第五章 巫女のお告げ
昼下がり、空には雲一つない良い天気だった。
タンベリーの村からなだらかな下りの道をゆるゆると下りていくと、やがて町まで続く街道に出る。街道沿いには川が流れていて、そこには小さな風車が点々と置かれており、柔らかな風を受けて静かに回っている。
水の流れる音を聞きながら、モアナはソランに訊いた。
「お兄様、これからどうしますの?」
モアナが振り返って問うと、ソランはうーんと唸った。
「ジルカの町に行ってみようと思う」
ジルカの町、とモアナは繰り返した。
「ジルカの町ですの? もしかして、そこに塔があるのですか?」
「ああ」
とソランの代わりに、デュークが答えた。
「ジルカの町に、突然、謎の塔が現れたという噂がある。 リシアの村の時のようにな」
リシアの村と聞いて、ソランは表情を少し曇らせる。
「・・・・・リシアの村の時のような惨状になる前に、何とかして先に塔を開放させないと!」
「うむ。 また、魔神や破壊神どもに邪魔される前に、即急に塔を開放させねばいかぬな!」
アトリはソランとは別の意味で賛同的だ。
ソランは塔のことでひとつ気になっていたことを訊ねてみることにした。
「ところで、その塔のことだけど・・・・・」
「うむ?」
「開放されていない塔って、あとどのくらいあるんだ?」
「そんなに多くはない。 あと二箇所ほどだ」
「そうなんだ・・・・・」
あんまりにもあっさりとした返答に、ソランにはもうひとつ気になることができたので再び、訊ねてみることにした。
「じゃあ、アトリちゃんは今、どのくらい塔を開放しているんだ?」
「一箇所だ」
「・・・・・・・・・・え?」
ソランが言葉を発するまでに、しばらくの時間がかかってしまった。
「・・・・・そ、それだけっ!?」
「魔神メフィストは十箇所、破壊神デリトロスは五箇所と、まあ、我はいささか出遅れているのかもしれん!」
「・・・・・い、いや、いささかどころか、かなり出遅れていると思うんだけど・・・・・」
ソランの言葉に、アトリは不快げに眉根を寄せた。
「何を言うか! これからどんどん増やしていけばいいのだ!! 魔神メフィストの数十倍も夢ではなかろう!!」
吠えまくるアトリの姿を横目で見ながら、ソランは軽く嘆息した。
あと、二箇所ほどしかないのに、数十倍は絶対にありえないと思う・・・・・。
ソランはしみじみとそう思うのだった。
ジルカの町は人口は数百人程度であまり規模は大きくない。しかし、神の子と呼ばれている常闇姫が居住まう町として多くの参拝客が大聖堂へと行き来していた。
そして、今日はジルカの町に伝わる三月に一度の降臨祭の日でもある――。
それは常闇姫による聖なる行進が町を清め、町人達は大聖堂で常闇姫であるカナリア様の舞いと神のお告げを聞くという宗教的なお祭りである。
フエリセーナ帝国でも人の多さには驚いてしまったが、ここは別の意味で驚愕してしまった。
「すごい人だな・・・・・」
「本当ですわね、お兄様・・・・・」
ソランの一言に、モアナは相づちを返した。
降臨祭って、一体、どんな感じなのだろうか?
