第3話 それは生ける災厄だった
異変は、静かに進行していた。
『国境から出られない』
エルフの国へのアンヌの来訪と同日、同時刻からそれは起こっていた。
最初に気づいたのは、働き者のエルフの行商人だった。大量の麻薬を荷馬車に積み、他国で売りさばくために国を出ようとした矢先のことだ。
出られない。
出ようとすると、何故か国境内の同じ場所に引き戻される。
ほどなくして、他の者も同じ現象を確認した。
西の国境も、東の国境も、北も南も、西北も南東も、とにかくあらゆる方角でその現象は起こっていた。
『国境から出られない』
空を飛んでも駄目。
川に入り、水面から顔を出さずに泳いでも駄目。
奴隷として使役している人間や家畜、動物は出られた。
純血か混血を問わず、エルフのみが出られなかった。
出入りの行商人や貿易商も、人間ならば出られるが、エルフの血が入った者は出られない。
言い換えると、支配者層だけが国から出られなくなっていた。
国に入ることはできた。しかしひとたび入国すると、出られない。
「いったい何が起こっているのだ!?」
異変を報告するために、エルフ達は国家の中枢へ――評議院へと向かった。
***
スタール大公は、呆然と家族たちの顔を眺めていた。
誰も彼もが、かけがえのない、失ってはいけない相手だった。彼にとって大切なだけではない。彼らエルフの国にとっても重要な存在であった。
長男は、『人間奴隷を従順にさせる方法』について研究し、多大な功績を残した。
次男は、長男の研究を改良し、『ヒトメスを従順にさせる方法』を発展させた。特に若い――出産可能になったくらいの――子供に対して、効果てきめんだった。
長女は、『壊れた人間奴隷を再利用してクスリの品質を確かめる手法』を整備し、廃棄奴隷の効率的な活用法を発明。
妻も愛人も、そんな優秀な息子と娘達に自分たちの奴隷を提供し、温かく支援した。
スタール大公には、わからなかった。
なぜだ……?
なぜ、彼らが死ななければならない……?
こんなにあっさりと。理不尽に。大した理由もなく。
みんなまだ、死ぬような歳ではなかった。長男も次男も長女も、『人間からはもっと搾り取れる余地があると思います』と目をキラキラさせ、協力しながらも競い合って、奴隷の有効活用について熱い論議を交わしていた。
人間の潜在能力を、彼らが産まれてから死ぬまでの間にどれだけ多く搾取できるか。その可能性を引き出すことに、人生の大半を捧げていた。
「一応聞いておきますけれども……」
女の声が、頭上から響く。
5人分の家族の頭部を前に呆然としたスタール大公が視線を移すと、血まみれになった衛兵たちの死体が、広間にうず高く積み上がっていた。
「わたくしの領民を差し出せというのはあなたの独断?
それとも国家としての総意?」
「…………」
目の前で何が起こっているか、スタール大公の頭は追いつかない。
呆然自失としてアンヌを見上げるが、ぼんやりとした頭の中に質問内容が染み入ると、答えを脳裏に浮かべた。
(独断のはずがなかろう。いかに大公とはいえ、軍を展開する許可は議会に諮らねばできはせぬわ)
「そう」
アンヌが、にっこりと笑った。
「やっぱり、国家としての総意なのね」
この時。
アンヌの凄絶な笑みを見た者は、スタール大公しかいなかった。
彼女を排除しようとしたエルフの精鋭兵総数120名は、全て躯になっていた。
***
「まさか、相手の心が、考えていることが読めるのか?」
がく然としながら、スタール大公が尋ねる。
その問いに、アンヌは答えない。
「議員たちがいる場所はどこ? …ああ、わりと近いのね。評議院か」
「読めるのだな」
「答える必要ある?」
アンヌが、スタール大公の身体を片腕で抱えた。旅行鞄を小脇に抱えるような動きだ。か弱い女の腕力ではない。
「“行け”」
短い呪文を唱える。
浮揚感。それに乱気流に揺さぶられるような感覚がし、さっきまでいた場所とは別の場所へと転移する。アンヌは違和感を覚え、小脇にかかえたスタール大公の身体を見た。
「あら。ごめんあそばせ。転移の前に両腕と片脚を切り飛ばしておくのを忘れていたわ。まあ結果は同じなんだけど、事前に綺麗に切り飛ばしておくより痛みが激しくなるから」
「ぐがっああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
片脚に加え、両腕と残った方の脚を失ったスタール大公が、血を流してのたうち回った。
とはいえ腕も脚もないので、そのありさまは芋虫かミミズのようだ。
空間転移は、繊細かつ高度な呪文である。
通常の転移では、アンヌ一人分の体積、プラス、キャリーバックの大きさを運ぶ程度の余裕しか残していない。
哀れなスタール大公は容積オーバーとなり、次元の狭間に巻き込まれた結果、あふれた箇所を失っていた。
「こんにちは。エルフの国の貴族? 議員かしら? の皆さま。わたくしは――少しお黙りなさい」
のたうつスタール大公に、アンヌは“沈黙”の魔法をかける。
「こんにちは。エルフの国のお偉い方々。わたくしはアンヌ・ジャルダン・ド・クロード・レヴァンティン女伯爵」
四肢切断された大公を傍らに、評議院の壇上に立つ珊瑚朱色の髪をした魔女。
黒革のライディング・ハビットは、エルフ達の返り血で真っ赤に染まっていた。
「そこの議席に頭部のない遺体がありますね。それはわたくしがやりました」
スタール大公の息子のことだ。
「それと、公邸に詰めていた衛兵さんたちおよそ100名はわたくしが返り討ちにしました。やむにやまれぬ正当防衛ですので謝りはしませんが、お悔やみ申し上げます」
議員たちは状況判断が追い付かず、青ざめて言葉を失い、事態を理解しようと必死にアンヌの一挙一動に目を向けた。
評議院で先ほどまで、議題である『今年の四半期で使い潰した人間奴隷512名をどう補填するか?』について討議していた。
そんな中で突然、ハゼッド公――スタール大公の長男――が首無しの死体になり、騒然としていたところだ。
そして続きざまに『スタール大公の身内が変死した』との報告が入り、状況を確認しようとしたところで目の前の女と、変わり果てた姿のスタール大公が現れた。
「失礼します!」
議会の大扉が開き、血相を変えたエルフが現れるなり叫んだ。
彼らエルフの軍のトップ、ペルタス将軍だ。
「何らかの魔術の痕跡があり、国外への移動が不可能になっています! 国境全域がです!」
「あら。ようやくお気づきになられましたか」
議員たちと、将軍と、スタール大公。全員の目がアンヌに注がれた。
「わたくしがやりました」
殺戮の魔女が。
いや。
人の形をした災厄が、居並ぶエルフ達に麗しい笑顔を向けた。




