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Paranoia  作者: ほづみ
1/2

I

 病院に通うことが日課だった。消毒薬の匂いにはもう慣れてしまった。健康体そのものである僕には居心地の悪い空間だが、それでも時間が許す限り足を運ぶ。面会時間は17時まで。本日の残り時間はあと1時間ほど。


 いつものように507号室の扉を開ける。狭い個室の中、痛々しい程に白いベッドの上で横たわる人物が一人。


「遊びに来たよ」


返事はない。僕が病室へ通い始めてから今日に至るまで、ただの一度も彼が呼び掛けに答えたことはない。もう5年だ。今もなお、彼は眠り続ける。本当なら、ここで眠っているのは僕のはずだったのに。


 やりきれない思いを抱え、僕はすっかり伸びきってしまった彼の髪に触れる。


「……ねえ。もう、待つのは飽きたよ」


 誰にも届かない声は、カーテンの向こう側へ吸い込まれて消える。

 

 夏の日差しが眩しかったあの日、僕らはまだ高校生で、僕は彼と一緒に学校からの帰り道をのんびりと歩いていた。近所の神社で夏祭りをしているみたいだから寄り道してみようか、と話していたのを覚えている。わたあめが食べたいとか、りんごあめのりんごは美味しくないとか、くだらない話をしながら、祭りのことを考えて僕はワクワクしていた。


 視界の隅で、小さな子が道路へ飛び出たのを見たのはそんなとき。どういう訳か、運動神経は鈍いはずなのに反射的に僕はその子供を追いかけていた。やっとの思いで小さな手を掴んだときにはもう何もかもが遅く、避けようもない距離にトラックが迫っていた。


 そこからは全てがスローモーション。


 足は全く動かなかったけど、小さな体を抱きしめ、ぎゅっと目を瞑る。けたたましいブレーキ音に、次に来るであろう衝撃を覚悟した。


 そのとき、トラックとは全く別の方向から、思っていたよりもずっと小さな衝撃が来た。思わず目を開ける。傾いだ体と揺れる視界。辛うじて映ったのは、誰かの白い腕だった。そうして次の瞬間、衝撃音が辺りに鳴り響き、頭に鈍痛を感じると共に僕の意識はブラックアウトした。


 彼が僕を庇った、という事実を知ったのは事故に合ってから数日後のこと。僕は目覚めたとき、何故自分がほとんど無傷だったのか理解出来なかった。ただ、漠然とした恐怖を抱えていたのは覚えている。精神状態が落ち着いてから、と話された内容は酷く残酷なもので、僕はその事実をすぐには認めたくなかった。


「容態は安定したけれど、いつ目が覚めるのか分からない」


 そう言われて案内された部屋で、彼は眠っていた。体にはギプスや包帯をし痛々しい様子だったものの、本当にただ寝ているだけのように僕は感じた。僅かに上下する胸や握りしめた手の体温から死んでいないことは確かで、昏睡状態であるということも嘘なんじゃないのかと思った。


「ねえ、起きてよ」


 そう言って肩に手を置く。彼からは何の反応もない。規則正しく呼吸を繰り返すだけ。


「……何でさ、庇っちゃったんだよ。そんな柄でもないくせに」


 僕の問いかけに彼は答えない。


「僕なんて、放っておけば良かったんだ。何で、君がここで寝てるんだよ。……一体何でっ!!」


 込み上げてくる涙を堪える。彼の胸ぐらを掴んで問いただしたい衝動を、爪が食い込む程に自分の手を握りしめ、どうにか押さえつける。たくさんの"何故"で頭の中が埋め尽くされていた。叫び、取り乱すことが出来たのならどんなに良かったのだろう。けれどのうのうと生きている僕には、泣く資格も、彼を責める資格も一切ない。身代わりとなってしまった彼に対し、僕が出来る唯一のことは、ただひたすら待つことだけだった。


