第26話 化け物が生まれるまで
男は、混血のエルフだった。
男の名はクレタルといい、苗字はなかった。
混血であるがゆえに身分が低く、しかし優秀な魔術師である父の才能を引き継いだ彼は、血統を重んじる同年代のエルフ達からの深刻ないじめを受けて成長した。
彼が服を脱げば、あちこちに焼きごてを押し付けられた痕がある。いじめで受けた痕だ。教師や医者に訴えても取り合ってもらえないため、彼はかなり幼いころに薬草の扱いと治癒魔法を覚えた。
わずかな小遣いを貯めて安い奴隷を買い、その奴隷をいじめることで鬱憤を晴らした。
ヒトの血が混じっている自分よりもみじめな者がいることが彼のささやかな自尊心を守っていたが、その自尊心を守る拠り所はあまりにちっぽけで、脆弱だった。
(何で俺だけこんな目に……)
クレタルは、ずっとそんな思いを抱いていた。
彼よりももっとひどい目にあっている奴隷に想いを馳せるだけの想像力は彼にはなく、彼の母がどのような想いで彼を妊娠し出産したのかを考える力はさらになかった。
大人になり、混血児としては異例なことだが役所で働くようになった。
魔術師としての才が認められたからだが、クレタルはいつも周囲のエルフ達から嘲笑されコキ使われる下っ端で、彼よりも若く彼よりも無能な者が出世していった。
奴隷への拷問の腕は右に出る者がいないのに……!
ゴーレムを動かしての麻薬植物の運搬競争だって、常に役所で5位以内の成績を出しているのに……!
なのに、誰もそれを褒めてはくれなかった。
(この国の上の連中はクソだ。全員死ねばいいのに……)
血統主義のエルフの国で、クレタルは恨みを抱えながら生きてきた。
100年近い生の中。報われない自分を憐れみ、大した理由もなく自分をさげすむ連中を呪った。
ただ呪ってきただけだった。鬱憤を貯めてきただけだった。
彼は自分自身が何者にもなれない無力なカスであることを心底から弁えていたので、テロリストになるとか、一発逆転を狙って強盗のような犯罪をするとか、あるいは思い切って国を捨てて生きるということをしなかった。
日常的に死にたいと思っていたが、死ぬのは怖いのでだらだらと生きていた。
そんな中。
珊瑚朱色の髪をした美しい女が、この国に現れた。
***
「大公様の身内が惨殺された!」
「議員も、近衛兵もだ! 謁見の間と議院にいた者のほとんどが殺されてる!」
「相手は何人だ? どうやって侵入したんだ!?」
その日クレタルは、いつものように役所で働いていた。
いつものように同僚から無理やり押し付けられた雑務をこなし、いつものように5分に1度、くたびれた顔でため息をついた。
今日の昼飯は香草を練り込んだそばがきにするか……などと、ぼんやり考えている頃。
自分のはるか上に君臨する大貴族たちと、その貴族を護衛するエリート中のエリートたちが惨殺された。
「相手はたった1人! 大公が呼んだヒトメスの伯爵だ!」
「嘘をつくな! ヒトメスにどうやったらあんなことができる!?」
「とにかく軍を終結させろ!」
「女子供は安全な場所へ逃げるように指示をしろ。早く!」
偉いエルフ達が、血相を変えてうろたえていた。
大評議院には死体が山積みになり、クレタルはその惨状を見て心底からこう思った。
(ざまあみろ!!!)
