第二章 リシアの村と謎の塔
それは良く晴れた、穏やかな日だった。辺りは優しく甘い花の香りで満ちていた。まるで一面、タンポポの花を上からまき散らしたかのように真っ黄色な花畑の道沿いを馬車がのんびり走っている。やがてその馬車は古くて大きな建物の前に止まった。おそるおそる外に出てきたのは、鞄一つを手に持った銀色の髪の少年だった。
少年は地面に降り立つと、きょろきょろと周りを見回した。馬車はゆったりと遠ざかっていく。少年はそれを見送ってかすかに心細そうな表情になったが、首を振ると毅然と顔を上げた。
ここは少年が育った村から馬車で二日の距離にあるリシアの村だ。ここらは穏やかな輪郭を描く山脈に包まれた、のどかな地方である。道を歩く村の人達が辺りを行き通っている。
少年の名前はソランといった。年齢は十三か、十四くらいに見える。背はあまり高くはないが、銀色の髪が印象的な少年だった。
しばらく、辺り一帯を眺めた後、ソランは意を決したようにひときわ大きな建物に向かって歩いていく。そして、その近くにあったベンチに座ると、ソランは大きな溜息をついた。
これからどうしようか?
それがソランにとって、当面の問題だった。
突然現れたという塔の調査に赴いたまでは良かったのだが、その塔がどこにあるのか全く分からなかったのだ。行く道に訪れる人に何人か声をかけたが、誰もその塔のことを知らないと言うのだ。
「これからどうしようか・・・・・」
ソランは再び、大きな溜息をついた。
「はあ~」
「あのう、えっと・・・・・お兄様ですよね?」
ベンチで思い悩んでいたソランは突如、聞こえてきた声に固まった。
「おおおおお、お兄様って、まさかっ!?」
ぎこちない動きで前を見る。案の定、銀色の髪を無造作にふたつに結んでいる少女がいた。
「ああ! やっぱりお兄様だわ!」
少女は感激のあまり、ソランに抱きついた。
その途端、ソランは動揺のあまり、飛び上がりそうになった。顔が真っ赤になる。
思わず、ソランはガバッと立ち上がった。
「モアナ、何でここに!?」
「もちろん、お兄様の後を追ってきたに決まっていますわ!」
モアナはきっぱりと言った。
「だってお兄様、塔の場所も聞かずに急に飛び出して行ってしまうんですもの・・・・・。デュークさん、困っていましたわ・・・・・」
「・・・・・もしかして、塔の場所を知らせてくれるためにここまでついてきたのか?」
「はい!」
少し驚きつつも、ソランは内心、ほっと胸をなでおろした。
「そうなのか。助かったよ」
「そしてもちろん、私がお兄様の調査に同行するためですわ!」
意外な一言に、ソランは瞬きした。
「まさか、一緒に行くって言うのか!?」
「当然ですわ!」
ソランの言葉に返ってきたのは、そんな奔放な返事だった。
言葉を失って、再び、ベンチに座り込んだソランは、
「さあ、行きましょう! お兄様!」
と高らかに宣言するモアナを見て、再び、大きな溜息をつくしかなかった。
ソランはぼんやりと目の前の光景を見つめていた。
「・・・・・ここが噂の塔・・・・・なのか?」
「・・・・・想像していたのとは違いましたわね」
モアナは悲しげな感想を漏らした。
彼らが想像していたのは、とんがり屋根の塔が何本も組み合わされたような、ドロドロとした大きな石造りの塔だった。
だが、実際の塔はソラン達の想像とはかけ離れていた。
それは塔というよりは砦だった。それも盗賊団が根城にしていたのではないかという殺伐な雰囲気をかもし出している。
想像していた塔とはだいぶ異なったものの、ソランはその異質で禍々しい塔に気を引き締めていた。
「とにかく、中に入ってみ・・・・・」
ソランがそう言おうとした途端、ドーンと空気を震わす音がした。塔の上の方から、黒い大きな渦のようなものが発生するのが見えた。
ソランは瞬きもせずに驚いた顔のまま、その様子を眺めた。
「な、ななな、なんだっ!?」
「大きな雷雲ですのね」
あくまでものんきな口調でつぶやきつつ、モアナは黒い渦を指差した。
