第2話 アステリア公爵家、私の家族
コンコンッ―
「失礼いたします。」
「はーい。」
ガチャ―
「リオラお嬢様、本日はお早いお目覚めですね?」
「え?えーと…」
突然、前世の記憶が目覚めてしまった私。
ひとりで慌てているところに、部屋の扉がノックされ、可愛らしいメイド服を着た女の子が入ってきた。
彼女の名前…なんだっけ。
「あ、ミ…ミント、おはよう!」
「はい。おはようございます、リオラお嬢様。」
「今日は少し変な夢を見て、早く目が覚めちゃったの。」
「そうでしたか。でも、たまには早起きも良いものですよ!」
「ええ、そうね。とても爽やかな気分よ。」
脳みそをフル回転させて、彼女の名前を思い出す。
彼女は、私の専属侍女ミント・カーター。
この家で新しくメイドを募集したとき、一般家庭から応募してきた彼女は、あまりにも優秀だったため、メイド長のメアリー・ワトソンさんが父に懇願して採用された。
年齢は、確か私と同い年だったはず。
私がまだ10歳くらいだった頃から、ずっとそばにいてくれている心強い侍女。
記憶が戻った今、改めて思う。
たとえば日本で普通に暮らしていた私が、意を決して宮中のような世界に飛び込んで、完璧にお世話をこなすなんて…とてもじゃないけど務まらない。
ミントって、本当にすごい。
「朝食の支度が整っていますよ。お着替えが済んだら参りましょうか。」
「ええ、そうしましょう。今日もよろしくね、ミント。」
「はい!お任せください、お嬢様!」
転生者って、こんなふうに突然記憶が戻るものなんだ…。
そう思いながら、ミントに身支度を整えてもらい始めた。
今まではそれが当たり前だと思っていたけれど、前世の感覚を取り戻した私にとっては、なんだかとても恥ずかしい。
幼稚園児じゃあるまいし、ある程度は自分でできるんだけどな…。
でも、侍女の仕事を奪ってはいけないって、何かで読んだ気がする。
だから、どうにか黙っていられた。
私、突然記憶が戻ってしまったけど…本当に大丈夫なんだろうか。
これまでの令嬢としての人生、あまり思い出せないのも気になる。
それに、家族の名前すら思い出せない。
こんな状態で朝食なんて、ちゃんと食べられるのかな…。
そんなことを考えていると、私の頭の中は不安でいっぱいになっていた―…
◇
ガチャ―
「あら、リオちゃん。おはよう。今朝は早いじゃないの。」
「おはよう、僕の可愛いリオラ。」
「おはよ、リオラ。珍しいな?」
自室で着替えを済ませ、ミントと共に向かった朝食室。
恐る恐る扉を開けると、そこには女性と若い男性二人がすでにテーブルについていた。
その光景を見た瞬間、私の中で記憶の糸が1本繋がった。
お母様の名前はリリー。
金髪の長い髪が優雅に揺れ、透き通るエメラルドのような瞳が印象的な、上品で優しい母。
いつも「リオちゃん」と呼んで、笑顔で接してくれていた。
そして、「僕の可愛いリオラ」と朝からイケメンぶりを発揮したのは、長兄のゼノ。20歳。
ゼノお兄様は母譲りの金髪に、見とれてしまうほどの澄んだ青い瞳を持ち、何でもお見通しのような優しさで私を見守ってくれていた。
次に「おはよう」と声をかけてくれたのは、次兄のカイル。18歳。
カイルお兄様の髪は、深い青と茶色が混ざったような美しい色で、瞳はゼノお兄様と同じ青色。
ゼノお兄様よりほんの少しだけ背が高いカイルお兄様。
ゼノお兄様とは違って自由奔放で、魔法が大好きな兄だった。
そんな風に頭の中で3人のことを整理していたところで、ふとお父様がいないことに気づいた。
「あれ?お父様は―」
「おはよう、リオラ。私より早いとは…今日は何かイベントでもあるのかな?」
「あ、お父様!おはようございます!」
お父様はどこに…?と思っていたら、頭上から心地よい声がして、思わず見上げた。
そこにいたのは、深い青色の髪に同じく青く輝く瞳を持つ、優しく微笑む“イケオジ”…もとい父、アレックス。
こんなイケメンと美女が私の家族だなんて、心が躍る。
でも、何だかもう一人足りないような…?
そう思っていると、背後から「姉上!」と呼ぶ声がした。
「あら…」
振り返って少し視線を下げると、そこには濃い青色の髪に毛先がクリーム色、お父様と同じ瞳の色をした10歳の弟が立っていた。
名前は…
「レオン…レオンちゃん…」
弟の名前がわかった瞬間、胸がギュッと締めつけられるような感覚に襲われた。
そうだ、弟の名前は私の愛犬と同じ、レオン。
そういえばあの子、ちゃんと神様にお願いできたのかな?