胸がすく思いだった。
道端で金貨の入った財布を拾った時でも、これほどうれしいと思ったことはない。
偉い大公様が四肢を斬られ、見るも無残なありさまとなって虚脱し半ば廃人と化したのを見てさらに嬉しさは増した。
「おいそこの! 混血の半端耳! ぼさっとしてないで遺体の処理をしろ!!」
「あぐっ。す、すみませんっ!」
生き残った兵に殴られたが、クレタルは卑屈な態度で謝ると近くにいる奴隷と同じように兵の指示に従った。口元に笑みを浮かべながら。
それから3週間、クレタルは『奴隷よりもはるかにましな条件』であくせく働かされ、全ての遺体を片付け終える頃には、さまざまなことを学んでいた。
疫病の蔓延を防ぎながら、遺体を処理する方法も。
兵隊長がどんな命令をくだし、その命令に部下がどう従うのかも。
その翌月からは、さらに怒涛の日々が待っていた。
虐殺の魔女の再来と、新たに上に立った貴族たちの粛清。
スタール大公の政界への復帰。
超巨大ゴーレムによる総力戦への移行。……魔術師の才能のあるクレタルはまたこき使われ、代わりにゴーレムのメンテナンス技術と遠隔での操作方法をより深く理解した。
半日の戦闘を経て、総力戦は敗北を迎える。
巨大ゴーレムと、超巨大ゴーレムは全滅し、虐殺の魔女は新たな指導者を宣言通りに粛清。ほぼ同時に、奴隷たちが一斉蜂起。
クレタルが飼っていたなけなしの奴隷も蜂起に参加した末に死に、さらに彼の家は死んだ奴隷に略奪されて放火されていた。
彼は一文無しになったが、さほどムカつきはしなかった。
(お高くとまってた貴族の連中も俺と同じ一文無しになりやがった!!)
このとき、最上位の貴族である公爵や侯爵家のエルフは私兵に守られてぬくぬくとしていたが、クレタルには今後の展開が読めていた。
(次に虐殺の魔女が来たら、上の奴らから略奪するチャンスだ!!)
予想通りに翌月も魔女が来て、エルフの大貴族たちを粛清した。
クレタルは暴徒に紛れ込んで存分に食料を強奪していった。
(やったぜ! 魔女様のおかげでたらふく飯が食えるぞ!)
貴族から物を奪うのは楽しかった。
その翌月。
彼は炊き出しがあればただ飯を食らい、なければ森でどんぐりを拾って食べる暮らしをしていた。
街にはあまり行かなかった。多くの死体が積み上がっていたからだ。
中枢部にとどまって疫病対策に奔走する連中のことは知っていたが、彼は彼をいじめぬいたこの国のことが心底から嫌いなので『疫病で死ねばいいのに』という感想以外は浮かばなかった。
そんなある日――
あの虐殺の魔女が、年老いたエルフを背負って歩いていた。
老いたエルフは絶命しており、衣服には汚物がつき、少し近づいただけで鼻が曲がりそうになるほどの悪臭にまみれていた。
なのに。
女は、気にすることなく遺体を背負っていた。
絹で出来ているであろう高価なドレスどころか、鮮やかな珊瑚朱色をした美しい髪に老エルフの血と糞尿がついている。それにも関わらず、魔女は遺体を丁重に扱い、疫病対策の正しい手順をもって遺体を燃やした。
女が手を組む。
目を閉じて、神に祈りでも捧げているのだろうか。
老いさらばえ、疫病に冒されて糞尿にまみれた醜い老エルフのために。
「なあ……。いっしょに祈っていいか?」
なぜ、魔女の前に姿を現したのか。殺されるかもしれないのに。
なぜ、わざわざそんなことを言ったのか。殺される確率があがるのに。
クレタル自身にも、言動の理由が分からなかった。
目の前にいるのは体現化した死の象徴であり、これまで千では足りない数のエルフが殺されてきた。にもかかわらず、彼は虐殺の魔女に話しかけていた。
「お好きに」
魔女は言う。虫に対するような眼差しを一瞬、こちらに向けてから。
魔女の隣に立ち、クレタルは祈った。死んだエルフのことはどうでもよかった。だが、美しくも恐ろしいこの女の近くで祈ることには不思議な恍惚感があった。
「……なぜ俺を殺さない?」
「あなたは、この国の上層部じゃないもの」
魔女は言い残し、彼に危害を加えることなく去っていった。
クレタルは、アンヌが去った後をしばらく呆然と見つめていたが――
「もしも俺が、上に立ったら……」
ぽつりと、つぶやく。
「あの魔女から、こういう風に弔ってもらえるのか……?」
その言葉は風と共に消えたが、クレタルの中にはいつまでも残っていた。




