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魂の羽化師は夢を斬る 平安鎮蝶譚  作者: 平本りこ
一章

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4/13

1 囚われの見習い羽化師と蛹石泥棒

 都は、中央を走る大路をもって、左右に分かたれている。


 帝のおわす内裏から見て、右を右京(うきょう)、左を左京(さきょう)と呼ぶ。前者は廃れ、後者は栄え、上流貴族の邸宅は左京に位置することがほとんどだ。


 羽化が叶わなかった蛹石(さなぎいし)を供養する無光堂(むこうどう)があるのは、人家もまばらな右京のさらに端。北の外れの山間だ。


 そこから、綾埜(あやの)蛹石(さなぎいし)を担いで人の足で逃げ込める位置にあるこの廃屋敷はきっと、右京の外れにあるはずだ。


 この地に遷都してからもう二百年ほどが経っていて、かつて栄えた一族の中には、とうに廃れたものもある。ここはかつて、そうした侘しい運命をたどった者が住んでいたのだろう。


 壊れかけの建具が物寂しさを助長する。真ん中辺りからすっぽり落ちてしまっている中途半端な長さの御簾が揺れる奥。荒縄で縛られて塗籠(ぬりごめ)に押し込まれた綾埜は、まんじりともせず、気づけば朝日が昇っていた。


 本来、塗籠は四方を壁と戸に囲まれた密室になるはずなのだが、壊れて戸が閉まらないらしく、中からでも庭の景色がよく見える。


 視界の範囲に、盗人の姿はない。話し声どころか物音一つしないので、彼は留守か、眠っているのかもしれない。そうだとすれば、何と不用心なことだろう。


(小娘だと思ってなめているのね)


 だが、そんな虚勢じみた憤りも長くは続かなかった。静寂の中、少し離れた場所に置かれている火鉢の赤を眺めていると、うつらうつらとしてくる。


 夜の間は片鱗すら見せてくれなかった睡魔だが、どうしたことか朝日と共に舞い降りた。今さら呑気に眠ってなるものか、と思い目を大きく開く。しかしそんな努力も虚しく、瞼は鉛のように重たくなって、やがてぴたりと閉ざされた。


 ……どれほど微睡みの中にいただろう。不意に人の気配を感じて覚醒する。


 塗籠の外、薄らと砂埃の積もった板床に、昨晩の男がいた。膝元には蓋の開いた葛籠が置かれ、白茶けたこぶし大の石が山積みになっているのが覗いている。盗まれた蛹石だ。


 男が葛籠の中身を物色する度に、かちゃかちゃと擦れる音がする。どうやら、綾埜の意識を眠りの底から引き揚げたのは、この音らしい。


 やがて男は、やや小ぶりな蛹石を手に取り朝日に透かすように掲げ、底面に目を凝らした。


 蛹石の見た目にはあまり個性がない。そのため、遺族は蛹石の裏に、専用の錐で死者の名を刻む。男はそれを確認しているようだ。


 淡い光に照らされながら蛹石を見つめる男の目が思いのほか柔らかく、綾埜は意外に感じた。思わずじっと見つめていたところ、視線を感じたのか、男は蛹石を下ろして顔を塗籠に向ける。


 綾埜が目覚めていることに気づくと口の端を持ち上げて、壁の死角に消えた後、匙の刺さった茶碗持って塗籠の中にやってきた。


 警戒し、尻を擦るようにして後退る。逃げ道は元から存在しない。すぐに壁に背中を打ちつけた綾埜は、首を大きく仰け反らせて睨んだ。対する男は、仄かな苦笑を浮かべ、少し離れたところに腰を下ろして茶碗を床に滑らせる。


「そんな顔するな。別に俺だって、おまえまで盗むつもりなんかこれっぽっちもなかったんだ」

「ううー」


 布を噛まされ声が出ない。何と無様なことかと、悔しさに涙が浮いてくる。


 男は綾埜の様子をしばらく観察した後、嘆息してから膝立ちになる。そのまま機敏に近づいてきた。


「いいか、噛みつくなよ」


 はらり、と猿ぐつわが解かれた。口が自由になるや否や、綾埜は叫ぶ。


「死者を冒涜する盗人。恥を知りなさい!」


 男は目を丸くして動きを止める。呆れたような間が空いた後、彼は鼻で笑った。


「第一声がそれか? まあいい。麦粥でも食え。お貴族の口には合わないかもしれないが」


 顎で示されたのは、床に置かれた茶碗である。心ばかりの穀物が浮いた薄い粥が入っている。綾埜は茶碗と自身の手を交互に見た。手首を合わせて両手を拘束されているものの、匙ならば扱えるだろう。


