第8話 アンヌのお茶会
執事が執務室に訪れた時、アンヌは真面目に仕事をしていた――いつもと変わりなく。
広大な伯爵領を統治する彼女の元には、さまざまな書類が持ち込まれる。
税の支払い。
小麦、芋、豆、酒などの物納報告書。
今期の収穫見通しの確認。
半年ごとの賃借対照表と損益計算書のチェック。
水利権――生活用水、畑作、牧畜、水車のバランスを取らないとアンヌ曰く『シャレにならない死活問題になる』――の仲裁。
雨が降れば橋や道路が傷むから補修の人員を向かわせないといけないし、結婚式に出席して欲しいとか、子供の名前を付けて欲しいという請願もある。有力者からの縁談の申し込みもそこそこある。アンヌは権力と金を持った寡婦であるし、領民からの評判も良い。人を殺さなければ絶世の美女だ。
「ふー……」
うず高く積もった書類と格闘し、万年筆を持つ手に疲れを覚えた頃。
おやつの時間になっていた。
「そろそろ小休憩をとるか……」
頭を使いすぎた。肩も凝った。心なしか声音もぐったりしている。
『今日のスイーツは何かしら』と、内心ウキウキして椅子から立ったところでノックの音がし、長年働いている執事が手紙を持ってやってきた。
「耳の長い来客が伯爵領境付近に来られたそうで。言伝を頼まれました。『できれば会って話をしたいが、伯爵領を覆う結界に阻まれて入れない』と」
「はぁ……。追い返して。このクソ忙しい時に、無駄な会合でおやつの時間を邪魔されるとかマジでありえないから」
「『門前払いするだろうから、ジーボルグが来たと伝えて欲しい』と」
執事が一言つけ加える。
疲れ、うろんになっていたアンヌの瞳が、トパーズのような輝きを帯びた。首が大きく上下し、鮮やかな珊瑚朱色の髪が日光を反射してきらめく。
「ジーボルグ!? それを先に言いなさい! 200年くらい前につるんだ仲間よ! どこ? いや、すぐに屋外のテラスに案内なさい。丁重に。失礼のないように。
このネックレスを渡せばエルフでも結界を素通りできるようになるから。さあ、早く。……ああ待って。彼が到着したらすぐにお茶会を開きたいわ。メイドたちに準備させて」
矢継ぎ早に言いつつ、執務室のデスクの引き出しを開け、大きな宝飾品のついたネックレスを渡す。巷で売れば捨て値でも金貨10枚はつくだろうそれを、執事は恭しい手つきで受け取った。
「かしこまりました」
『200年くらい前』というアンヌの言葉には突っ込まない。この執事には分かっていた。この世には知らない方がいいことがたくさんあって、特にアンヌの年齢に関する話は、へたに深堀りすると命にかかわると。
***
青空が見えるカフェテラス。
大きめの丸テーブルにはテーブルクロスが敷かれ、白磁のアフタヌーン・ティースタンドには菓子が並べられていた。一段目が小ぶりなフィナンシェやマカロンといった焼き菓子、二段目が色とりどりの果物で作られたゼリー。三段目がオレンジのタルトだ。
アンヌの財力と、甘い物に対するこだわりがうかがえる。
紅茶が白い湯気を立てていた。本日の茶葉はアールグレイで、柑橘系の華やかな香りをただよわせている。
アンヌがテラスに着くと、相手はすでに到着していた。
人間ならば80歳になろうかという老爺だった。元は鮮やかな金髪であっただろう髪の毛は銀色に変わり、しかも前髪がかなり後退している。エルフらしく、耳が長い。
彼女を見るなり笑顔を浮かべたその老人は、抑えてもにじみ出る威厳があった。非道ぶりはさておいてスタール大公も為政者としてはそれなりの覇気があったが、この男は格が違う。身にまとう雰囲気が、人に一目を置かせ、自然と従わせる何かこの男にはあった。
「やあアンヌ。いや、レヴァンティン伯爵と呼ぶべきかな? 相変わらず君は美しい」
「アンヌでいいわよ。わたくしも昔と同じジグって呼ばせてもらうから。そっちは随分と老けたわねえ」
「ははは。嬉しいねえ。僕のことをその名で気安く呼んでくれる相手はもう君くらいしかいなくなってしまった」
ジーボルグ。略してジグ。
アンヌが彼とつるんでいた頃の愛称だ。
両者とも椅子に座り、お茶会が始まった。
「皇帝になったんだっけ?」
「違うよアンヌ」
かたわらに控えていた執事とメイドたちがアンヌの一言にぎょっとし、ジーボルグ老人の笑いながらの否定にほっとした。
「あら、ごめんなさい」
「僕がなったのは教皇の方。皇帝になったのはジュリエッタ姐さん」
「そうでした」
居並ぶ執事が、メイドが、白目を剥いて卒倒しかけた。
エルフの、教皇!
たかだか人口10万人程度の小国とは比べ物にならない。エルフという種族全体の代表といっても過言ではない。
そんな超VIPが、皇帝でも国王すらない一介の伯爵と、対等に話している。
「今回の件で――分かってると思うけど君がエルフの”集落”と揉めた件で――姐さんとも相談したんだけど、僕がじゃんけんで勝ってね。君に会う機会を勝ち取ったというわけさ」
「あらまあ、可哀想。公務の名目がないと気軽に旅行もできないのね」
「まったくね。アンヌとパーティを組んでいた頃が懐かしいよ。あの頃は金もなかったし日々の飯にも事欠いたし、治安は最悪だったけど、自由があった」
「そうね……」
遠い目で、アンヌはしわだらけになった旧友の顔を見た。
彼とアンヌ、ジュリエッタにあと2人。世界最強の5人でパーティを組み、大冒険の末に当時の魔王を討伐したのは200年以上も昔のことだ。
「お互い、遠いところに来たものね」
「本当にね」
しばし沈黙が流れ、ジーボルグは本題を切り出した。
「アンヌ。いくつかの質問に答えて欲しい。君とは喧嘩をしたくないが、返答次第ではエルフという種族全体と君との全面戦争になる。
といっても脅しているつもりはない。君と戦えば、こちらの勝率は良くて1割程度だと思ってる。それも種族の半分以上を犠牲にする前提でだ。だから戦いたくない」
アンヌはうなずき、傍らに立った執事たちに向けて手を振った。
『二人だけで話をしたい』という合図だ。
心得て、執事とメイドは下がっていき、テラスにはアンヌとジーボルグだけになった。
「率直な戦力の見積もりありがとう。最近はなまってるから五分五分だと思うわ。それはそれとして、質問はなに? 私に答えられることなら何でも答えるわよ」
「では最初の質問をしよう。
君は、エルフという種族を滅ぼすつもりかい?」




