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魂の羽化師は夢を斬る 平安鎮蝶譚  作者: 平本りこ
一章

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7 守影の父子

綾埜(あやの)、無事だったか!」

暁兄(あきにい)様。ご心配をおかけして申し訳ございません」


 官舎が建ち並ぶ大内裏(だいだいり)魂蝶寮(こんちょうりょう)の一室にて。慌ただしくやってきた竜胆色(りんどういろ)狩衣(かりぎぬ)姿の男を前に、綾埜は板床に座して頭を下げた。


 男の名は、守影暁潤(もりかげのあきみつ)魂蝶頭(こんちょうのかみ)の嫡男である。


 血筋に恥じず羽化師としての才気に溢れる有望な若者だが、奢ったところはなく、むしろ気さくな人柄を持つ。顔立ちも、どこか甘やかで人懐っこい印象を与えるため、老若男女問わず人望の厚い若手羽化師だ。


 魂蝶頭と二年前に身罷った綾埜の父親柏正則(かしわのまさのり)は、羽化師として切磋琢磨した友人同士であったため、五歳年上の暁潤には幼少の頃、よく遊んでもらっていた。綾埜にとっては、兄のような存在でもある。


無光堂(むこうどう)(そば)の石塔の下で気を失っていたとか。牛飼い童が、綾埜が何者かに攫われたと取り乱して戻ってきたものだから、こちらは生きた心地がしなかったよ」

「何か……そう、物の怪のようなものが現れたのです。それに驚いて気絶してしまって」

「ではあの男、勘違いをした挙げ句綾埜を残して逃げ帰ったということか」

「彼を罰しないでください。私が、勘違いをさせるような叫び声を上げてしまったのです。それに、悪いのは物の怪ですよ」


 その正体は人間の青年なのだが……とはもちろん言えないので、綾埜は神妙な顔で続ける。


「前回の浄蝶祭(じょうちょうさい)からもう五ヶ月ですから。都の結界も綻びているのでしょう」


 浄蝶祭とは、無光堂で供養された蛹石を焚き上げて、現世への恨み辛みや未練を浄化させる儀式である。魂蝶寮の主導で年に二回執り行うものだ。


 年の瀬に控えた浄蝶祭では、綾埜も羽化師として鎮めのための幣帛(へいはく)を内裏に埋める手伝いをする予定である。


「物の怪ごときで恐れをなして逃げ帰るなんて、魂蝶寮に雇われるのには向いていないな。配置換えを手配しよう」

「どうか、俸給が減る人事はしないでくださいね」

「綾埜が怪我でもしていたら、配置換えでは済まないところだった。そうそう、昨晩は、(かしわ)大君(おおいぎみ)……君の姉君が大変だったのだよ。綾埜が帰って来ないと泣き叫んで、魂蝶寮に乗り込んできた」

「その節は申し訳ございません。義兄も一緒だったそうで」

「まあ、晴成(はるなり)殿は早来埜(さきの)の尻に敷かれているからねえ」


 今朝、何とか宥められて自邸に戻ったらしい姉の早来埜とその夫である晴成に迎えられた綾埜は、涙と抱擁と叱責と、とにかく強烈な感情の嵐もみくちゃにされたばかりであった。あの様子では、深夜の魂蝶寮でも一騒動起こしたに違いない。


 綾埜たち柏の姉妹は、幼い頃に母を、そしてつい二年前には父を亡くしている。どうやら早来埜は七つ下の綾埜を、自らが親代わりとなり守ってやらねばと思っているらしいのだ。


 成人の証である裳着(もぎ)を終えてもう何年も経つ綾埜としては、姉のあまりの過保護さに苦笑が浮いてしまうこともあるのだが、姉夫婦の愛情はいつも、綾埜を支えてくれるかけがえのない存在だ。


「そういえば、昨日の今日で、よく外出を許してもらえたね?」

「蛹石を持って帰ってきてしまったので、早くお返ししないと……と言ったのです」

「言ってくれれば、誰かに取りに行かせたのに」

「いいえ。そんなお手数をおかけするわけには。それに私自身、魂蝶寮に用事があって」


 そわそわとしながら、暁潤の顔を見上げた。


「急ぎ魂蝶頭にお会いしたいのですが、今はどちらに?」

「え、どうして」

「無光堂で、少し気になるものを見たのです」


 暁潤は少し戸惑いつつも、拳を握り勇んだ綾埜の気迫に圧されたらしい。


 魂蝶頭はこの時刻、貴人の羽化に入っているが、それが終われば午後まで予定はないと教えてくれた。






 魂蝶寮の官舎には、几帳(きちょう)で仕切られた簡素な(つぼね)が何十もある。羽化師たちは双翅(そうし)と呼ばれる二人一組となって局に入り、受け持つことになった蛹石の夢に舞い降りる。


