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夜の空気が、ふたりの間をゆっくりと流れていた。
外灯の淡い光の下、透の背中を見つめる奏。
あと数歩で届く距離。けれど、そのわずかな空間が、どんな言葉よりも遠く感じられた。
――近いのに、遠い。
声をかけた瞬間、何かが壊れてしまいそうだった。
透は、膝の上の紙を見つめたまま動かない。
自分の手で作り上げた言葉たち。
誰かに届くはずだった文章が、今はただ、白い紙の上で静かに冷えている。
――自分の言葉が、空っぽに見える。
本当のことを言えば、きっと彼女を傷つける。
だから、何も言えない。
蝉の声が、遠くでひときわ強く鳴いた。
その響きの中で、ふたりの沈黙だけが対話のように揺れる。
奏の心の声。
> 「行動で寄り添いたい。
でも、それすら怖い。
拒まれたら、もう戻れないから。」
透の心の声。
> 「言葉が嘘になるのが、一番怖い。
だから黙る。
でも――黙ったままじゃ、何も守れない。」
音はなかった。
けれど、その沈黙は、確かに“会話”だった。
届かないまま、心の奥で、互いの声がかすかに反響していた。