――一人だけ、楽になることは許されない。


 いつ来ても、まるでこの部屋は時間が止まっているかのようだった。実際、部屋の主の時間は止まっている。そして僕は、彼の時間を貪り今ここに立っている。5年という月日は振り返ってみるとあっという間で、でも進んでいくにはとても長い時間だった。僕も彼も、まだこの呪縛から解放されない。僕に至っては、時間が経過するほどに深く囚われていくような気がしていた。


 動くことのない唇をそっと触れてみる。指先に漏れる息が当たった。微かだが、彼は確かに呼吸をしている。そのことに安堵した。まだこの日々は終わらない。それが幸か不幸かは分からないけれど。


 触れた指先で彼の唇をなぞれば、胸に巣くう歪な感情を自覚する。自然と笑みがこぼれていた。僕が彼に抱くこの感情は、きっと事故に合わなければ芽生えなかったもの。けれど芽生えてしまったそれは、本来あるべき姿からは既に遠く、取り返しのつかない程大きく育ってしまった。


 目覚めないかな、と思いながら僕は顔を近づけ、自分の唇と彼の唇を重ねる。王子様とお姫様なら良かったのに。そしたら次の瞬間、眠れる君が目覚めてハッピーエンドだ。そんな馬鹿げた空想を、もう何度思い描けば気が済むのだろう。少しかさついた感覚と熱を感じて、僕は顔を離した。彼の頬に手を添える。


「ねえ、好き勝手にされて嫌じゃない? 早く起きなよ。そうしないと、もっと酷い目にあうかもしれないよ」


 飛び起きて、気持ち悪いとなじればいい。殴ればいい。呪詛を吐くように、怨み事をぶつければいい。だから、早く起きて。


「ホント、僕なんて放っておけば良かったんだ」


 そう呟いて涙が一筋、頬を伝って零れ落ちた。僕は隠すように、彼の胸へ顔を埋めてすがりつく。体温と鼓動の音。それだけが慰めだった。


元々、自分にはないものを持っていた彼に、僕は純粋に惹かれていたんだと思う。同じクラスになって、どういう訳か彼に構われ倒されるようになって、気が付けば一緒に行動していた。出会ってから数ヶ月しか経っていなかったけれど、彼といた日々はキラキラと輝いていたような気がする。


 けして傷付かないように、広く浅く、流されながら周囲と関係を築く僕と、自分の思うままに行動し、結果孤立していた彼。性格は正反対。彼が何故僕を気に入ったのか、構い倒すようになったのか、結局僕は今も知らないままだ。もし彼が目覚めたなら、そのときは聞いてみたい。ただ事実として、彼は僕が作っていた壁を飛び越え、土足で内側を踏み荒らしたことは確かだった。


 最初は何故彼がちょっかいをかけてくるのか、わけが分からなくて正直僕はどん引いていた。けれどそのうち、何のしがらみもなく、奔放に振る舞う彼がどこまでも自由に見えて、そのくせたまに見せる寂しげな表情に目が離せなくなって、いつの間にかその手を取っていた。


 彼は僕の中にある常識をぶち壊し、一人清々しく笑う。そんな彼を見ているうちに、周りの目や考えを気にし、怯えていた自分がバカらしくなったのは一体いつからだろう? 彼の手に引かれて見た世界はまぶしくて、あの頃の僕は、彼と二人でなら何でも出来そうな気がしていた。そしてそんな日が、ずっと続いていくのだと信じていた。


「そろそろ帰るね」


 時刻は16時55分。彼の頭を撫でる。相変わらず彼は規則正しく呼吸をしていた。目覚める気配はまだない。細く頼りない糸を手繰り寄せる日々は、まだ続いていくのだろう。いつぷつりと切れてしまうのか、誰にも分からない。それでも彼が呼吸をしているなら、僕は微かな希望に追い縋るのだろう。今日も明日も、明後日も、僕は足元の深淵から目を背け、ただ幸せな結末を夢見ている。


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