第6話 森にいた迷子の正体と小さな騎士
「リオラ様、セレナ様、ごきげんよう。」
「ええ、ごきげんよう。」
「今日もありがとうございました、リオラ様、セレナ様。」
「いえ、わたくしたちの方こそありがとう。また明日ね。」
記憶が戻って二日目。
初めてのルミステリア魔導学院での生活を、無事に終えることができた。
今日は新学年に上がったということで、授業らしい授業は行われず、
これから一年間で何を学んでいくのかを、各課の先生方から説明された。
そして放課後―
私たちは、ノアが「魔物が泣いていた」と言っていた森へ向かうことにした。
その魔物がいたというのは、街を出てすぐの「マナの森」。
学院の生徒も頻繁に出入りする森で、王都に住む人々も木の実や薬草を採取するために利用している、比較的一般的な森だった。
特に危険な魔物は、森の奥まで行かなければ出会うことはない。
そんな話を聞いたことがあるから、ノアが見かけた“泣いていた魔物”は、きっと大人しい子なのだろう。
そう勝手に思いながら、私たちは森へと足を踏み入れた。
「キャッ!もう、何ですの?!」
「おやおや。これは蜘蛛の巣ですね。大丈夫ですよ、セレナさん。」
「もうっ!この森はやたら蜘蛛が多いんですのねっ!焼いちゃいますわよ!」
「やめろ…放火魔になるつもりか…」
「ふふっ。」
森に入って少し進むと、木々が密になり、蜘蛛の巣もあちこちに張られていた。
それがたまたまセレナの顔に当たってしまい、怒り心頭のセレナ。
「焼く」と憤慨する彼女に、ノアがぼそっと突っ込みを入れる。
なんだろう。この光景が、すっごく素敵に思えるのは…私だけだろうか。
私自身、もう学生ではないからそう感じるのかもしれないけれど。
何だか、青春してるなぁって思っちゃった。
そんな風に一人浮かれていると、ノアが大木にできた穴を指さした。
「あそこだ。やっぱりまだいたな…。」
「あれは…」
「もしかして…」
「もしかして?何?」
「ブラックムーンベアの子供ではありませんの?!」
「ああ。まだ生まれて2ヶ月ってところだな。」
ノアが指さした穴にいたのは、とても小さな黒い熊。
まるでぬいぐるみのようなその姿に、思わず気が緩んだ。
それにしてもブラックムーンベアって言っていたけど、それって…
「ブラックムーンベア?…黒い月の熊…ツキノワグマ?」
「リオラさん、それは我々が住んでいた地にいる熊です。
今目の前にいるのは“魔獣”ですぞ。
子供の頃はとても懐こい性格なのですが、大人になると驚くほど凶暴になり、空腹時には人間をも襲う獰猛な種類の魔獣です。」
「あ、そうなんだ?でも…魔獣って、すっごく可愛いね!」
“熊”という単語を聞いた瞬間に浮かんだのはツキノワグマ。
思わずボソッと呟くと、隣にいたミカミに即座に訂正された。
あまりの可愛さにそっと近づき、手を伸ばすとブラックムーンベアは泣き止み、そっと前足を伸ばしてきた。
「疑うことなくリオラさんに近づきましたね。さすがです。」
「やはり、リオラさんは手懐けるのがお上手ですわね。」
「このまま親を見つけられたらいいんだが…」
「熊ちゃんのママはどこですかー?」
ブラックムーンベアが私の手を取ってくれたので、そのままそっと抱き上げると、少しだけ落ち着いたように見えた。
そのまま「ママはどこですか?」と問いかけると、ブラックムーンベアは、私に話しかけてくれた。
「ママとお散歩してたら、はぐれちゃった。ママを探してくれない?」
「そっかぁ。じゃあ一緒にママを探そうね。
皆、いいですわよね?」
ブラックムーンベアは、散歩中に母親とはぐれてしまったから、探してほしいと私に訴えた。
私はすぐに「分かったよ」と答え、皆に事情を伝えようとした。
けれど、全員が私の言葉を待っているような雰囲気で、少し戸惑った。
「え?」
「あ…リオラさん、少しよろしいですか。
この世界では、普通は魔物の言葉は分からないものです。
どうやらリオラさんには、魔物の言葉を理解する能力があるようです。」