「ららら、雷雲っ!? あれのどこが!」
と、ソランが叫んだ時、またもや爆発音のような音が轟いた。そして黒い渦がどんどん大きくなっていくと同時に、竜巻のような強風が勢いよく吹き荒れた。あらゆるものが黒い渦の中に吸い込まれていく。
ソランは突然の出来事に悲鳴を上げた。
「な、何だよ! あれ?」
「あら、もしかしてあれが噂の竜巻というものなのですか。初めて見ましたわ〜♪」
この非常時にも、モアナは好き勝手なことを言っていた。
ソランは思わず、頭を抱える。
「あのな〜、そんなはずないだろう! だいたい、あんな・・・・・っ?」
ソランの反論する言葉が、突然、不自然な形で途切れた。
不思議そうに、モアナはソランを見つめた。「どうかしたのですか? お兄様」
「なあ・・・・・何か聞こえないか?」
緊張した声で問いかけられて、モアナは耳をすました。
黒い渦のうなりの向こうから、確かに異質に響くものがある。
だが、それが何なのかまでは二人には分からない。
「あそこから聞こえるみたいだ」
塔の上の方の窓。そこへ二人が目をやった、その瞬間。
再び、どーん! と空気を震わす音がした。塔の上の方の窓から上空の黒い渦に向かって、巨大な炎が噴き出すのが見えた。
ソランとモアナは瞬きもせずにその様子を眺めた。
「・・・・・・・・・・炎の火柱と黒い渦?」
そんなソランの言葉をかき消すかのように、またもや爆発音が轟いた。そして勢いよく塔の上階の窓から、白いかたまりが飛び出してきた。
「おのれ! たかだか人間ぶぜいの小娘に、邪神である我がこれほどてこずるだと?」
そう叫んだのは、薄い桃色の髪の白いケープを羽織ったまだ五歳くらいの幼い少女。
「いや、アトリちゃんは何もしていないから・・・・・」
塔の入口から慌てて出てきて、申し訳なさそうに彼女にそう告げたのは、モアナより少し下くらいの薄茶色の髪の少し頼りなさそうな少年だった。
「何を言っておる。貴様が今使っている力は、そもそも『キードロップ』から授かった力だ! 『キードロップ』=我が貴様に与えた力。つまり、我の力ではないか!!」
「・・・・・うっ!」
少女――アトリに指摘されて、少年は言葉を詰まらせてしまう。
まだ、少し混乱していたが、ソランは彼らの方に呼びかけた。
「あの、あなた達は一体?」
だが、彼らはソランの言葉には答えない。
険しい表情で、今もめまぐるしく姿を変える上空の様子をじっと見つめているだけだ。
ソラン達が彼らの態度を怪訝に感じていると、さらなる異変が上空に生じた。
ゆっくりと、雷雲渦巻く中心の穴が大きく開いていき、そこから光が差し込んでくる。
その大きく開きつつある光の穴から、赤い髪の少女が巨大な槍を振りかざして飛び出してきた。
「喰らえ!! 邪神グラースッッッッッッ!!」
「――危ないっ!!」
「え?」とソランは間の抜けた声を発してしまった。いきなりその少女が奇声を発したと同時に、少年の方が持っていた杖で力一杯ソランの身体を突き飛ばしたのだ。
「えええええええッッッッ?!?!?!?!」
見た目とは裏腹に、少年はもの凄い力の持ち主だった。ソランの体は坂を転げ落ちて、遠くにあった岩に背中から激突した。
「何する――」
地面や岩に打ちつけた頭や背中や腰の痛みに耐えながら、抗議の声を上げようとしたソランの視界に映ったのは、突き飛ばされる瞬間までソランがいた場所に、まるで隕石でも落ちたかのように深く穿たれたクレーターだった。
言葉を失うソランに、少年が言った。
「大丈夫か? 言い忘れたけれど、彼女はメイベル=デューテ――」と目の前に立つ赤い髪の少女を指差し、少年は言った。
「あの破壊神デリトロスの『キードロップ』の使い手だよ」
「あの人が破壊神デリトロスの関係者? 『キードロップ』の使い手?」
「そうさ! 気をつけないと一瞬で消されるよ!」
ソランは呆然として、上手く言葉が返せなかった。
どうして、あの人はあんな小さな女の子を狙っているんだ?