 羽化師たちの総本山であるこの場所には、都の近辺で命を終えた人々の蛹石がほとんど全て集まってくるのだ。局の数はこれでも全く足りていない。


 だが、単に部屋を増やせば解決するということでもない。蛹夢に入ることができるのは、生来その素質がある者だけである。魂蝶寮は貴賤や性別を問わず羽化師を養成しているとはいえ、そもそもの適職者数が少ないのが頭の痛む問題だ。


 局の中からぼんやりと薄紫色の光が漏れる中、綾埜は羽化師の装束である竜胆色の狩衣姿で広廂を足早に進む。魂蝶頭は、調べ物があるとのことで、本舎と歩廊で繋がった先にある書庫にいた。


 巻物や冊子が積まれた書庫内は、よく清掃されているとはいえ、どこか埃っぽい独特の匂いがする。紙を傷めないよう、室内にはあまり陽光が差さず薄暗い。ちょうど太陽が中天に達した時刻だというのに、燈台には火が灯っている。


 静謐な空気が漂う中、濃紫の狩衣を纏った五十歳ほどの男が、冊子を開き棚の前に立っていた。濃紫は魂蝶頭にのみ許された色だ。


「魂蝶頭」


 戸口の辺りで声をかけると、少しの沈黙の後、魂蝶頭守影友潤(もりかげのともみつ)は軽く首を動かし綾埜を見た。


 風がない日の湖面のように凪いだ瞳。友潤が激しい感情を露わにすることは滅多にない。


「綾埜か。昨晩は大変だったようだが」

「お騒がせして申し訳ございませんでした」


 頭を下げれば軽い頷きが返ってくる。


 綾埜が無光堂の暗がりで倒れていたことは、彼も報告を受けているはずだ。職務中に失神したばかりの部下を前にして、いささか冷淡過ぎるようにも見えるが、魂蝶頭の視線が、綾埜の顔色や四肢の動きを素早く観察し、不調がないことを瞬時に確認したことが伝わってきた。彼は決して、厳格なだけで情のない長ではない。


「それで、何か用事か?」

「お訊きしたいことがあるのです」


 綾埜は拳を握り、やや前傾しながら言った。


「光を失った蛹石は本当にもう羽化できないのですか」

「……なぜ、そのようなことを?」


 綾埜は返答に窮して口を閉ざす。(はやて)のことを告げるわけにはいかない。どのように話せば丸く収まるだろうか。綾埜は慎重に口を動かした。


「無光堂に行って、考えたのです。都の周辺から集まってくるものだけでも、光が涸れた蛹石がこれほどたくさんあるなんて、思ってもみないことでした。その……無光堂の中で祀られている石の中には、少し光っているものもありました。もしかすると蛹石は、一度光を失ったらそこで終わりというわけではないのかもしれません」


 巌のように硬く感情の読みにくい魂蝶頭の頬が微かに動く。しかし、それだけだった。


「もう帰りなさい」

「でも!」

「身体は問題ないのか」


 唐突な気遣いに、気勢を削がれる。魂蝶頭は続けた。


咳逆(がいぎゃく)の流行で都が騒然としているのだ。一晩無光堂に一人でいたというならば、よもやうつっていることはなかろうが、体力が衰えればどこで病を得ないとも限らぬ」

「私は大丈夫です。それよりも、無光堂に送られる予定の蛹石をもう一度」

「綾埜」


 魂蝶頭の手の中で、ぱたん、と冊子が閉じた。決して大きな音ではなかったが、明らかな拒絶を表していた。


「おまえは何者だ? ただの学生(がくしょう)だろう。魂蝶寮は魂蝶寮の規範に則り運営されているのだ。口を慎め」


 もう一度、「帰りなさい」と手の動きで促される。綾埜は両脇に下ろした拳を強く握りしめ、唇を噛んで魂蝶頭の顔を険しい目で見つめる。やがて、とりつく島もないと理解すると、綾埜は頭を下げて(きびす)を返した。


 荒い足音が去り、余韻すら消えた書庫。静寂の中、残された魂蝶頭の唇から、ぽつりと呟きが落ちた。


「光を失ったらそこで終わりというわけではない、か。あれと同じことを言うのだな、綾埜」


 その声は書物の群れに溶け、他に聞く者はいなかった。

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