「あ…なるほど…そうだったのね…」
皆が私を見ていた理由が分からずにいたところ、ミカミがそっと近づいてきて、小さな声でその理由を教えてくれた。
どうやら私は、魔物の言葉を理解し、会話ができる能力を持っているらしい。
だから熊ちゃんの言葉が分かったのか。ようやく納得した私は、慌てて皆に事情を説明した。
ミカミ、ファインプレイだわ。
「え、えーっと…この子、親と一緒に散歩していたら、はぐれちゃったらしいの。
探してほしいってお願いされたのですけれど…いいかしら?」
「そうでしたの。朝からはぐれているとなると、結構森の奥に行っているかもしれませんわね。」
「少し、奥まで行ってみるか。」
「そうですね。そうしましょう。
早く親御さんを見つけてあげなければいけませんからね。」
私が事情を説明すると、皆はすぐに「一緒に探そう」と言ってくれた。
熊ちゃんに「どこから来たの?」と教えてもらいながら、母熊の捜索が始まった。
早く母熊を見つけてあげなきゃ。きっと心細いわよね。
そう思いながらギュッと抱きしめながら森の奥へと向かった-…
◇
母熊の捜索を始めてから、30分ほどが過ぎた頃。
大きな熊の足跡が見つかり、近くに母熊がいる可能性が高まった。
とても良いことだけど、それは同時に、私たちに身の危険が迫っているという知らせでもあった。
ブラックムーンベアは、大人になると非常に凶暴になるとミカミから教えてもらった時、少し記憶が蘇った。
幼い頃に読んだ魔物・魔獣図鑑にも同じことが書かれていて、お父様の知り合いが大怪我をしたという話も思い出した。
だから、母熊を見つけた時点で、そっとこの子を母熊の元へ向かわせなければ。
そう思っていた、その時だった。
「ママの匂いがする!」
「本当?皆さん、この子が母熊の匂いがすると言っています!
近くに母熊がいるはずですわ。用心なさって!」
「分かりましたわ。静かに探しますわよ。」
熊ちゃんが「ママの匂いがする」と言った瞬間、場の空気がピリッと張り詰めた。
皆が辺りを見回し、母熊の痕跡を探していたその時―
とてつもない殺気を感じたと同時に、熊ちゃんの声が響き渡り、私は瞬時に後ろを振り向いた。
「ママ!ママ!やっと見つけた!探してたんだよ!」
「あっ…
み、皆さん…落ち着いて…ゆっくりと振り向いてください…」
「えっ」
「マジか…」
「これは…早速ピンチですな…」
私たちが振り返った先にいたのは―
怒りに満ちた表情で私たちを見下ろす、大きな大きなブラックムーンベア。
熊ちゃんが「ママ」と呼ぶのだから、この子の母親なのは間違いない。
そう思い、そっと熊ちゃんを下ろすと、一目散に母熊の足元へと駆け寄っていった。
「ママ怒らないで。人間たちはママを一緒に探してくれたの。」
「本当かい…?嘘はつかなくてもいいんだよ。
人間はいつだって私たちを殺して生きているんだから。
お前たちもそうだろう!この子を連れ帰って殺すつもりだったんだろう?!」
「ち、違いますわ!私たちは本当に!本当にあなたの元にその子を連れて行くつもりでしたの!」
「嘘をつくなっ!!お前のように私たちの言葉が分かる奴ほど、私たちを好き勝手に利用するんだっ!!」
「違いますわっ!わたくしは、そんなことしませんわっ!」
熊ちゃんが母熊のもとに戻ってホッとしたのも束の間。
母熊の怒りは収まらず、私たちがこの子を連れ帰って殺すつもりだったのだろうと、殺気立っていた。
何度説明しても、信じてもらえない。
どうしよう。このままでは、皆が危険な目に遭ってしまう。
せめて、言葉が分かる私だけでも残って、他の皆が逃げられたら。
そう思いながら、私は叫んだ。
「皆さん、逃げて!!ここはわたくしが話をつけますわ!」
「リオラさん!何を言っているのですか?!無理に決まってますわ!」
「いいから早く!わたくしはどうにでもなりますから!」
「ダメだ!こうなったら、殺さない程度に攻撃して逃げるしかねぇ!」
「そんなのダメですっ!この母熊は、わたくしたち人間を恨んでいます!