『キードロップ』の使い手ってどういう意味?
そもそも『キードロップ』って何なんだ?
「お、お兄様・・・・・っ!?」
振り返ってみると、モアナが不安そうにソランを見つめていた。彼女にも何が起こっているのかさっぱり分からないらしい。
「また、避けたの? つくづく簡単にはくたばってくれないのね!」
疑問を消化できずに固まるソランに、先程攻撃を放った赤い髪の少女――メイベルが言った。
右手に巨大な槍を持ち、不適な笑みを浮かべてソラン達の方を眺めていた彼女は何を思ったのか、突然、ソランの方に視線を向けた。
「でも――」
とメイベルは槍を閃かせると、その矛先をソランに向けた。
「『キードロップ』のありかは分かったから好都合よね?」
「うっ、うわぁぁぁぁぁっ!?!?」
突然、矛先を突きつけられたソランは訳がわからず絶叫した。
ドカァァァァァ!!
だが、彼女がなぎ払ったのは、ソランではなくその後ろにあった岩だった。砕かれた岩の中から飛び出してきたのは、不思議な色の水粒状のアクセサリーだった。そのアクセサリーはポーンと宙に舞って、ソランの手のひらに落ちた。
「なんだ、これ?」
「それを渡しなさい! 少年!」
不思議そうに首を傾げていると、メイベルが詭弁とした表情のまま、槍の矛先をソランに向けた。
「わあっ!?」
ソランは動揺して叫びつつ、その時気づいた。
突然、そのアクセサリーが怪しげな光を放ち始めたことに。
メイベルがそれを見て、声を荒げた。「まさか、この少年が『キードロップ』の使い手!? まずいわ! 早くそれを渡しなさい! でないと・・・・・!」
「わ、渡せって言われても・・・・・」
そうこうしているうちに、アクセサリーはソランの手のひらの中で光を放ちながら消えていった。
「あっ・・・・・」
ソランはぽかんとつぶやいた。
確かに先程まで手のひらにあったはずの水粒状のアクセサリーは、いつのまにか跡形もなく消え去っていた。
「・・・・・はあ。 めんどくさいことになったわね」
メイベルは溜息をつくと、何を思ったのか、再び槍を閃かせるとその矛先をソランに向けた。
「ひっ、ひぃぃぃ!?」
思わず、ソランは両手を前に出して悲鳴を上げる。
「ねえ、あなた」
「は、はい! なななっ、なんですかっ・・・・・!?」
もつれる舌を必死に叱咤して、ソランはメイベルの呼びかけに応えた。
「私達の仲間になりなさい!」
「は?」
予想もしていなかった言葉に、ソランは答えるまで数秒かかってしまった。恐る恐る広げていた両腕を下ろす。
先程の茶色の髪の少年を指差し、メイベルは不敵に言った。
「あなたが先ほどまで持っていた水粒状のアクセサリーの名前は『キードロップ』。 そのアクセサリーはね、持つ者に特殊な能力を与えてくれるの。 そして、私やそこの少年はあなたと同じ『キードロップ』の使い手なのよ」「・・・・・はあ」
ソランはメイベルの台詞を、きちんと理解して返事をしたわけではなかった。
破壊神デリトロス――。
確か、魔神メフィストと邪神グラースに並び立つ魔帝の一人だ。
恐ろしい相手だったらしいが、魔神メフィスト、邪神グラースと同様に今は力を失っているらしい。
その破壊神デリトロスと『キードロップ』の使い手は、何かしら関係があるのだろうか?