「……羽化師には庶民の出もいるわ。どうして私が貴族だと思うの」

「そんなもん、見ればわかるさ」


 食え、と再度促される。なおも動かない綾埜に首を傾けてから、男は自ら匙を掬い一口嚥下した。


「毒なんて入ってないぞ」

「そういう問題じゃないの。罪人の施しなど受けない」

「罪人、ねえ」


 彼は茶碗を綾埜の正面に戻してから、自身の腿に手を突き上体を前に傾けた。


「おまえ、魂蝶寮(こんちょうりょう)の羽化師だろ。魂蝶寮が清くて正しいことしかしていないと本気で思ってるのか」

「当たり前よ」

「甘いな。まだ学生(がくしょう)か?」

「だったら何」

「いいや」


 男は口元だけで笑んでから、唐突に名乗った。


「俺は(はやて)。おまえは?」

「……綾埜」


 一族の名を明らかにすれば姉夫妻に迷惑をかけるかもしれないと思い、ひとまず名だけを告げる。綾埜の父家である(かしわ)家は、中流貴族の家柄だ。


 しかし十年以上前に母が、二年前には羽化師であった父が身罷ってしまい、母から受け継いだ邸宅の主は今や、姉夫妻である。綾埜を含め、家族仲はいいものの、だからこそ彼らに危害が及ぶのは避けたい。


「綾埜」


 颯は何か思うことがあったのか、口の中で転がすように呟いてから、突然塗籠を出た。すぐに戻ってきた彼の腕には、綾埜から奪った葛籠がある。


「それ!」

「見ろよ綾埜。もう光を失っている」


 気色ばむ綾埜には取り合わず、颯は先ほど光に透かしていた蛹石を差し出した。古い骨のような乳白色の石は、しんと静まっている。


「元からよ。だって、光らなくなってしまったから無光堂に納めようとしたのだもの」

「光らなくなったのを自分で確認したのか?」

「見てはいないけれど、当たり前のことでしょう。光っている蛹石なら羽化師が羽化を試みているはずだから」

「見てもいないものをどうして信じるんだ?」


 蛹石の光は生命力であり、魂が持つ来世への希望、つまり羽化したいう願望の表れだ。


 未来へ羽ばたくことを願う魂ならば、たとえ今世に恨みや心残りを抱えていたとしても、羽化師が魂の夢の中に入ってこの世への未練を断ち切る手伝いをすれば、殻を破り羽化することができる。だから、光を発する蛹石を都の辺境にある寂れた無光堂に運ぶ理由はない。


 そんな自明のことを執拗に深掘る颯に眉根を寄せて、綾埜は返した。


「蛹石を無光堂に送る最終的な許可を出すのは、羽化師の長である魂蝶頭(こんちょうのかみ)よ」

「そいつはそんなに信用できるやつなのか?」

「あなたよりはよっぽどね」


 魂蝶頭である守影友潤もりかげのともみつは、同じく羽化師をしていた綾埜の父の友人である。綾埜自身も、彼やその息子の暁潤(あきみつ)とは交友があり、守影の羽化師の人となりはよく知っている。


 魂蝶頭は寡黙で、冷淡だと誤解を受けやすい男だが、これまで誰も手をつけてこなかった、羽化師の労働環境改善を断行したほど、情のある人物でもある。


「あれこれと言い訳じみたことを並べ立てたところで、蛹石を盗むなんてそもそもが非道だわ」

「どっちが非道だ。こいつらから光を奪ったのはおまえらだろ」

「羽化に失敗したことを言っているのなら、仕方ないじゃない。私たちだって全力で」

「全力を出したから、失敗しても許される。そういうことか?」

「それは」


 蛹石が光を失うということは、生まれ変わるはずだった一人の人間の未来が閉ざされたということだ。


 彼の声に含まれる非難の色に胸をちくりと刺されたが、暴漢の言葉に素直に頷くのも癪である。


「……とにかく、あなたがやっていることは犯令行為だわ」

「犯令ねえ。じゃあ魂蝶寮に戻ったら俺を通報するのか?」

「あ、当たり前よ」

「ふうん」


 綾埜を見つめる瞳に剣呑なものが過る。颯は床に手を突き上体を前のめりにした。息がかかるほどの距離に鼻先がある。身を引きたいが、壁に阻まれて、ただ睨み返すことしかできない。


