第2話 「残念ですわ」と魔女は言った
『侵略されたくなければ、月に30人の奴隷を差し出せ』
ただの脅しではない。仮に今のところは脅しだったとしても、いつ実行してくるかわからない。相手は普通の神経をしていないのだ。
拉致され、暴行され、両手足を腐敗させられたエルランのありさまが何よりも雄弁に物語っている。彼は見せしめなのだ。彼らが本気であることと、人間に対する人権を認めていないことをアンヌに示すための。
「領民を救う手立てはないのですか? わたくし個人にできることは?」
「そうですねえ。例えば今ここで、皆が見ている前で服を脱いで這いつくばって土下座をしてくれるのなら、少しは考え直す気になるかもしれませんね」
「服を……? 下着も? この場で、衆人環視の前で裸になって土下座をせよと?」
アンヌは周囲を見渡した。
広間の隅には多くの衛兵たちがたたずんでいて、彼女に好奇を帯びた――総じて下品な――視線を向けている。
スタール大公は、歯をむき出しにして勝ち誇った笑顔を向けた。とても爽やかな、それでいて女の背筋に虫唾を走らせる笑顔だった。
「いやならば何もしなくてもよいのですよ。ただ、あなたが誠意を見せてくれるほどに、あなたの領民の生殺与奪の権利を握っている我々の気分が変わる可能性は高くなると思いますが」
「………………」
アンヌの黄土色の瞳がトパーズのような輝きを宿し、目の前の美貌の壮年男をにらみつける。
しかしそれも数秒だけのこと。アンヌは屈辱に頬を染めることもなく、踊り子のように媚びることもなく、ただ淡々と服を脱いでいった。
一人でも着脱が可能な軽装の――多少の武術を嗜むアンヌの好みによる――濃紺のドレスに手をかけて、留め具とベルトを外し、中にあるシャツも脱ぐ。薄手のキャミソールも、ガーターベルトも、ショーツも脱ぎ捨てた。
鮮やかな珊瑚珠色の髪が彼女の動きに合わせて揺れる。
どこかから、口笛が聞こえた。
衛兵の誰かが音を立てたのだろう。
それも当然のことだろう。彼女は並みの美貌ではない。プロポーションもだ。
容姿だけならば世界でも有数レベル。エルフの国で最も美しい姫君と比べても何ら遜色はない。
「アンヌ…さま、やめ……けほ、ごほっ……」
両手足が腐らされた使用人が、暴行で痛々しく腫れあがった唇を動かして止めようとする。その下にある歯は、ほとんどが折れていた。
「あなたが気にすることはないわ。でも、目を閉じてくれると嬉しいわ」
「は、い……」
エルランの返事に微笑を返すと、アンヌは言われた通り土下座した。
もしも、アンヌを――全員殺して解決する魔女を――よく知る者がこの光景を見たら、どんな感想を抱いただろうか?
おそらく、いや、まず間違いなく制止しただろう。
『やめろ』と。
『それ以上、追い詰めるな』と。
『もっと命を大切にしろと』と。
だが不幸なことに、この場でアンヌの事を熟知する者はアンヌ本人と、暴行と腐り病によって半死半生になったアンヌの家令見習いしかいなかった。
スタール大公を止める者は、どこにもいなかった。
大広間に居並ぶエルフ達もまた誰一人として止めることなく、むしろ沈黙によって大公の行動を肯定していた。
「お願いします。毎月30人の領民を差し出せという要求を撤回してください。わたくしの領民の命は、誰1人として失うわけにはいきません」
「アズール。酒を。ワインがいい」
全裸で土下座を続けるアンヌ。
屈辱的な姿勢をとる彼女を傲岸に見下ろし、スタール大公は執事に向かって言った。
「そう言われると思いまして、すでにございます」
アンヌを案内した執事が、うやうやしくワインの入った瓶を差し出す。
グラスはなかった。
「うむ。気が利くな」
スタールは、土下座するアンヌに近づく。注ぎ口を彼女の頭上に向けると、一気に瓶を傾けた。
トク、トク、トク、トク、トク……。
「これは手打ちの酒ですよ。アンヌ伯爵の殊勝な態度に心打たれました。献上する人数は毎月20人に減らして差し上げましょう」
アンヌの珊瑚珠色の髪に、赤いワインがかかる。それは冷やりとした不快な感覚を帯びて、アンヌの白い肌を濡らした。
「わたくしがここまでしているのに、まだ20人も差し出せと……?」
アンヌが頭を上げ、大公をにらみつける。
「ええ。不服ですか? これがこちらにできる最大限の譲歩です」
その頭に、スタール大公の足が乗せられ、アンヌは再び跪かされる形になった。
広間に並ぶ衛兵たちは誰一人として動かなかった。酒を持ってきた執事もだ。
「スタール大公。毎月20人もの領民を選別して殺す立場になることを考えたことはありますか?