そういえば、さっき、彼女が気になることを言っていた。
あの幼い少女に対して、邪神グラースって言っていたような?
「でも、その能力は魔帝と呼ばれる者達――、彼らのうち誰か一人に認められることによって初めてその力を発揮できるのよ」
疑問を消化できずに固まるソランに、メイベルがまた声をかけた。
「だから、私達の仲間になりなさい。 そして、破壊神デリトロス様の『キードロップ』の使い手となりなさい!」
メイベルの言葉に、アトリは眉根を寄せた。
「それは認められぬな。 破壊神デリトロスの使い手よ! この少年は我の使い手にする!」
それを聞いて、アトリの隣にいた少年が不安そうにそっと彼女に耳打ちした。
「・・・・・それって、また僕が戦わないといけないってことになるんじゃ・・・・・?」
「当然だ!」
「ええええ?!」
即答に、少年は絶叫した。
落ち込む少年をおもむらに眺めて、アトリが叫んだ。
「さあ、とっとと行って来い! バルレル!」
「わかったよ・・・・・。 はあ~・・・・・」
無情なアトリの言葉にバルレルは大きく溜息をつくと、視線を転じて、メイベルに声をかけた。
「・・・・・そういうわけだから、彼には手出しはさせない!」
バルレルの言葉に、満足そうにメイベルは深く頷いた。
「邪神グラースの使い手よ。 『キードロップ』の使い手は渡してもらうわ!」
「そんなことさせない!」
バルレルはそう言い放つと、持っていた杖を構えた。
対してメイベルは、巨大な槍を閃かせるとその矛先をバルレルに向けた。その先端からは雷のような光を放っている。
「行くわよ! 邪神グラースの使い手!!」
「くっ!」
ふたりが同時に動こうとしたその瞬間――
「そこまでだ、メイベル!」
それは新たな乱入者の声だった。
メイベルに対して呼びかけながら、遠くの方から何者かが駆け寄ってくるのを視界に捉えた。
二十代後半の青い髪の騎士風の男は、颯爽にメイベルに近づいていく。
「何の用? エルメス」
不機嫌そうにつぶやくメイベルに、エルメスは静かにかぶりをふった。
「メイベル、リシアの村で魔神メフィストの使い手とディーン王子が交戦中だ。 すぐに戻れ!」
「ディーン様が? 分かったわ」
メイベルが、急に切羽詰まった調子になって頷いた。
彼女は悔しげにバルレルとアトリを見て、それからソランの方に顔を向け、すまなさそうに言った。
「・・・・・えっと、悪いわね。 ディーン様をお救いするために、私達は今すぐここを去らないといけないの」
「・・・・・えっ?」
「あなたとは敵対したくはなかったけれど、これも仕方ないわよね? ――急ぐわよ! エルメス!」
「ああ」
早口で言い切ると、メイベル達は嵐のようにその場から走り去ってしまった。ソランが止める暇なんて全くなかった。
「・・・・・・え―と・・・・・え?」
メイベル達が去った方角へ手を伸ばし、むなしく空を掴んでいると、苦虫を噛み潰した顔でアトリがソランの目の前に立ちふさがった。「・・・・・魔神メフィストの使い手がここまで来ているのか。 即急に塔を開放し、この場を離れる必要があるな。 だがまずは」
大きく息を吐き出すと、アトリは赤く光る瞳をソランに向けた。
「一緒に来てもらおうか? 赤い『キードロップ』の使い手よ」
出会った時は、幼い少女に見えたアトリだったけれど、今のソランの目にはそうは見えなかった。少なくとも、あの時には分からなかったのだ。目の前に立って、それがはっきりと分かる。もしかしたら、『キードロップ』の力を手に入れたからかもしれない。彼女には何か分からない空恐ろしいオーラのようなものを感じた。
