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魂の羽化師は夢を斬る 平安鎮蝶譚  作者: 平本りこ
序章

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2/12

2 無光堂の盗人②

「え……?」


 思わず声が漏れた。御堂の側に並ぶ、半ば風化した石塔の足元に、蛍のように明滅する何かがある。その色は、紫。魂が関連した事象にまつわる色だ。しかも、あの光り方には見覚えがある。


(光を失いかけた蛹石(さなぎいし)と同じだわ。普通の蛹石よりも暗いけれど)


 綾埜(あやの)は石塔が乱立する方へと足を進めた。近づいてみれば、間違いない。まだ新しい蛹石が弱々しい燐光を放っている。


 そっと手を伸ばし、触れてみる。魂蝶寮(こんちょうりょう)の仕事で羽化を試みる際と同様に、魂が秘めた活力が指先を痺れさせる。その波動は身体の芯を貫いて、ぞくりとした悪寒へと転じた。


(どうしてこんな場所に蛹石が)


 人生を生き抜いた死者の魂は、総じて敬われるべきものだ。魂蝶寮も学生たちに、そう教えている。魂の化身が路傍に放置されるなど、冒涜も甚だしい。


 激しい混乱に見舞われつつ辺りの地面を見回して、ふと違和感を覚える。


 いいやまさか、と思い後退り、束の間呼吸を止めた。じゃり、と足裏が小石を踏む。


(私は、いったい何を踏んでいるの……?)


 まるで足裏から怪異が這い上がるかのような悍ましさに、全身が凍りつく。


 やっとのことで足を退けると、そこに散らばっているのは、白茶けた小さな丸石たち。やはり、これは。


「蛹石の、欠片……?」


 その時だ。


 背後の闇から腕が伸び、何者かに羽交い締めにされた。


「な」


 取り落とされた松明が、足元から綾埜たちを照らしている。


「騒ぐな」


 手際よく口元を封じられ、首筋に剣呑な白刃が光る。怨霊の類いではない。全身を拘束する熱と感触、そして滾るような害意は、紛れもなく人間のそれだった。


 低い声が近距離で耳朶を揺らす。


「騒がなければ、傷つけはしない」


 男だ。おそらくまだ若い。


 綾埜は葛籠を抱きしめて、小さく頷き恭順を示した。


「それを足元に置け」


 それ、とは何だろう。思考が追いつかずに硬直した綾埜に軽く舌打ちをして、彼が顎をしゃくる気配がした。


「それだ。蛹石を地面に置けと言っている」


 ――蛹石泥棒が出るのですって。


 記憶の中で響く姫君たちの姦しい声のおかげで徐々に現実に引き戻されると、綾埜の胸には疑問が生まれた。


 通常ならば、供養を終えて無光堂から出てきた羽化師の腕に、蛹石があるはずがない。葛籠の中にまだ蛹石があると知っているのだとすれば、この男は綾埜をつけて御堂の中に忍び込み、全てを見ていたのではなかろうか。


(手練れの盗人ね)


 敬意を示すべき蛹石を盗むだなんて、道徳に反する行いだ。


 恐怖が突き抜るところまで達した綾埜は、一周回って肝が据わった心地がした。沸々と、怒りが込み上げる。人知れず拳を握り、態度だけは従順に軽く膝を折って葛籠を置く。


 小娘だと侮っていたこともあるのだろう。綾埜を拘束する腕が微かに緩んだ。その隙を衝き、綾埜は男の脛を思い切り蹴った。


「っ!」


 喉の奥で唸るような声と同時に、もう一段拘束が緩む。男の腕から抜けだそうとして身をよじる。


 もみ合う中で、綾埜の腕が男の顔を打った。ずれた覆面の隙間から、鋭い眼光が覗く。想定以上の反撃だったのか、目が合った瞬間、息を呑む気配がしたが、それすらも好機と見た綾埜は半ば転がるようにして葛籠を抱き上げて、牛車の停まっている方角へと駆けた。しかし。


「あ……」


 小石に足を滑らせて、無様に転倒する。それでも葛籠は放さず、まるで自分の身体と同化するのではないかというほど強く抱いた。盗人が背後に迫る。綾埜は、牛車の方へ向けて声を上げた。


「誰か、助けて! 蛹石泥棒よ!」

「おい……」

「泥棒、泥棒が出たわ!」


 綾埜の声が届いたのだろう、松明の明かりが石塔の間に踏み入るのが見えた。牛飼い童が綾埜を助けに来てくれたようだ。


「ここよ」

「いい加減口を閉じろ」


 地面に這いつくばった綾埜の狩衣が乱暴に掴まれ、逆の手で、腹の下に隠した葛籠を探られる。意地でも放してなるものか。


「それを渡せ。渡さなければ、斬る。脅しじゃねえぞ」


 綾埜は、薄らと涙の浮いた目で男を見上げた。覆面は解けて首にかかり、全顔が露わになっている。地面に転がる松明で朱色に揺れているのは、意外にも上品な顔立ちだった。


 二十代の半ばほどだろうか。きりりとしたな眉と意思の強い眼は共に形がよい。薄闇で鮮明には見えないのだが、装束を整えれば、羽化師と同じように大内裏で働く官人たちと並んでも遜色ないだろう。言動の印象から粗野な顔を想像していたので、少なからず驚いた。


検非違使(けびいし)に言って、人相書きを作ってもらおう)


 都の警備を担う検非違使に、この男を捕らえてもらうのだ。しかしその前に、この場を切り抜けなくては。


 素直に葛籠を手放せばひとまず命は助かるかもしれない。だが、顔を見られた盗人が、約束通り綾埜を逃がすだろうか。一瞬の迷いが、綾埜の運命を決定づけた。


「羽化師殿、どこに」


 怖々とした牛飼い童の声が近づいている。我に返り居所を示そうと開きかけた口に、突然布の塊が押し込められた。あっという間に細長い布が口から後頭部に巻きつけられて、声を封じられる。頑なに抱いた葛籠ごと麻袋を被せられ、全身を拘束されて、まるで荷物のように担ぎ上げられた。


 ただでさえ狭い袋の中で気が動転して、息苦しい。窒息の恐怖すら覚え、言葉を出せない綾埜は唸った。


 すぐ側で盛大な舌打ちが鳴り、悪態が発せられる。


「面倒なことになったな」


 それはこちらの台詞だと吐き捨ててやりたかったのだが、あいにく布に阻まれ舌が動かない。為す術もなく、綾埜は囚われの身となった。


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