5.小さな余韻:気づきの芽
黒板に「クラス委員 佐伯・藤原」と書かれ、
担任がチョークを置く音が響く。
それを合図に、教室の空気が一気にほどけた。
笑い声、椅子のきしみ、
窓の外から差し込む光が床に揺れて、
春そのものが部屋の中に満ちていくようだった。
奏は前の席で、配布物を整えていた。
枚数を数え、束を作り、隣のグループに手際よく渡していく。
その動きに迷いがなく、
指先だけが小さくリズムを刻むように動いている。
髪が頬にかかるたび、彼女は指先でそれを耳にかけた。
何でもない仕草なのに、
なぜかその瞬間だけ、教室の音が遠くなる。
透は、自分のノートを開いた。
何を書くでもなく、
ページの隅を指で押さえながら、
ペンの先が勝手に動いた。
「藤原さん=速い人」
ただのメモのつもりだった。
観察の断片。
授業中の思考の整理のような、意味のない走り書き。
けれど、書いたあとに気づいた。
その一行が、妙に目立っている。
他の文字より少しだけ丁寧で、
なぜか黒が濃い。
(……なんでだろう)
見直しても理由は浮かばない。
けれど、目が離せなかった。
まるで、その文字の向こうに“何かの続きを知りたい”ような気がした。
外では風が強くなり、
桜の花びらが教室の窓辺を横切る。
ひとひら、またひとひら。
光の粒のように舞いながら、
春が通り過ぎていく。
透は小さく息を吐き、
ノートを閉じた。
ほんの数行の文字が、
ページの奥でまだ熱を持っている気がした。
そして、その小さな熱の始まりに――
自分がまだ気づいていないことを、
透自身も知らなかった。