見てみたいと思う気持ちを抑えられずに興味津々に周囲を伺うソラン達を見て、アトリは憤りもはなはなしいといった感じで言った。
「貴様ら、何をぼっ―としておる! そんなことよりも塔を見つけるのが先だ!」
「・・・・・そ、そう言われても、肝心の塔がどこにあるのか分からないんじゃ探しようがない気がするんだけど・・・・・」
「それを何とかするのが貴様の役目だ!」
アトリに何とか苦情を言おうとしたバルレルだったが、あっさりと撤回されてしまう。
大きく深い溜息をつくと、バルレルは再び周囲を見渡した。煉瓦造りの建物が並び、中央の大通りを馬車が進んでいく。その先に大きな大聖堂が建っていた。
視線を転じて、バルレルはアトリに向かって声をかける。
「ねえ、アトリちゃん・・・・・」
「なんだ?」
「大聖堂に行ってみたらどうかな?」
「バルレル、貴様、まだ!」
「わわわっ! 待った待った!」
肩を震わせて今にも平手打ちを放とうとするアトリを、バルレルは急いで呼び止めた。
「僕はただ、あの大聖堂に行けば、常闇姫様のお告げを聞けるから何か分かるんじゃないかな、と思っただけだよ!」
「・・・・・・・・・・・」
意外なところを突かれた、という顔をアトリはした。
ソランとモアナの二人も、興味津々の顔でバルレルを見ている。
バルレルは言った。
「ひょっとしたら、塔の場所もお告げに含まれているかもしれないしね」
「うむ・・・・・」
「だから、行ってみる価値はあるんじゃないかな?」
呻いたかと思うと、アトリはバルレルに歩み寄ってきた。「何を下らんことを言っておる!」とか言ってまた平手打ちを放ってくるのかと思ったら、アトリは満面の笑顔をバルレルに向けていった。
「それは盲点だった! 素晴らしい、素晴らしいぞ、バルレル!! 神の子である常闇姫すら利用しようというその過激さ! 極悪さ! 非道さ! さすがは我の使い手の一人だ!」
「そ、そう、嬉しいな、ははは・・・・・」
あまり嬉しそうもない返事だったが、アトリは気にもせずに頷くと、ソラン、モアナ、バルレル、デュークの四人に視線を巡らせ、宣言した。
「そうと決まれはさっさと行くぞ! その常闇姫とやらのお告げを聞きにいくのだ!」
そういうわけで、ソラン達は大聖堂へと向かうことになったのだった。
ちなみに出発前、バルレルさんが、俺達に向かって少し嬉しそうに手を振ったことは、もちろんアトリちゃんには内緒だ。まあ、デュークさんは少し、呆れたように見てはいたが。
大聖堂の扉の向こうに広がっていたのは、薄暗い石畳の広いホールだった。周りの壁にはランタンがうっすらと灯している。
「お告げって、こんな薄暗い場所でやるのか?」
ソランがそうつぶやいた途端、奥の舞台に明かりが灯した。そして、そこから現れたのは亜麻色の髪に澄んだ森のようなつぶらな瞳の少女だった。恐らく、彼女が常闇姫と呼ばれている神の子、カナリア=リズゼッタだろう。
カナリアはをリンと鳴らしながらゆっくりと舞っていった。それは神楽についている鈴音が鳴ると同時に、彼女の周りに淡い白い光を一つ一つ溢れさせていく。
その時、突然、風が吹いた。カナリアの髪に結んだリボンが風に舞う。そして、それを拾う一人の少女。
多くの参杯客や神官が見守る中で、そこだけが空気が違ってみえた。それは、室内なのに風が吹いたという理由だけではない。
その少女は黒いワンピースを着ていた。金色の髪に、印象的な赤色の目。その風貌はどこか異質だった。まるで日常の中に紛れ込んだ夢のように非現実的だった。
「・・・・・・・・・・あの人って?」
「・・・・・マナベルっ!?」
ソランがそうつぶやいた時、デュークの表情が変わった。それを横で聞いたアトリ達も、ソランの視線を追い、その相手を見る。
いじらしいほど可愛らしい顔立ちをしたその少女も、ソラン達を見つめていた。