だから今攻撃したら、もっと怒りを買ってしまいますわ!」
「では、どうすればっ…」
私一人なら、どうにかなると思った。
だから皆に逃げるように伝えたけれど、誰も言うことを聞いてくれない。
この状況で、私が母熊を説得しながら皆を守るなんて、無理難題すぎる!
どうしよう!どうしよう!
誰か…誰か、この状況から救ってーーーー!!
ピカッ----!!!
「えっ」
「なにっ?!」
心の中で叫んだ。
この状況から、誰か助けてと。
その瞬間、目の前が目を開けていられないほどの光に包まれ、私は思わずギュッと目を閉じた。
そして、ゆっくりと目を開けた私の目の前に飛び込んできたのは―
「姉上!もう大丈夫ですよ!」
「えええっ?!レ、レオン?!あなた一体どこから?!」
光の中から現れたのは、私の弟レオン。
「もう大丈夫だよ」とニカッと笑うと、目の前にいた母熊の前に立ちはだかった。
そして、母熊に向かって両手を広げて叫んだ。
「ねぇ!そこの熊さん!僕の姉上に手を出さないで!!」
「ちょっ…レオン、危ないですわよ!」
「なんだ貴様は…一体どこから現れたのだ?」
「僕は姉上を護る騎士なんだ!姉上がピンチの時は、いつだって駆けつけるんだから!
熊さんも子供を護ろうとしてるんでしょ?
僕と同じだよね?!姉上は昔から動物が好きなんだ!だから、傷つけるようなことはしないんだからね!」
「……」
レオンはその小さな体で、私たちを護ろうと必死だった。
いくら剣術が得意になったとはいえ、魔物討伐などはまだ経験がないはず。
こんなにも大きな魔獣に出会うのも、きっと初めてだろうに…。
そんな必死な姿を見ていると、なぜだか急に愛犬のレオンのことを思い出してしまった。
知らない人に吠えまくって、私を護ろうとしていたあの姿が、今のレオンと重なって、少しだけ、ウルッときてしまった。
そんな中、母熊はゆっくりとレオンに近づき、クンクンッと彼の顔を匂い始めた。
た、食べられちゃう?!
そう思って慌てていると、母熊から殺意が薄れていくのを感じた。
「息子を思うがあまり、我を忘れていた。
貴様の姉とやらは、本当にこの子を助けてくれただけなのね。」
「そうだよ!僕の姉は世界一優しいんだから!」
「貴方も大変ね、そんな体で。でも…逆に良かったのかしら?」
「え?何のこと?」
「あら?気づいていないの?まぁ…そのうち目覚めるでしょう。
ごめんなさい。優しき騎士と子供たちよ。」
先ほどまで荒々しかった母熊の口調が、突如として穏やかになり、私は驚いた。
そして、レオンを見て「そんな体で大変ね」と言っていたけれど…それってどういう意味?
当の本人も分かっていないようだけど…。
でも、レオンが来てくれたおかげで誤解が解けて、誰も怪我をせずに済んだのは本当に救いだった。
でも、待って?
どうしてレオンは魔獣と会話ができていたの?!
思い出した記憶の中で、レオンが魔獣と喋る姿なんて一度も見たことがなかった。
もしかして…私の記憶、まだ完全には戻っていないってこと?
そんな疑問が頭をよぎり、私は少しだけパニックになった。
これからレオンに質問攻めをしなくては…!
そう思いながら、ひとまず安心して、大きく息を吐き出した私だった。