アトリの目の前に、モアナが毅然とした態度で立ちふさがった。
「何言っていますの! 『キードロップ』の使い手って一体、なんですの!」
「抵抗したければ、してもよいぞ。 我も我の使い手にふさわしいかどうか確かめてみたいからな」
言いながら、ゆっくりとアトリはソラン達に向かって歩き出した。もちろんその顔も、ただの少女には見えない。邪悪で危険な邪神、そのものだ。
ソランは塔の調査のためにデュークが手渡してくれた、右手に掴んだままの剣に目をやった。
『ソランがいるなら大丈夫だ』
デュークの言葉が脳裏に蘇る。
必ず、魔神を倒さなくてはならない。
その自分が、こんなところでむざむざ負けてしまうわけにはいかない。
「――たあぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
ソランは勢いよくアトリに切りかかり、力一杯彼女めがけて剣を振り落とした。ぐさりと両手に痺れるような手ごたえ。
だけど、ソランが剣を振り落とした先にアトリの姿はなく、ただソランの剣は誰もいない地面にむなしく刺さっていただけだった。
「・・・・・あ、あれ?」
「遅いな、こいつ」
「アトリちゃんは何もしていないだろう」
アトリとバルレルの声が、突然、ソランの背後から聞こえてきた。
「う、うわぁっ!」
と、ソランは反射的に剣を背後に振り回そうとした。しかし、思いのほか深く剣は地面に刺さりすぎて一ミリたりとも動かなかった。
「何をやっている?」
アトリの呆れた声がした。
と思った次の瞬間、強烈な痛みがソランの頭の後頭部を襲い、ソランの意識は混濁した――。
「・・・・・この程度で気絶するとは・・・・・弱いぞ、こいつ」
というアトリの声が、遠くで聞こえた気がした。
「なんと甘美な味わいだ」
幼い少女の陶酔した声が響く。
「アトリちゃん、美味しいですわね~❤」
銀色の髪の少女――モアナの呼びかけに応えて振り向いたのは、薄い桃色の髪の白いケープを羽織ったまだ五歳くらいの幼い少女。
その手にはスプーンとアイスを持っている。
「フエリセーナ帝国一というこの『三色アイス』というのは素晴らしい!」
バルレルは自慢げに笑顔で、アトリに言った。
「まあ、フエリセーナ帝国のデザートは最高だからな。僕も好きだし!」
「うむ、なかなかどうして侮れんな。そのデザートとやらは」
まだ少し頭がぼんやりしていたけれど、ソランは体を起こして、モアナの方に呼びかけた。
「・・・・・ここは何処なんだ?」
「あっ、お兄様、気がつかれましたの?」
モアナに抱かれつつ、周りを見回してみると、どうやらそこはどこかの宿屋のようだった。二階のベットに寝かされていたらしい。
部屋には、モアナと薄い桃色の髪の白いケープを羽織ったまだ五歳くらいの幼い少女――アトリとモアナより少し下くらいの薄茶色の髪の少し頼りなさそうな少年――バルレルがいた。
とりあえず落ち着きを取り戻してから、ソランは改めてモアナに質問した。
「あれから、どうなったんだ?」
「ここはフエリセーナ帝国の宿屋の一室ですわ。 リシアの村が大変なことになってしまったので、ひとまずここに避難してきたのですわ」
そう告げると、モアナは悲しげに二人を見つめる。それにつられて、ソランも二人を見つめた。
「我は邪神グラースだ」
かくして、少女は告げた。
へっ・・・・・?
あまりにも意味不明な台詞に、ソランは首を傾げた。
確かに、あのメイベルっていう人はこの子のことをそう呼んでいた。でも、モアナやバルレルさんはこの子のことをアトリって・・・・・???