幻想的なその眼差し。その唇が笑みにほころんだとき、どん、と石畳を打つ轟音がした。
「魔物が出たァァ――ッ!!」
叫び声に、ホールにいた人達が浮き足立つ。あっという間に混乱が広がっていく。
ソランは彼女に声をかけようと思ったのだが、人ごみにまぎれて近づくことができないでいた。
「お兄様、何していますの! 早く逃げないと!」
モアナに腕を引かれて大聖堂の外に出てみると、そこは逃げ惑う人々で溢れかえっていた。人々が大声を上げ、通りを走り出すのにソランが一瞬気を取られた間に、少女の姿は人の群れに紛れ、あっという間に見えなくなった。
「何が現れた?」
デュークは大聖堂から出ると、走り去ろうとしている男を捕まえて問うた。すると、
「わからん・・・・・あんなおっかないの、見たことねぇよ!」
と叫んで、男は全力で駆けていった。
門の方向からは悲鳴が聞こえ始めた。
「助けないと!」
「待て!」
今にも駆け出していこうとするソランを、アトリは憮然な態度で呼び止めた。
ソランは思わず、黙っていられなくなって叫んでいた。
「何でだよ! 助けないと!」
「この騒ぎ、恐らくは魔神の使い手の仕業だろう。 貴様一人、行ってどうにかなる相手ではない。 それよりも一刻も早く塔を見つけるのが先決だ」
「こんな時に塔とか言っている場合じゃないだろう!」
「塔さえ見つけて開放してしまえば、奴らもこんな町などに構ってはいない。 塔の方を優先するだろう」
「あっ・・・・・」
アトリに指摘されて、ソランはハッとする。
その表情に納得いったかのように頷くと、アトリは右拳を突き上げて叫んだ。
「・・・・・そうと決まれば、さっさと塔を探すぞ! 奴らより早く、塔を見つけるのだ!」
「・・・・・・・・・・」
だが、アトリにそう告げられても、ソランはうつむいたまま、動こうとはしなかった。
不思議に思ったモアナが首を傾げて訊いた。
「どうしたのですの? お兄様」
「やっぱり、このまま放っておくことなんかできない!」
真剣な眼差しのまま、そう告げると、ソランは脇目も振らずに人ごみの中へと走り出した。
「お兄様!」
「ソラン!」
その背中を追って、モアナだけではなく、デュークも駆け出していく。
「貴様ら、何をしておる! さっさと戻ってこい!」
アトリがその背中に叫んだが、後半部分は届いていなかったかもしれない。ソラン達の姿は人の群れに紛れ、あっという間に見えなくなった。
一人、その場にただずんでいたバルレルはぽつりとつぶやいた。
「・・・・・えっと、これからどうすれば?」
「決まっておる! 貴様一人で塔を探すのだ!」
「・・・・・やっぱり、そうなるんだ」
アトリの一喝に、バルレルは瞳に涙を溜めて頷いた。
「お兄様、待って下さいですわ!」
モアナが先に進むソランに声をかける。その声を聞いて、ようやくソランはモアナとデュークが自分を追ってきたことに気づく。
「モアナ! デュークさん!」
呆気に取られたような眼差しでこちらを見つめているソランに対して、モアナは俄然やるせないといった表情で言った。
「一人で行くなんて無茶ですわ!」
「ああ。 相手はあの魔神メフィストとその使い手だ。 どんな罠が待ち構えているか分からない」
デュークがきっぱりとそう告げる。
ソランは焦るような小走りだったが、歩幅を緩め、
「・・・・・う、うん。 そうだよな、ごめん・・・・・」
と素直に謝った。だがすぐに、
「でも・・・・・」
と、ソランはそう言葉を濁した。
そんなソランの様子を見て、デュークは言った。
「気になるのか? 門の方に現れたという魔物のことが」
「あっ、うん・・・・・。 でも、今の俺の力じゃ、きっと歯が立たないんだろうな・・・・・」
デュークに見抜かれて、ソランはぐっと唇を噛みしめる。
