第14話 あの日の記憶と約束
あれから二日が過ぎた。
あの日の翌日、殿下は何事もなかったかのように普通に通学してきて、
私と何度か接触を試みていたけれど、私が目も合わせないものだから、諦めたらしい。
ついには、側近の…ええと、何だっけ…あ、そうそう。ライナスさんから呼び出されて、「頼むから殿下と話をしてほしい」と頭を下げられた。
ライナスさんはクリフォード伯爵家の次男で、昔から殿下の側にいる方のよう。
先日、殿下が倒れた時も、あまり慌てた様子が見られなかったから、きっと殿下の症状について、以前から知っていたのだと思う。
ということは、この人も殿下のことを“お荷物”だと思っているの?
いや、それはないか。
結構、殿下のために必死になっている姿も見たし、
どちらかというと、私のことを毛嫌いしている?警戒している?
そんな気がするんだよね。
「さて…今日も帰りますか。皆さん、ごきげんよう。」
授業が終わった私は、皆に挨拶をして教室をあとにした。
今日は珍しく、帰っても面倒なレッスンはなかったんだっけ。嬉しすぎる。じゃあ今日は、帰ったらレオンと一緒に森に出かけてみようかな。
あの一件以来、魔物たちに遭遇していないから、またお話してみたいし。
なんて考えながら歩いていると、学院の門の外で待機していた馬車から、レオンが下りてくるのが見えた。
レオンは一目散に私の元へ走ってくる。
珍しいわね。いつもは馬車の中で待っているのに。
そう思いながら歩いていると、レオンは突然両手を広げながら走り出し、私めがけて、盛大にジャンプしてきた。
「わあっ!ちょっとレオン!どうしたの?!」
今までこんなふうに飛びついてくることなんてなかったから、私は驚いた。
慌てて手を伸ばし、レオンをがっちりキャッチ。
その様子を見ていた下校中の生徒たちからは、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
「レオン、一体どうしたのよ?突然飛びついてくるなんて。」
「…」
「レオン?何かありましたの?」
レオンは私にギュッと抱きついたまま、離れようとしない。
家で何かあったのかと思い、顔を覗き込むとガバッと顔を上げたレオン。
その瞳は、なぜだかとてもキラキラと輝いていて、
もしかしたら良いことでもあったのかな?と思っていた。
すると―
「ママ!」
「…へ?!」
「僕だよ、ママ!」
「レオン?わたくしは姉ですわよ?」
「ママ!」
飛びついてきただけでも十分不思議だったのに、
レオンは私の顔を見るなり「ママ」と叫んだ。
いつもはそんなことを言う子じゃないのに、突然「ママ」なんて…どうしたの?
もしかして頭でも打った?と、私は若干パニックになり始めた。
「私は姉だよ」と言っても、レオンは「ママ」としか言わない。
絶対に変なものを食べたか、頭を打ったかのどちらかだわ…。
そう思い、どうしようと一人考えていたその時だった。
レオンはようやく私から離れて地面に足を着けると、
私の両手をギュッと握りしめながら、言った。
「ママ、僕だよ!レオンだよ!僕ね、神様にお願いしたんだ!
もう一度ママと一緒にいたいって!
そしたらね、“姉弟としてママを護れる世界に行こうね”って言ってくれたの!」
「…え?」
「そのこと、ずっと忘れてたんだけどね。
この前、ママに“おすわり”って言われて、“あれっ?”ってなったんだ。
それでさっきね、急に記憶がパンッ!って戻ったんだ!」
「……」
レオンは私の顔を見ながら、神様にお願いしたことや、
“姉弟としてママを護れる世界に行こうね”と言われたことを語り始めた。
頭の上にはてなマークが浮かぶ。
この子は一体、何を言っているの…?
だけど…
私が“おすわり”と言った日に違和感を覚えたと言われ、今日、突然記憶が戻ったと言われて、私は、自分の記憶が戻ったあの日のことを思い出した。
夢で思い出した、私の前世。
レオンと散歩中にトラックに撥ねられて、二人とも死んでしまって…。
女神さまに魂を拾われて、転生することを選んだ。
その時、私はレオンのことを女神さまに訊いた。
確か、亡くなった動物たちには、神様が“もう一度地上に戻りたいか”確認するって言ってたよね…。
もしかして、この子…本当に…?
