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『その手を言葉にできたら』 ― 行動でしか伝えられない彼女と、言葉でしか繋がれない彼 ―  作者: 南蛇井


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5.象徴:足りない一枚=ずれたリズム

プリントは、すべて配り終えた。

机の上には、きれいに重ねられた紙の束。

けれど、その束の一番上――

少しだけ角がずれて、影が落ちている。


奏は何気なくそれを直そうとして、

指先を止めた。

「もういいか」と小さく息を吐き、

そのまま鞄を肩に掛ける。


透は机の上の名簿を閉じながら、

視線を落としたまま思う。


(たぶん、どっちも悪くなかった)

(ただ、リズムがずれてただけだ)


奏は“先に動く”。

考えるよりも早く、体が動いてしまう。

だから、誰よりも早く気づき、早く終わらせる。


透は“少し遅れて受け止める”。

目の前の出来事を、いったん静かに観察してから、

ようやく言葉を探す。


たった半拍。

その“間”のせいで、

二人の言葉は少しずつ噛み合わない。

でも、そのずれが――

なぜか、息苦しくはなかった。


教室の空気が、ゆっくりと夕闇に沈んでいく。

窓の外でカーテンが風に揺れ、

光の粒が黒板に淡く散る。


透は立ち上がる前に、

机の上に残った紙の束を一度だけ見た。


そこには、たった“一枚”の空白があった。


それは、欠けたままのプリントのことかもしれない。

あるいは――

まだ埋まらない二人の距離のことかもしれない。


やがて、廊下の方からチャイムの音が響く。

奏の足音が遠ざかる。

透はその音のテンポを数えるように、

指先で机を軽く叩いた。


(速いな)

(でも、いつか――同じリズムで歩けるだろうか)


彼はそんなことを思いながら、

静かな教室を後にした。


残されたのは、

わずかにずれた紙の角と、

春の終わりを告げる夕焼けの匂いだけだった。

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