モアナ達に止められるまでは魔神の使い手と戦う覚悟を決めていたはずなのに、今は何故か、とても勝てる気がしない。それはきっと、あのリシアの村での惨状が甦ってきたせいなのだろう。
デュークは一度、目を伏せるが、すぐにソランを見て告げた。
「なら、俺も一緒に行こう!」
「えっ?」
ソランは驚いた。
てっきり、アトリちゃんのところに戻って塔を探すべきだと言われるのだと思っていたからだ。
畳みかけるようにモアナも叫んだ。
「もちろん、私も一緒に行きますわ!」
「えっ? ええええええええええっ!?!?」
ソランはさらにいや、それ以上に驚愕した。だが、モアナは何処までも本気である。
「私がお兄様とともに行くのは当然ですわ! 確かに私には戦う力なんてありませんが、それでも私はお兄様のそばにいたいのですわ!」
「魔神メフィストとその使い手達のやり方には許しがたいものがある! これ以上の被害を出さぬうちに、魔神の使い手達を倒すべきだ!」
「モアナ、デュークさん、ありがとう・・・・・」
ソランは嬉しそうに感謝の言葉を述べる。
「・・・・・・・・・・でも、モアナはアトリちゃん達のところに残った方がいいんじゃ――」
「良くないですわ!」
不安げなソランの言葉をさえぎって、モアナはきっぱりと断言した。
俄然、譲る気はないらしい。
まあ、そういう方がモアナらしいな・・・・・。
ソランは場違いとは思いながらも、しみじみとそう思った。
身を護るすべのないモアナは明らかに危険きわまりないのだが、それでも行くと突っぱねるモアナを見て、ソランは思わず、苦笑してしまう。
ソラン達は頷き合うと、そのまま門に向かおうとする。異変が起きたのはその時だった。
顔を上げると同時に遠方から褐色の光が三人に射し込みかけ、デュークはハッとして叫ぶ。
「あの光はまさか・・・・・グリフォンの咆哮!? まずい!」
焦燥の混じった声とともに、デュークは光からかばうようにソラン達の前に立ち塞がった。
「ぐっ!」
デュークは光を剣で払おうと腕を動かすが、完全には払いきれず、そのまま吹き飛ばされた。
「デューク!?」
ソランは絶句する。そして見る見るうちに顔色は蒼白に変わっていった。
何故なら、光の差し込んだ方角から、数百、いや数千もの巨悪な魔物達が姿を現したからだ。
「あ、あれは――」
「ふぅ〜ん♪」
天真爛漫とした誰何の声が、ソランの台詞を遮断した。
もしかして、魔神の使い手に見つかった?
ソランは剣を構えると、声の主の方へ向き直った。 それは美麗なピンク色の髪を赤いリボンで結び、青いワンピースに身を包んだ少女だった。モアナより一つ年下くらいだろうか。特注のわらで作ったらしいボサボサのほうきを持っている。
彼女は興味津々な目でソランを見据えると、ちょっと意外そうにつぶやいた。
「てっきり、新たな邪神の使い手となったあなたが何かしてくれるとばかりに思っていたけれど・・・・・」
少女はしばしソランを見つめた後、落胆したように溜息をついて踵を返す。
モアナが不満そうに訊いた。
「――な、なんですの!」
「ちょっと、残念・・・・・」
少女はこれ見よがしに溜息をついた。
「フランが気にしていた相手だったから、どんな使い手なのかと期待していたけれど大したことなさそう・・・・・」
「・・・・・そ、そんなことないです! お兄様は強いですわ!!」
自分でも意外なほどに、モアナは声を荒げた。
少女が小首を傾げた。
「どこが?」
「そ、それは――」
モアナは言葉を濁した。
ソランのキードロップの能力はまだ開花したばかりだ。まだ、どのような能力なのか、どんな効果があるのかさえも分かっていなかった。
表情を改め、少女が言った。
「なら、証明してみせて? ここにいる魔物、全て倒してみせて、この私――エリスリート=エネミアを楽しませてよ?」