「邪神・・・・・? でも、さっきは『アトリちゃん』って?」
「我が本体はかって魔神メフィストとの戦いで完全に消滅しているのだ。もっとも、それは魔神メフィストや破壊神デリトロスも同じだがな」
確かな不審を込めて、ソランは邪神グラースと名乗った少女――アトリを見た。アトリは不機嫌そうにソランを見つめていた。右手で頭をかきながら、彼女はソランの視線に応えた。
「こちらにも、いろいろ事情があるのだ。人間ぶぜいがいちいち気にすることではない」
アトリが言うには、彼女 (?)は何でも魔神メフィストが現出する以前に、かってこの世界を恐怖に陥れた邪神グラース――だったにもかかわらず、今ではこの人間の少女『アトリ』に憑依してアイスごときに酔いしれているらしい。
そして、ひょんな事で彼女に付き添っているのは、薄茶色の髪の少し頼りなさそうな少年――バルレルである。
邪神グラースは、あのデュークが全く歯が立たなかった魔神メフィストが現れる前までは最強と称されていた存在で、アイスごときに酔いしれていることを除けば、史上最も偉大な邪神として知られた人物だった。
でも、数十年前の魔神メフィストとの戦いに相討ちとなり、ともに身体と力を失ってしまったらしい。
「・・・・・で、魂だけがフエリセーナ帝国の街に流れついてアトリちゃんに憑依したらしいんだよな。・・・・・はあ。その時、フエリセーナ帝国に出稼ぎに来ていた僕は、アトリちゃんに憑依した現場を見たっていう疑惑をかけられたんだ。そのせいで、こうしてここまで連れてこられたんだけど」
バルレルはその時のことを思い出したのか、深く大きな溜息をついた。
「そうなんですか」
バルレルの話を聞き終え、ソランはうなった。
それから、首を傾げた。
「でも、邪神ならあの人を簡単に追い払うことができたんじゃ?」
「実は今、力がないんだよ。 アトリちゃん・・・・・」
そう言って、バルレルの方が口を挟んできた。アトリはキッと鋭い視線をバルレルに向ける。
「バルレル、貴様!」
「な、なんだよ! 彼らにも関係ないことじゃないだろう!」
アトリの剣幕に、バルレルは慌てたように叫び返す。
「た、確かにそうだが、しかし――」
それでも納得できないように、アトリは唇を噛んだ。
「いろいろと大変みたいですわね」
モアナは何気なく聞き逃したが、ソランは違った。
「えっ? それって、どういう意味なんだ? 俺達にも関係があるってことなのか?」
アトリは目を見張り、数秒黙り込んだ。
「正確に言うと、『キードロップ』の使い手である貴様にだ」
「キードロップ?」
ソランは思わず、問いかけていた。
「貴様が手に入れた水粒状のアクセサリーのことだ。 そのアクセサリーは、持つ者に特殊なを与える力がある。 そして、先程のあの小娘、そこのバルレルは貴様と同じ力――『キードロップ』の使い手だ。 だが、その能力は魔帝と呼ばれる我らのうち、誰か一人に認められることによって初めてその力を発揮される」
「はあ・・・・・」
アトリの説明に、ソランとモアナは顔を見合わせて首を傾げるしかない。
「もっとも、貴様はすでに我の使い手になることが決まっておるがな」
こともなげに、アトリは言った。
「そ、それって、どういうこと?!」
「決まっているだろう! 貴様はすでに我が手にした。 なら、我の使い手になるしか道は――」
ソランはそんなことを訊ねたわけではなかった。彼女の台詞を遮って、もう一度叫んだ。
「そうじゃなくて、使い手ってどういう意味なんだよ!」
「うん? なんだ、そっちか。 バルレルが話したとおり、先の戦いで我らは今、力を失っておる。 その力を取り戻すためには、貴様ら『キードロップ』の使い手の力が必要なのだ!」
「――えっ? それってどういう意味?」
思わぬアトリの言葉に、ソランは首を傾げてアトリを見た。
「・・・・・いいか。 この世界にはそれぞれ魔力のエリアというものがある。 貴様らが訪れた塔のことは覚えておるな?」
「あっ、うん。 あの謎の塔のことだよな?」
