1日目 –––あと2ヶ月。
俺は今、数百メートル上空を落ちていっているが、とにかく物語の始まりはその数分前だった。
***
「誠に残念ながら、あと2ヶ月後には絶対に死ぬでしょう」
「ふぁっ?」
唐突に言われた言葉に、思わず声が裏返った。目の前に座る歳のいった医師のじいさんは、淡々と、
「あと2ヶ月です。強いて言うならば、あと60日です」
どうでも良さそうに(カッコつけて)また言った。
隣に立っていた副官的存在のレビスがその言葉を聞いた瞬間、どこからか出した黒いハンカチでカッコつけたように目元を拭い始めた。
「そんな……2000年前に魔王として君臨なさってから、迎えた勇者は約3000人を超え、その全てをぶっ潰して来た魔王様が、まさかそんな……」
「いやいや、お前いろいろ間違ってるよ。俺魔王になったのちょうど1800年前だし、来た勇者だって2547人だ。それに、俺は1度だけ勇者に負けてるじゃねぇか」
「あんなの、負けたうちにはいらないでしょうっ!」
急に大声を出すものだから、俺はベットの上でビクッと跳ねた。–––思うんだけど、俺の寿命縮めたいの? こいつ
医者のじいさんは、これから修羅場になるのを察知したのか、すぐさま身支度を済ませて出て行ってしまった。つまり俺は今1人。つまり俺は今大ピンチっつーわけだ。
「あの勇者は夕食に毒物を混ぜて、それで弱った魔王様に解毒剤をやるかわりに降伏しろなんて言ったんですよ⁉︎ あいつの方が悪魔ですよっ! あのクソ勇者ぁぁぁッ‼︎」
「お、おいおい、落ち着けって」
ヒステリックに暴れ始めたレビスをなだめるものの、全く収まる気配はなくて、そしてその矛先がなぜか俺の方に向いてきた。
「魔王様! まさか今朝の朝食に毒物が混ぜられていたのでは⁉︎ あのクソ勇者ならありえます! 今すぐ胃の中のものを全て吐き出してくださいッ‼︎」
「おいっ! バカ、やめろ‼︎」
手を無理矢理喉に突っ込み、俺の胃の中のものをマジで吐き出させようとする。てか、レビスの爪は長いから、俺の喉に遠慮なく突き刺さってくる。––––いやもうこれは、俺を殺すつもりだろ! 確実に殺される‼︎
俺はレビスの腕を無理矢理払い退けると、ベットから飛び降り、窓から飛び降りた。1週間前から休んでいた勇者受付も、もう2ヶ月延期しなければな。俺は飛び降りる直前に、レビスに向かって叫んだ。
「俺、残りの人生(ここは、魔生と言うべきか?)自由にしてくっから。あとよろしく!」
「はぁ⁉︎ ちょっと、魔王様ぁぁぁっ⁉︎」
––––はい。とまぁ、そんなこんなで回想終わり。冒頭に戻って、俺は落下中なのだ。さっきまで寝てたわけだから、軽装で魔王城(と、レビスが言ってるだけだが)の門の外に着地。ズシンと振動が響く。砂埃をはらってから上を見ると、俺が落ちた窓からレビスが叫んでいた。まぁ、何を叫んでいるかまでは分からねぇけど。
辺りはもう夕焼けのせいで赤く染められ始めている。
「さて、と。あと2ヶ月か……。何すっかなぁ」
思い返せば、俺は前魔王––––つまりは親父に拾われた頃からずーっと魔王として育てられてきたから、こういう時どうすればいいのか全くわからねぇ––––と、思ったけど。いいアイデアが浮かんだ。漫画でいえば、頭上にある豆電球がピカッと光ったような閃き。
天才的閃き。魔王だけど。
「あぁ、そうだ。あいつに会いに行けばいいんじゃん」
ポンっと手を打ち、俺は魔王城からそう遠くない町を目指して歩き始めた。きっとあいつはその町で片手に揚げパン持って釣りでもしてるんだろう。
そんな当たり障りのない予想立てて町に向かってみれば––––予想通りっつーか、あまりにも予想が的中し過ぎてちょっと気持ち悪くなった。そいつは片手に揚げパンを持って、町に面した湖でのんびりと––––もしくはやる気がなさそうに釣り糸を垂らしていた。
「……ホント、なんで俺はこんな奴に負けたんだろうな……」
「ん? その声は魔王さんですか? どうもお久しぶりです。もうとっくに毒殺されていたかと思ってました」
「魔王に毒盛るのなんて、お前ぐらいだよ」
「お褒めにあずかり光栄です。そしてそのままお帰りくださいませ。魔王様なんかに貴重な時間を使ってやるほど器の大きい男じゃないんですよ、俺は」
「……相変わらずだな、ホント」
悪意のこもってない嫌味を軽く受け流し、俺はそいつの隣に腰掛けた。とんがり帽子をかぶった元勇者–––もしかしたら、今も勇者としての活動は最低限してるかもしれないが–––のアスタは、相変わらずの塩対応で俺に話しかけてくる。
「それにしても、城の外で会うのは初めてですね。あ、城じゃなくて魔王城でしたっけ?」
「どっちでもいいよ。とにかく、今回は頼みがあるんだ」
「どうぞなんなりと。お代は高く付きますよ。––––利子付きで」
目を合わせようとせず、しかし口元にはニヤリと悪そうな笑みを浮かべた。俺が知っている限り、誰よりも1番やる気のない勇者だ。そして、1番悪魔に近い勇者でもある。つーか、悪魔だと思う。