「それは、それは・・・・・」
モアナは一度言葉を切り、うつむいた。
もう一度、顔を上げ、そしてソランを見た。
「――いえ、お兄様なら、きっと何とかしてくれますわ!」
「お、おい、モアナ!?」
ソランは絶句した。
当然だ。デュークでさえ、一撃でやられてしまった魔物が相手だというのに、自分ならそれらを全て倒せると言われたのだ。慌てるに決まっている。
だが、本人の意思とは関係なく、話はどんどん先へと進んでいってしまう。
「ふぅん? どうやって?」
問いかけるエリスリートを無視して、モアナはソランを引っ張りながら、魔物達に向かって歩き出した。
「素直に降参した方がいいんじゃない?」
エリスリートの笑いを含んだ声が背中から聞こえたけれど、無視してモアナはソランとともに魔物達の前に立ち塞がった。
――以下は、ソランとモアナの間でひそかに交わされた会話である。
「ど、どういうつもりだよ? モアナ」
「・・・・・ご、ごめんなさい、お兄様。 でも、どうしてもお兄様のことを馬鹿にされているのが我慢できなくて・・・・・」
「だからって、いくら何でも無茶だろう・・・・・」
「でも、だからってこのまま、引き下がれませんわ!」
両拳を握り締めてきっぱりと断言するモアナを見て、ソランは思わず頭を抱えた。
「・・・・・・・・・・そんなの無理に決まっているだろう。 この状況じゃ逃げるべき――」
パチン。
指を鳴らす音がした。それが合図だったのだろう。魔物の群れは一斉にソラン達に襲いかかってきた。
ソランは唇をキッと噛みしめ、覚悟を決めると、剣を魔物に向かって振り抜こうとした。だけど先に魔物の方がソランめがけて一撃を加えようとする。反射的に、ソランの口が、そして体が動いていた。
「――バースト・ソウル!!」
そう叫んだ途端、剣から炎と氷の連弾が弾け飛び、そしてその連弾の直撃を受けて、魔物は一瞬にして塵となって消滅した。
「・・・・・すごいですわ!」
魔物を消し去ると、モアナは歓声を上げた。
どうやら『キードロップ』の力があれば、この魔物を倒すことができるらしい。
だが、ソランはモアナの前に護るようにして立つと、目の前を見回して警戒する。だが、すぐに言葉を失った。
その光景を見た時、さすがにソランは死を覚悟した。右を見ても左を見ても、視界に入るのは攻め寄せてくる魔物の姿。どれだけ敵陣を切り開いても、右も左も前も後ろも魔物だらけ。何匹、何十匹と倒しても、魔物の他には何も見えない。
近くにいたモアナは無事だろうか?
それすらも分からない。突破口を見出せないままに、ソランの剣を振るう力は鉛のように重くなり、泥水の中でもがいているように足は理由を失っていった。モアナの方を振り向く気力はとっくに残っていない。もちろんデュークさんの無事を確認する余裕もない。
もうだめだと諦め、ソランが剣を握る力を下ろしかけた時、デュークの声が聞こえた。
「『キードロップ』の力を使え!」
遠くで、デュークが叫んでいた。
「俺がいる場所まで、道を切り開いてくれ!」
無理だ、とソランは思った。
こんな乱戦で、デュークがいる場所までの道を切り開くことなんてできない。それにできたとしても、すぐに俺達の息の根は魔物に止められてしまうだろう。
でも、とソランは思い直した。
どうせこのままでは死を待つだけだ。だったら、自分の能力でできる最大限のことをするべきではないだろうか。もしかしたら、モアナだけでもここから逃げ延びることができるかもしれない。
「――バースト・ソウル!!」
ソランはデュークに言われたとおり、『キードロップ』の力を使って剣を振るった。全身に覆う疲労が苦しみから心地よさへと変わり、ゆっくりとソランの意識は遠のいていこうとする。
ああ、これで俺は死んだな。
その時、ソランはそう思った。
