという事だ、川幅は相変わらず10メートル前後で深さは精々腰くらいまで。
岩場も多く対岸に渡るのはそれほど苦労しない、この寒い気候が川を程よく冷ましているのは間違いなかった。
健司は湯から上がろうと試みたが、気温は非常識に低かった。経験したことのない寒さはハンカチを薄く凍らせてしまうほどだった。
これでは短時間で凍えてしまう、仕方なく健司は川の流れに任せて泳ぐ決断をした。
夏服の薄手のズボンを使い、ビジネスバックを頭に括りつけた。ストック代わりの枝を使って自らの支えにして川の中を歩くように、時に流されようにして川を下って行った。
ビジネスバックを濡らさないように歩くのはそれはそれで疲れてしまう、おまけに仕方が無いとはいえ、全裸で行動する。
地球ですら無いこの星ではどんな生物がいるか分かったものでは無い、人間が居るのかどうかすら怪しい。
人に会えたとして、どんな言い訳をすればいいのか、いや言い訳は出来るけど、…出来ないな。
そんな色々な恐怖と闘いながら健司は進むしか無かった。
それにしてもお腹が空いた、なかなか苦しい、すぐに息が上がる。
凍えるよりはマシだが体温がやや高い状態になるのもそれはそれで健司の体力を消耗する。
限界が近いことを感じていた。
生きるだけならまだしも、歩く事が出来るのは、後どれくらいだろうか。
考えたく無い恐怖が健司を襲う、意志の力で振り払うには体力も精神も磨耗していた。
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………………………………………………頭が暖かい?
暖かい…暖かい、暖かい?暖かい!暖かいだと!?
健司は川辺に飛び出した、頭くくりつけたビジネスバックが何故か暖かいのだ、首と頭に鞄を括り付けたズボンを解いていく。
ビジネスバックを地面に置く。
ビジネスバックを開………かない!
ああもどかしい!
開けた!
ビジネスバックから暖かい空気が溢れ出す、健司をカバー出来るだけの暖かい空気、凍えるような吹雪はそこだけは暖かい空気に包まれて春のような暖かさだった。
そして確認した、卵が暖かい、そんな馬鹿な!
健司は地球ですら無いこの星の出来事として自分の常識を捨てて受け入れるしか無かった。
冷静に考えてこの暖かさなら服を着る事ができる、ビジネスバックにしまった服は全て乾いていた。
体を拭き、夏服のビジネススーツを着る、半袖のワイシャツに薄手のズボンで見た目は寒そうだが、卵のおかげで春のように暖かかった。
健司は卵をワイシャツの胸ポケットに入れた、こぼれ落ちては困るので安全ピンで胸ポケットの口を閉じた。
これで健司の周りの空気は全て春のようになっている、鶏の卵の三分の一くらいの大きさしか無いその卵は健司にいくつもの驚きをもたらすのであった。
すぐに気が付いたのは健司を中心に雪が勢い良く解けていく事だ。
3メートルはあろうかという雪壁に近寄るとジュウジュウと雪壁が溶けていく。
雪の進行をそれ以上全く許さないその空間は健司の歩行を快適にした。
また、空腹が満たされるわけでは無いのだが、疲労や疲れが和らぐのだ。
徐々に体力が回復し元気になっていく、弱りかけていく意識が回復していくのがよくわかるのだ。
絶好調の状態とは言えないが健司は温水の川を下っていくのであった。
その日は日が落ちても歩き続けた。
あまりひどく疲れない、副作用とかあったら怖いと思う事もあったが、とにかく人かまともな知的生命体に会いたいと思う気持ちが強かったのだ。
その日は間違いなく30キロは歩いていた。
疲労はそれほど無く、転けても怪我が少しづつ治ってしまうのだ。
常識的に考えば、この様な事は考えられない。
一体この卵は何なのだろうか、落ちてあった場所が火災現場、何事か思いつく事はあったが、とりあえず考えても仕方が無いので一旦その事は置いておく事にした。
疲労は少なく眠気もあまり無いのだがが、一応念のため寝ておく事にした。
卵の周囲は快適な空間である為、健司は川辺の適当な岩の上で寝ることにした。
「おなかすいたなぁ…。」
身体中に、不思議な栄養のような物が行き渡っているのを感じる。
でもおなかがすいた。