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奏は足元の紙を拾い上げた。
指先に触れるその感触は、少し湿っていて、まるで誰かの体温をまだ残しているようだった。
彼女は透の背中を見つめる。
外灯の光が彼の肩に滲み、風に髪がわずかに揺れている。
――何も言わず、奏は紙を胸に抱いた。
それは、言葉の代わりに抱きしめた“想い”のように、静かで確かな重みを持っていた。
そのまま、一歩、また一歩と校舎の影のほうへ歩き出す。
足音は、夜の湿った地面に吸い込まれていく。
透は気づかない。
ただ、ふと顔を上げ、夜空を仰ぐ。
淡い星が、雲の切れ間からのぞいていた。
「……届く、かな」
誰にともなく、微かな声でつぶやく。
風がその言葉をさらい、闇の向こうへ運んでいった。
カメラ(視線)はゆっくりと引いていく。
校舎の窓ガラスに、ふたりの影が淡く映る。
風が再び吹き抜け、木の葉が鳴り、蝉の声が静かに途切れた。
――残るのは、沈黙と夜の匂いだけ。
けれどその沈黙の奥には、まだ言葉にならない優しさが、かすかに息づいていた。