「謎の塔ではない。 あれこそが魔力のエリアなのだ」
「って、それってもしかして・・・・・あの塔を手にすることで力が戻るとかってことなのか?」
ソランの答えに、満足そうにアトリは深く頷いた。
「そうだ。 あの塔を全て手にし、開放をしたものだけが本来の力を取り戻すことができるのだ」
そこで、ソランはハッとした。
「でも、それって元の力を取り戻せるのはたった一人だけってことになるよな? それにすでに他の人っていうか、魔神や破壊神が手に入れてしまった他の塔とかはどうなるんだ?」
「貴様の言うとおり、元の力を取り戻せるのは我らの中でただ一人だけだ。 そして、一度手にし、開放した塔でも我らを倒すことで奪い取ることができる。 だが、今の力のない我らでは塔を手にすることも奪い取ることもできぬ。 そこでだ。 我らは『キードロップ』を創り出し、それを操り、我らの使い手となる者を探し出そうとしたのだ」
話の流れが理解できなくて、ソランとモアナはじっとアトリの顔を眺めていた。ソランとモアナのまぬけ面に気分を害したようで、アトリは眉をしかめて言った。
「もう、分かったであろう? 貴様には我の使い手になるしかないのだ」
「はあ」
と答えて、ソランは尋ねた。
「使い手になれって言われても、結局、何をすればいいんですか?」
「まあ、塔の開放と敵の撃破・・・・・かな」
とこれはバルレルだ。
「まあ、これが結構、大変だけど・・・・・」
バルレルは困ったように、ぼそりと付け加えた。
つまり、魔神、邪神、破壊神達は今は力がないから、俺達、人間を『キードロップ』の使い手にしてその力を取り戻させようということなのだろう。
最もデュークの話だと、魔神メフィストは戦いの際、分身体を出したりしていたらしいけれど、それも魔神の使い手の能力なのかもしれないな。
だけど。
邪神の使い手・・・・・。
俺はデュークのような勇者になり、いつか魔神を倒すことを目的としている。
それなのに、いきなり邪神の使い手になれって言われても・・・・・。
「断っておくが、貴様に選択権などないのだぞ」
悩むソランに、冷水を浴びせるようにアトリが言った。
「拒否することは我が許さん! もっとも逃げ出せても、魔神や破壊神どもが黙っていないだろうがな!」
「わ、わかったっ! 君の使い手になるよ!」
慌てて、ソランはそう叫んで交渉は成立。
そう叫んだ後、ソランの持っていた剣がそれに応えるように淡い赤い光を放った。急に剣から不思議な力が伝わってくる感じがする。
「これで、貴様も我の使い手だ」
アトリは満足げに頷いた。
その時、ソランは大事なことを聞きそびれていることに気づいた。
「あの―」
「なんだ?」
「どうして、フエリセーナ帝国まで来たんですか? すぐ近くにリシアの村があったのに?」
ソランの最もな意見に、アトリは深く頷いた。
「・・・・・そうか。 貴様は知らぬのか? ならば、一緒に来るがよい! 来ればすぐに分かる!」
えっ?
それって一体、どういうことなんだろう?
それを聞いたモアナとバルレルが一瞬、悲しげな瞳を浮かべたことに、ソランは気がつかなかった。
「これは・・・・・?」
ソランは呆然とした表情を浮かべて、村の様子を眺めていた。
ソランの目に飛び込んできたのは、木や土が焼け焦げた臭いと死臭だけが漂い、物音一つしない廃墟だった。つい数時間前まで、確かにここには真っ黄色な花畑とのぞかな村があったはずなのだ。
「・・・・・こんな、馬鹿な・・・・・」
ソランの口からその言葉が漏れた。
でも、ソランはその場に立ち尽くすだけで、生存者を探しに行こうとも、魔神の使い手や破壊神の使い手と戦うために動こうともしなかった。
圧倒的な恐怖が、ソラン達を包んでいた。恐怖、そんな言葉では生ぬるいかもしれない。それは絶望、ソラン達からすべての意思を奪い取ってしまうほどの絶望だった。
「こんな・・・・・」
ソランはうめいた。
「こんな奴らに勝てるわけがない・・・・・!?」