あなたにも家族や友人や大切な人がいるでしょう?
もしもあなたが同じ立場に立ったら、どれほど悲痛な思いをすることか……。どうか今一度、考えなおし下さい……!」
「くどい! 30人に戻しても良いのだぞ。人間ふぜいが、対等な条件で交渉できると思うな!!」
スタール大公の足に、力が込められた。男一人の体重が、か弱い女の頭にかけられる。
大理石の地面に、アンヌの額が押し付けられた。
「そう……ですか。残念ですわ」
心底から残念そうに、アンヌはため息交じりに嘆息した。
そこには、怒りはなかった。本当になかった。
不意に。
スタール大公は、バランスを崩して倒れた。
違和感を覚える。アンヌの頭を踏みつけた脚の方だ。アンヌが怒り、立ち上がったのだろうか? そう思って自分の脚を見たスタールは、言葉を失った。
ない。
脚が、ない。
ひざの部分から、くっついていない。アンヌの近くに転がっていた。
「な、な、なぁああああああああああああああああああ!?」
痛みが、激痛が、一瞬のショックの後から一気にスタールに襲い掛かって来た。夢ではない。現実だ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
スタール大公が、脂汗を流してのたうち回り。
若い頃に覚えた回復魔法をおよそ100年ぶりに使い、切断された脚の応急処置をした。
「“来い”」
取り乱すスタール大公をよそに、アンヌは短い呪文を唱えた。
どさりという音がして、黒い布がアンヌの足元に落ちてきた。
漆黒のライディング・ハビット。
乗馬服ともいう。動きやすく、ドレスよりもはるかに安く仕立て上げられる。返り血で汚れても後で焼却処分できる。機能性と経済性を兼ね備えた服。
「エルラン。先に帰っていて。気を強く持ってね。必ず治すから」
「は…い…。アンヌさまも……ごぶじ、で……」
服を着こみながら、可愛らしい従僕に声をかける。か細く、しかしさっきよりも格段に力強くなった返答ににっこりとうなずくと、アンヌはまた短い呪文を唱えた。
「“行け”」
エルランの姿が消えた。
「貴様、何をした!?」
片脚になったスタール大公が、血走った目でアンヌを睨みつけていた。衛兵の一人に肩を支えてもらっている。
周囲を見れば100名は下らない数の衛兵達が抜刀し、殺気をあらわにしてアンヌを取り囲んでいた。
「あらあら。脚を一本失ったばかりなのにけっこう元気ですわね。あとでくっつけられるからかしら。失血したばかりで暴れると意識を失いますわよ」
「何をしたのかと聞いている!!」
「部分召喚呪文ですわ。このように、“来い”と命じたらあら不思議」
どさり……。
「え」
「は」
「はああああああああ!!?」
「“来い”。“来い”。“来い”。“来い”」
どさり。どさり。どさり。どさり。
落ちて来た。
頭部が、一つ。
続けて、四つ。
長い耳を生やした頭部が。
首から上の、頭部だけが。
「とりあえずぅ。
スタール大公のぉ。
長年連れ添った正妻さんとぉ、仲良くしてる側室さんとぉ、後継者と目されている長男さんとぉ、幹部として働いている次男さんとぉ、社交界でことあるごとに自慢している長女さんのぉ――」
間延びした声で、アンヌは話し続ける。
居並ぶエルフ達は、誰もしゃべらない。しゃべれない。
豹変したアンヌの態度と、常軌を逸した目の前の現象に、完全に吞まれていた。
「“頭部だけ”を召喚してみました」
絶命していた。
だいたい20話で終わる予定(現在14話までストックあり)
明日からは毎日21時に1話ずつ投稿していきます。