「本当に俺のことを話していいのか? 下賎の男に攫われて一晩と知れば、お綺麗な貴族連中が何と噂するかな。大内裏の魂蝶寮はともかくとして、帝や后の側に侍ることはできないだろうなあ。それだけじゃなくて、恋人の足が遠のくかも」


 面白がるような笑みに口元が歪んでいるのが忌々しい。


 あいにく綾埜に恋人はいないものの、真相はどうあれ穢れた娘だと噂になれば、高貴な方々のお側に上がることができなくなるかもしれない。


 羽化師になるには生来の素質が必要であり、その適正を持つ者は希少である。だから当然、魂蝶寮は人員確保に躍起になる。


 つまり羽化師としての活躍には、貴賤や性別は関係ない。女性でも身を立てることのできる職業なのだ。「御簾の奥に隠れているべき貴族の姫が、人前に顔をさらけ出すなんて」と蔑視されることもあるのだが、仕事をするからには出世が脳裏を過るわけであり、その最たる栄誉はやはり、帝や皇后に仕えることだろう。


 その道が閉ざされることになると思えば、胸に大きな穴が空くような虚無感を覚える。しかし。


「皆に説明するわ。魂蝶頭なら、あなたを告発しても私が不利益を被らないように、上手い立ち回り方を考えてくれるはず」

「あいつを信用してもいいことないだろ」


 あいつ、とは魂蝶頭のことか。どこか気安い呼び方に、綾埜は少し違和感を覚えたが、問いただす間はなかった。


「まあ、どうしてもこのことを話すっていうなら、おまえを帰すわけにはいかねえな」


 颯は上体を元に戻して常識的な距離を空けると、先ほどの蛹石を裏返し、刻まれた名を読み上げた。


藤原篤子(ふじわらのあつこ)。この魂の持ち主だった姫の名だ」

「藤原」

「といっても、父親は六位蔵人。下流貴族らしい」


 帝の後宮に次々と姫を入内させ隆盛を極める藤原一族だが、都には藤原姓が溢れている。帝のお側で仕える者もいれば、政争に負け落ちぶれた家もあるのだ。


 とはいえ、曲がりなりにも藤原篤子は貴族の姫だという。その蛹石がなぜ、光を失い無光堂送りになって、挙げ句の果てに粗野な無法者の手に渡ることになったのか。


「依頼されたんだよ。彼女の乳母からな」


 綾埜の顔に浮かんだ疑問を読んだらしく、颯は言う。


「どうやら篤子姫の蛹石は雑に扱われて、ろくに羽化を試みてもらえなかったらしい」

「魂蝶寮が忙しい時期に亡くなったの?」


 各地の寺社に運び込まれた後、魂蝶寮やその支社に届いた蛹石は、原則到着順に羽化師の手に渡る。流行病などで死者が多く出ると、長らく順番待ちをしている間に光を失う蛹石が増えてしまうという事情がある。


 だが颯は、端正な顔に含みのある表情を浮かべて首を横に振った。


「見捨てられたんだよ。何でも篤子姫は、生き霊になって従姉を呪ったんだとさ」

「生き……」

「なあ、あんた。学生とはいえ、一応羽化師なんだろ。じゃあ、蛹石の夢には入れるよな」

「それはもちろん」

「ならよかった」


 颯は突然、懐から石刀のような物を取り出して、大きく振りかぶる。そして。


「なっ」


 石刀を叩きつけられた蛹石が、鈍い音を立ててひび割れる。あまりの暴挙に絶句する綾埜の手首を颯が掴んだ。


「手伝え」


 亀裂の奥、蛹石の中央に燻っていた淡い紫色の光が明滅しながら増幅し、二人に襲いかかった。


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