「もう一度生まれ変わらせてください」って。
私を庇って死んじゃったんだから、どうか生まれ変わっていてほしい。
そんな思いが切なくさせる。
すると、戸惑った表情のレオンが私の手をギュッと握りしめて言った。
「どうしたの、姉上?急に“レオンちゃん”だなんて!」
「あっ…ご、ごめんねレオン。何でもないわ。行きましょ。」
「うん!」
今まで“ちゃん付け”で呼んだことなんてなかったから、レオンは驚いていた。
慌てて笑顔を作ると、彼は不思議そうに首を傾げる。
危ない危ない。感情が爆発するところだった。
でも、きっとレオンなら大丈夫。
あの子は賢い子だもん。
そう自分に言い聞かせながら、私は朝食の席へとついた。
「さて、それではいただくとしようか。」
「はい。いただきます!」
「え?」
「なに?」
「ん?」
「なにます?」
「いただきますってなに?」
席についたところで、お父様が一声かけて食事が始まろうとしていた。
いつものように「いただきます」と言った瞬間、家族全員の口から「えっ」という声が響いた。
家族だけでなく、壁際に控えていた執事長ルイス・グレイさんまで、不思議そうな顔で私を見ている。
しまった…!「いただきます」なんて、この世界では言うはずがなかった!
そう思っても、もう遅い。お父様が何か言いたげに、じっとこちらを見ている。
「リオラ。今のは何だい?いただきますって。」
「あー、えー…っと…」
お父様からの質問に、私は視線を泳がせながら答えを探していた。
でも、皆が注目しているこの状況では、もう逃げられない。
諦めて、一か八かで私は口を開いた。
「わ…わたくしたちがこうして何の不自由もなくお食事できるのは、
動植物の命をいただいているからですわよね?
それに対する感謝の気持ちを表す言葉ですの。
そして、作ってくださった方への感謝の気持ちも込められておりますの。
ですから、食事の前に“いただきます”と言うんですの…よ…。
そ、それに…食事を終えたら“ごちそうさまでした”とも言いますの。
“いただきます”と似た意味ですが、食に関わってくださったすべての方への感謝の気持ちを込めているのです。
手間暇かけて作ってくださってありがとう、という気持ちですわ。
こうした感謝の心は、公爵家であろうと平民であろうと、常に持ち続けるべき大切なものだと思いますの。
この世界でわたくしが生きていること、それは決して当たり前ではないのですから…ね…」
何を思われるか分からない恐怖に怯えながら、私は言葉を紡いだ。
こんなの、日本人しか言わないだろうし…
それに、公爵家でそんな考え方が受け入れられるかも分からない。
でも、口にしてしまったものはもう取り消せない。
恐る恐る顔を上げると、全員の視線が私に向けられていて、痛いほどに感じる。
ど、どうしよう…これはもう詰んだかもしれない。
そう思っていたその時、隣に座っていたゼノお兄様が、突然私をギュッと抱きしめた。
「なんて素晴らしい心遣いなんだろう!リオラは世界一気遣いのできる女性だよ。」
「ええっ…こ、これはその…な、何かの書物で読んだ風習ですのよ…?」
「そうだとしても、それを理解して行動に移せるリオラは、とても素敵な女性だよ。」
「ゼノお兄様…あ、ありがとう…ございます…」
ゼノお兄様は、なぜか私を褒めちぎってくれた。
とっさに「書物で読んだ風習です」と嘘をついたけれど、それでも行動に移せることが素晴らしいと、全肯定してくれた。
そうだ、ゼノお兄様は基本的に何をしても肯定してくれる、聖母のような人だったわ。
「リオちゃん、とても素敵な考え方ね。」
「我がアステリア家にふさわしい女性に成長しているな、リオラ。」
「俺の妹って、こんなに慈悲深い性格だったんだなぁ。ありがたやぁ!」
「もうっ!カイルお兄様ったら!」
ゼノお兄様の全肯定のおかげか、誰からも咎められることなく、むしろ褒められてホッとした。
危ない…。前世の記憶って、時に危険なこともあるのね。気をつけなければ。
そう思っていた時、ふとレオンを見ると、小さな両手をじっと見つめたあと、
その手を胸の前で合わせて、こう言った。
「いただきます!」
「まぁ、レオン。その手はなあに?」
「え?分かんない。でも、“いただきます”ってこうやってやるのかなって。
さっき姉上もやろうとしてたよね?」
「レオン…あなた…とっても優秀よ!」
レオンは両手を合わせて「いただきます」と言い、その行動に私は驚いた。
彼は「こうやるのかなって思った」と言い、私もやろうとしてたよね?と笑った。
その笑顔に、胸がドキッとしたけれど、それが何なのかは分からなかった。
ただ、優秀な弟を心から褒め称えた。
「それでは、改めて…いただきます。」
「いただきます!」
私の説明に納得したのか、お父様が両手を合わせて「いただきます」と口にした。
それに続いて、皆が一斉に「いただきます」と言い始める。
変な汗が止まらない私は、恐る恐る食器に手を伸ばした。
もう…なんてドキドキする始まり方なの?
もう少し穏やかに、せめて「産まれた瞬間に転生してるわ」みたいな流れが良かったわ。
なんて思いながら、精一杯の作り笑顔で食事をしていた―…