「――エネミ・ソウル!!」
「なっ!?」
動揺もあらわに、エリスリートが叫ぶ。
道を切り開いたソランの目の前には、デュークの他にアトリやバルレルもいたのだ。
そして、デュークの手の中には一つの真新しい剣があった。見間違いではないのなら、その剣はたった今、バルレルさんが呪文とともに出現させたようにも思えたのだけど。
「まったく、貴様らは我の使い手のくせに、我に逆らいおって! このままでは魔神の使い手に先を越されるではないか!」
「そういうアトリちゃんも心配していただろう?」
怒りに震えるアトリに、バルレルは困ったように頭をかく。
「我は心配などしておらん!」
不愉快そうに、アトリは言った。
「下がっていろ! ソラン! モアナ!」
デュークはそう宣言すると、一歩、さらに一歩と前に出る。
デュークに言われて、ようやくソランはモアナがいた場所を確認することができた。傷だらけではあったが、何とか気をしっかりと持ち、その場でしゃがみこんでいる。
それを見たソランの表情に、安堵と呆れの表情の色が浮かんだ。
こんな状態だったのに、気絶もせずにその場に踏み留まっていたのだ。モアナの精神の強さに、ソランはある意味、敬服してしまう。
デュークは無言で、手にした剣を振るった。すると、先程、吹き飛ばされたはずのグリフォンの咆哮を難なく振り払う。そして、跳躍すると数体のグリフォンを大地へと落とす。
エリスリートが、動揺をあらわにして問いかけた。
「あのグリフォンをあっさり・・・・・? ど、どうして? 私の魔物達は『キードロップ』の力しか効かないはずなのに? あの勇者には『キードロップ』の力はないはずなのに?」
「それこそが、『イメージしたものを変換する能力』の醍醐味ってやつさ。 あの力で生み出されたものすべて、『キードロップ』の力を持っていると考えた方がいいな。 エリスリート」
「・・・・・相変わらず、あなたの力は便利ね、エルシオン。 でも、どうしてここにあなたがいるのよ?」
驚きを隠せずエリスリートが問い返すと、突如、彼女の後ろに現れたエルシオンと呼ばれた青年は腕組みをしながら満面の笑みを浮かべた。
「任務は終わったからに決まっているだろう。 戻るぞ、エリスリート。 ここの塔は開放した。 これ以上の騒ぎは必要ない」
「そうね。 これ以上は常闇姫まで出てくるわね」
エリスリートはそう吐き捨てると、エルシオンとともにその場から姿を消した。
彼女が消えたからだろうか?
ソラン達の周りを囲んでいた魔物の群れも、まるで幻だったようにすっとその場から姿を消してしまっていた。
後に残されたソラン達は、これからの起こるであろう戦いを思い浮かべてキッと空を睨んでいた。
――ソランは町の地べたに腰を下ろし、彼の膝の上で寝息を立てているモアナの横顔を眺めていた。多分、安心して気が緩んだのかもしれない。彼らが去ってすぐに、モアナは意識を失って眠ってしまった。彼女の幸せそうな寝顔を見て、ソランは思う。これから先、例えどんな困難が起こっても、彼女から二度とこの安らぎを奪わせてはならない。そのためには、もっともっと強くならなくてはならない。
それは肉体的な意味だけではない。精神的な意味においても。
例え、今はまだ弱音を吐いてしまうような未熟な自分だとしても、いつか彼女の期待に応えられるような勇者になりたい!
そして、デュークのように、みんなを護れるような勇者になりたい!
幼子のようにすやすやと眠るモアナの頬を手のひらで触れながら、ソランは力強く自分に誓う。
ソラン達は全く気がついていなかったのだが、そんな彼らの様子をじっと見つめている一人の少女の姿があった。
「魔神と邪神、そして――」
その様子を、路地から見つめていた彼女――カナリアの囁きは誰にも聞かれることもなく、風とともに消えていった。