状況を打開しなければ。
昨晩は健司にとってとても厳しく苦しい11時間だった。
ようやく行動を開始出来るようになった頃には時刻はそろそろ昼になろうとしていた。
健司は雪壁を崩しつつ雪を踏み固めて雪を登り始めた、しかし一歩一歩に時間が掛かってしまう。
雪をかき分ける指先にも無理はさせられない、吐息とマッサージを定期的に行い、指先の血流の状態に気を遣った。
そうこうしつつようやく雪の上に体が出た時、改めてこの気象の異常さを痛感するのであった。
来たばかりの時は枯れ葉の多い針葉樹林で覆われた密度の深い森であったはず、しかし今はその光景が一変していた。
一面まっさらな雪景色である、3メートル近くまで積もった雪は健司の視点を地面より高くした。
健司はふと針葉樹林の枝の状態を見て違和感を感じた、上から下までとても枝が多いのである。
回りの木々の背の高さもそこまで背が高くない、という事は枝打ちといった整備が全くされて無いという事だ。
現代日本において考えにくい事である、どんな山奥であったとしても人が入れる場所の木は枝打ちがされる物である。
そこから判断で出来る事がある、状況はいまだ最悪だという事だ、ここに人が来る事は絶対に無い、じっとして居ても間違いなく助けは来ない。
健司は既にかなりの体力を消耗している、水分を接種したいのだが低体温症が怖いので雪を口に含み湿らす程度にしておいた。
健司の住んでいた場所はどこまで行っても住宅地だった筈だ、1時間や2時間それどころか3時間歩いたところで森などない。
本来ならばどこまで行っても健司のいる場所は住宅地であるはずなのだ。
しかし既に凍えながら遭難しており、命の危険に差し迫った状態である、だから健司はもうとっくに甘い考えは捨てていた。
まだ体力が残っている内に、そして冷静に考える事が出来る内に、健司は人が居る場所を探す手段を考えた。
はっきり言おう、健司はサバイバルの知識など無い、全くもって素人もいい所である、だが置かれた状況が健司を必死に考えさせたのだった。
そうだ、川を探そう、すくなくとも川を下れば人が居る場所に行けるはずだ。
ここはかなり深い森だが、山に近いのか遠いのか、判断が難しい、しかし雪のおかげで視点が高い位置に上がった事で見えてくる物もある筈だ。
健司は周りを見渡した、あたり一面銀世界、どうやら巨大な山の近くに健司はいる様だ、その巨大な山の麓の辺りであるようだ。
更に山の稜線が見える、風景を観察し山の稜線の交差するへこんだ場所が見えた、そこに川があれば御の字だ。
そして更にぐるりと見まわす、反対側には山がない、がむしゃらに森を突き進むのはあまりにも危険で無謀すぎると判断した。
結果として人のいる場所から離れてしまう可能性が高いが、一先ずこれは山に向かった方がいいだろう。
健司は近くの木の枝にしがみつき、体重と足を掛けた、ミシミシと音を立てて長い枝を2本折った。
これを2本の杖とした、スキーのストックと言うほどではないが、この雪の上を歩く為には必要な道具だ。
健司は雪の上をかき分けながら進んだ、一晩で積もった雪はやはりまだ柔らかくてどうしても足が沈む。
杖を駆使しても進行速度はあまり改善しなかったが、幸いにも太陽が見えるようになった。
寒い事は一旦無理矢理忘れよう、この歩きにくい雪原をかき分けながら進めば体温は上がるはずだ。
さて一体どれ位で行動不能になるだろうか、健司のお腹にはまあまあいい感じに若干脂肪が多めにある。
行動不能になる前に可能な限り出来る事をしたい、健司はかき分けて歩む速度を上げた。
―5時間後
何か不思議な匂いがする、どこかで嗅いだことがあるような、そして川の音がする。
自然とかき分けて歩む速度が上がる。
一歩毎に太ももまで足が沈むのだから実際早いわけではないのだが、いてもたってもいられなかったのだ。
遂に雪を抜けると川が見えた、川幅は差し渡し10メートルと言ったところか、なんとなく湯気が出ているようにも見える。
もはや中身が役に立つとは思えないが、ビジネスバッグを肩に掛けなおすと川の水を確認した。
「うそだろ・・・・暖かい!!」
本当に信じられない事だが川が暖かかった。
少し熱い所もある、火山活動でもあるのだろうか、川は一面に湯気を立てていた。
水の味はこれと言って異常はないが、温泉独特の匂いと味がした。
川の温水を飲むと体が芯から温まる感じがした。
川のおかげで川辺の雪は解けていたので、ようやく座る事が出来る岩場を見つけて腰を下ろした。
腕も足も酷使しすぎてパンパンに腫れていた、さらに寒さで血流も悪くなっていた。
ズボンは雪がたくさん付着してしまう為、体温によって解けて濡れてしまい水になり余計に体温と体力を奪い去ろうとしていた。
健司は服や鞄を脱いで岩場に乗せた。
全裸である為、肌寒いのは今更だがこれで乾かすことも出来る。
川の熱い場所を探して温度を調整していく、野外風呂になるがこれで体を温めれば体力を幾分は回復できるだろう。
小岩をかき集めて湯船を作って湯量を調整していく、深さはあまりないが寝転ぶようにすれば全身を浸かる事が出来る。
「ふぅぅぅぅぅう…………………………」
気持ちが良くて思わず唸ってしまう。
湯船に浸かる事で体の状態を確認する余裕が生まれた、手や足の指先を見ると血流がよくなってきたのか赤くなっている。
筋肉痛を引きずらない為にも全身の筋肉をよく揉んで筋肉痛を和らげてあげる必要がある。
生暖かい風呂に入った事によりあまりにも気持ちが良くて健司はそのまま寝てしまった。
健司は冷静な振りをしつつも、体力は限界だったのだ。
―朝になった、時刻は7時くらいだろうか。
体は芯から温まっている、ちょっとやそっと湯から上がっても寒さが気持ちいいぐらいだ。
岩場に登り、ハンカチを取り出す、全身を拭いて行く。
吸水能力の高い特殊なハンカチなのだが、流石に全身ではすぐに水分を吸いきってしまう。
絞っては拭く、絞っては拭く。
干してあった服を確認する、若干湿気はあるが、着ていれば乾くだろう。
靴下も靴も下着もこれなら許容できるレベルだ。
服を着終えた健司は、川の流れを観察した。
川の流れは比較的穏やかだ、川沿いは温泉の湯気と熱気で雪が解けている。
歩くのも問題なさそうだ、まわりは渓谷のような場所である、この様な傾斜の厳しい場所の上流に向かうのは得策ではないだろう、
健司は川の流れに沿って岩場を歩き始めた。