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魂の羽化師は夢を斬る 平安鎮蝶譚  作者: 平本りこ
二章

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2 羽化師である理由

「……簡単に羽化したわね」

「素直で善良な生を送った人だったからな」


 右京の廃屋敷にて。


 長時間板床に横たわっていたものだから、全身が軋むように痛む。上体を起こしながら腰をさする綾埜(あやの)とは対照的に、(はやて)には少しも堪えた様子がない。


 魂を蝶夢(ちょうむ)の中に飛ばしている間、肉体は眠りにつくものだ。魂蝶寮(こんちょうりょう)では羽化師のために褥が用意されているのだが、颯の仕事場にはそのような気の利いた物はない。


「あのままうじうじしているようなら、また太刀でも握らせようかと思ったが、まあ出番がなくてよかった」

「乱暴よ」


 蝶夢の中で自由自在に武器を生成できること自体が異例だが、普通の羽化師はそもそも、刃物でことを解決しようなどとは考えもしないだろう。


「颯のやり方は少し短絡的過ぎると思うの。太刀で心の闇を斬るのはいいけれど、自暴自棄になった魂が自傷でもしたらどうするの?」

「そんな柔い魂なら、来世でも苦労するだけさ。生まれ変わらない方がいいかもな」

「ひどいわ。羽化師なのに」

「おまえは甘過ぎる。篤子姫にやられそうになったのを忘れたか」

「あなただって、直さんに握り潰されかけたじゃない。運良くお昼寝して夢の中にいたあの女の子の魂を私が連れて来なかったら、帰れなくなっていたかもしれないわよ」

双翅(そうし)様々だな」

「誰が双翅よ」


 じっとりと睨む綾埜と、飄々とした顔で受け流す颯。その呑気さを咎めるように、脇に置いた蒔絵の小箱がかたかたと揺れた。先ほど二人が羽化させた蛹石……薬売りの青年直だ。


 颯は小箱を抱え、滑るような足取りで簀子(すのこ)から庭に出る。後を追った綾埜が隣に並ぶのを待ってから、颯は蓋を開いた。


 清すぎるほどに白い蝶が、二人の周囲を旋回して空へと舞い、南へと飛んで行く。


「夢の結末と同じように、あの子のところに行くのかしら」

「さあな。だが、そうだったらいいなと思う」


 蝶が消えた方角をじっと眺める颯の眼差しが温かい。すぐに物騒な刃物に頼ろうとする強引さからは想像がつかないほど、穏やかな瞳だ。


 以前は魂蝶寮に所属していたと語った颯。彼が何者なのか知りたいという思いが、むくむくと湧いてくる。


(除籍になった羽化師の記録ならきっと、魂蝶寮の書庫に残っているわよね)