「まぁ、冗談はさておき。いつもは俺を呼び出す魔王さまがわざわざ俺を訪ねるなんて珍しいですね。なんかヤバイことでもあったんですか?」
「いや、どうやら……俺の寿命はあと2ヶ月らしいんだ……」
「ふぅん。それでどうかしましたか?」
あれ。俺、結構深刻そうに言ったよね? なんでこいつこんなに軽いの? 魔王死んじゃったら寂しくね?––––と思ったけど、よくよく考えてみればこいつはこーゆー奴だった。無駄に深刻ぶるのはやめよっと。
「だから、最後くらいは普通に生活したいと思ったんだが……そもそも、俺自身が普通じゃないからな。っつーわけで、お前を頼ってみた」
「それはそれは。傍迷惑な事を俺に押し付けたってわけですか。どうもありがたくありません」
「言葉がものすごく変だが、まぁそこはスルーしといてやる。とにかく、あとちょっとしか時間ねぇから俺に付き合え」
「え……いや、角生やしてるのは萌えますけど、俺どっちかっていうと筋肉ムキムキの男より可愛い女の子の方が好きなんで。てか、生理的に無理ですね。––––あ、でもショタだったら別にヤれなくはないけど……」
「やめろやめろ、話が生々しすぎる。てか、そういう意味じゃなくて、俺に普通を教えてくれっつーことだよ」
「なんだ、そーゆー事でしたか。それならそうと早く言って欲しかったですね。いろいろ想像しちゃいましたよ」
「やめろよ。鳥肌がたっちまった」
「あ、知ってますか。県によっては鳥肌を《さぶイボ》と言うらしいですよ」
「お前それ、現実世界の話になってるから。俺らは一応空想世界で生きてるわけだから、あんまそーゆー話持ち込むなよ」
あぁ、そうですねと大して悪びれた様子もなく呟くと同時に、アスタは勢いよく竿を引き上げた。その糸の先には、赤い鱗の30センチほどの魚がぶら下がっていた。
「じゃあ、魚も釣れたし行きますかね」
「行くって、どこにだよ」
「もちろん、俺の家ですよ。魔王さまさま」
「《さま》が多い」
「じゃあ、まお」
「……さっきのに戻してくれ」
「了解しました。では、魔王さまさま、俺のご実家までご案内ごいたしましょう。俺はごのんびりご歩きますから。ごちゃんとごついてごこないとご迷子にごなりますごからねご」
「お前無駄に《ご》が多いな」
しかし、そんな俺のツッコミを無視して、ピチピチと跳ねる生きのいい魚をぶら下げたままアスタは歩き始めた。俺もその後を追いながら、どのくらいの距離を歩く事になるかと予想していたら、急にアスタが立ち止まった。
「? どうした? お前もとうとう呪われたか?」
「んなことないですよ。むしろ呪われるとしたら魔王さまさまの方でしょう。着きましたよ」
「……………………………ん?」
「だから、家に着きました。別に嫌ならいいんですけど」
……今、歩いて30秒も経ってないけど。
「別に遠くに家があるだなんて、俺は言ってないですけど。魔王さまさまが勝手に妄想したんでしょう」
「妄想っつー言い方はやめてくれ。せめて想像って言ってくれ」
「まぁ、どうでもいいですけど。どうぞ」
「……お邪魔します……」
低いドアを身をかがめて恐る恐る中に入ったのだが、角が当たってしまった。壊さないでくださいよ、と言われてしまった。
悪魔みたいなアスタの家だ。きっと何かしら恐ろしい罠でもあるに違いない––––と思ったが、いたって(人間達にとっては)普通の家だった。
「罠はない……みたいだな」
「失礼ですね。俺を悪魔かなんかだと思ってるんですか?」
「あぁ。悪魔よりも卑怯な悪魔だと思ってる」
「ひどいです。俺は普通の真面目な好青年なのに」
「どこがだよ!」
思わず大声を出してしまった俺を、耳を塞いで心底ウザそうに見つめながらアスタは言った。
「うるさいです。だまれです。うざいです。もう少し静かにできませんかです。……なんて、通じませんよね。まぁいいや。とにかく、普通は何をするかを教えてあげますから、そこ座ってください」
恐る恐る座る俺を無視して、メモとペンを取り出したアスタは、サラサラと恐るべきスピードで何かを書き始めた。20秒ほどで10センチ×12センチほどの用紙にビッシリと書き詰められたそれを俺の眼前に突き出すと、アスタは先ほどまで無表情だった顔にニッコリと笑顔を浮かべた。
「これが、普通の人が普通にやることです。魔王さまさまはこれから、俺の命令にしっかりと従ってくださいね」
その微笑みを前にも見た気がしたと思ったが、それは俺が毒を盛られた時に、こいつが解毒剤をやる代わりに降伏しろと言った時と同じだった。
うわぁ。もしかして俺、今すごいヤバいんじゃねーか?
今更後悔し始めた俺に、まだあの嫌な微笑みを向けてアスタは言った。
「では、今日はもう寝ましょう。活動するのは明日からです。そこら辺の床で寝ていてください。それでは、おやすみなさい。魔王さまさま」
悪魔は無表情になってそのまま部屋に入って行った。1人取り残された俺は小さくため息を吐いた。
–––––––––––俺の人生、残り60日。