 視線を感じたのだろうか、颯が軽く首を傾けて綾埜を見る。勝手に人の過去を暴こうとしていた浅ましさを見透かされたような気がして、綾埜は思考を切って別のことを訊ねた。


「颯はいつから太刀を振り回すことを考えついたの」

「おいおい、人聞きが悪いな」


 颯は苦笑して箱を閉じ、白い息を吐きながら室内に戻って行く。火鉢を火箸で突きながら、綾埜に円座を勧めた。


「そんなことよりも、あんな簡単に羽化する蛹石が魂蝶寮に運ばれずに捨てられていたって事実をどう思う」

「それは」


 信じられない、何かの間違いではなかろうか。正直、頭ごなしに否定をしてしまいたい。しかし、実際にこの目で見てしまったのだから、今さら目をつぶることもできない。


「糾されるべきだと思うわ。やっぱり、魂蝶頭(こんちょうのかみ)に言って」

「やめておけ。おまえが消される」

「消されるって、そんな物騒な」

「そういう世界なんだよ」


 颯はため息を吐き、綾埜の目を覗き込んだ。


「おまえはどうして、そんなに羽化師の仕事に熱くなるんだ?」


 じっと見つめ合い、どこまで答えるか躊躇する。颯の瞳にはやはり、侮りの色はない。透き通った夜空に吸い込まれたように、気づけば言葉が引き出されていた。


「羽化師の父を、尊敬していたの」

「つまり、父君が悪事に加担していたなんて、信じたくないわけか」

「お父様は蛹石を貧富で差別なんかしない!」


 突然の剣幕に、颯は軽く眉を上げる。それから表情を引き締めた。


「悪かった。亡くなった人を侮辱するつもりはなかった」


 意外にも真摯な表情で言うものだから、反射的に声を荒らげたことを少し後悔した。


「私も、ごめんなさい。……あなたが魂蝶寮を除籍されたのはもしかして、悪事を暴こうとしたからなの?」

「俺のこと、そんな正義漢だと思うか?」


 答えに窮す綾埜に呆れたように笑ってから颯は、無意識と見える手つきで袴の帯辺りを撫でた。扇骨に紙を張った蝙蝠扇(かわほりおうぎ)が挟んである。


「正義かはわからないけれど、あなたには信念があるように見えるから」

「何だ、いよいよ俺を褒めてくれるんだな」


 ずい、と顔が近づいて、思わず息を呑んで身体を引く。突然のことに一跳ねした綾埜の心音が聞こえたはずなどないのだが、颯の頬にはどこか揶揄うような笑みが浮かんでいる。綾埜は目を鋭くして見つめ返す。


 近距離でしばらく視線を交わしあってから、颯は何事もなかったかのように上体を戻した。


「俺が魂蝶寮で問題を起こしたのは、ただ、いけ好かなかったからさ」


 純白の蝶が消えた方角を眺める颯の横顔に、それ以上踏み込めない壁を感じ、綾埜はただ、彼と同じ方へと目を向けた。ひょう、と冷たい風が吹いている。


「それはそうと、そろそろ年の瀬だな。おまえも出るのか?」


 あからさまに話を逸らされた上、唐突な問いだったので、一瞬何を言われたのか理解が追いつかない。ぱちぱちと目を瞬かせる。


「ほら、年末の浄蝶祭(じょうちょうさい)だよ。雑用はいつも、下っ端学生(がくしょう)の仕事だろ」

「ああ、そのこと。もちろん参加するわ」

「今年の蝶門(ちょうもん)東明門(とうめいもん)だったか?」

「いいえ。西徳門(せいとくもん)よ。東明門だったのは去年」

「へえ、そうなのか。じゃあ年の瀬は縁起を担いで西向きで寝るよ」


 浄蝶祭とは、無光堂(むこうどう)で一年間以上供養された蛹石を内裏に運び、焚き上げる儀式だ。


 毎年末と年の真ん中に年二回行われる行事であり、これを行うことで光を失った蛹石の無念を昇華させ、国土に蔓延る疫病や災害といった難事を退けることができるといわれている。


 そして蝶門とは、無光堂を出発した蛹石が儀式の場に入るのに縁起のいい門のこと。これは毎年魂蝶頭(こんちょうのかみ)が占定する。つまり蝶門は年によって異なるのだ。


 しかしそのようなことを気にかけるのは、羽化師か、行事の采配を任された貴族くらいのもの。綾埜は妙なところで感心を抱いた。


「蝶門のことが真っ先に浮かぶなんて、本当に魂蝶寮の官人だったのね」

「何だそりゃ。信じてなかったのか」

「そういうわけじゃないけど」


 颯は「ふうん?」と疑わしげに首を傾けてから言った。


「まあ、気をつけろよ。最近は無光堂に運ばれる蛹石が多いんだ。その分、浄化されなかった恨み辛みが凝っているだろうから。昔、焚き上げの時に物の怪に憑かれた羽化師もいたらしいし」


 神妙な声音に、綾埜は思わず口を閉ざす。颯は深く語ることはせずに、ただ眩しそうに目を細め、空を見上げた。薄らと白みかかる青空は、冬の冷気に冴え冴えと澄んでいる。もうしばらくすると、雪がちらつくかもしれない。

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