え?でも、こんなふうに同じ世界で転生して生活するなんて、あり得るの…?
いやいや、でも今、レオンは“神様にお願いした”って言ってたよね?
“もう一度ママと一緒にいたい”って。それが本当なら…
心の中でパニックになりながら、私は確証を得るために、レオンに質問をした。
「レオン…あなたは、どこで私と出会った?」
「え?えっと、ペットショップだよ。
たくさんあるお部屋の、一番下の部屋に僕はいたんだ。
そしたらママが僕を見つけてくれて、すぐに僕に決めてくれたよね。」
「…ええ。じゃあ、あなたの好きな食べ物は?」
「ママが作ってくれた料理!
僕、あまりたくさん食べられなくなったでしょ?
その時から、ママはいつもお肉とお野菜を混ぜてご飯作ってくれてたよね。
あのご飯が一番好き!」
「…そう…ね。じゃあ、最後に訊くね?
私の名前…憶えてる?」
「もちろんだよ!深見瑠花!
僕の名前は深見レオン!でしょ?」
「……っ!」
「えええっ?!ママ?!泣かないで!」
私はレオンに、たくさん質問をした。
それは、私と一緒に過ごした“あの子”なら、絶対に答えられるはずの質問。
レオンは、何の迷いもなくすべて答えてくれて、最後の質問にも、自信満々に答えた。
その瞬間、私の中で、あの日までの記憶が一気に溢れ出して、涙が止まらなくなった。
まさか、レオンが本当に“レオン”だなんて…誰が想像できる?
神様は、レオンのお願いを本当に叶えてくれて、その結果、私の願いも叶えてくれた。
“レオンが無事に転生していますように”という願い。
それが、こんな形で叶っているなんて思いもしなかった。
「ママっ!大丈夫?」
「うん…大丈夫よ、レオン…
レオン…あの日、怖かったよね?痛かったよね…
ごめんね…私を庇ったせいで、レオンまで死んじゃって…ごめんねっ…」
「僕はママを護るって、出会った時から決めてたから!
何があってもママを護るんだよ!だから謝らないで!」
「レオン…」
「もう大丈夫!記憶が戻ったし、またママと一緒に暮らせるのが嬉しいっ!」
「…うん。私も嬉しいよ、レオン。」
「へへっ!今度こそ、僕がママを護るからね!」
レオンが“あのレオン”だと分かった私は、あの日一緒に死んでしまったことを謝罪した。あの日からずっと申し訳ないと思っていた。
私を庇わなければ、もしかするとレオンは生きていたかもしれない。
そう思うと、やりきれなかったから。
だけど、レオンは「護るって決めてたから」と笑ってくれた。
そして、「記憶が戻って、また一緒に暮らせるのが嬉しい」と言ってくれて、私はまた、涙が溢れ出した。
弟が生まれたあの日、レオンと名付けたのは、この日のためだったのかもしれない。
無意識に、女神さまや神様が“レオン”と名付けるように、私の口を動かしてくれたのかも。
そう思わずにはいられなかった。
「レオーン!あれ、リオラどうしたんだよ?!」
「何で泣いてるの?!誰かに何かされたんじゃないだろうな!
誰だ!お兄ちゃんに言ってみろ!懲らしめてやるから!」
「ちがっ…お兄様…違うの…嬉しくて…」
「ええ?嬉し泣きー?何があったんだよー?」
「ふふっ!兄上には内緒だよー!ねぇ?姉上?」
「そうね?二人だけの秘密ね?」
「ええ?何だよそれー!」
あまりにも号泣していたものだから、後ろからやってきたお兄様たちはギョッとして、誰かに何かされたのかと心配し始めた。
そんなお兄様たちに「大丈夫」と伝え、「二人だけの秘密なの」と言うと、
「教えろよー!」とケラケラ笑っていた。
この大好きな家族に、前世の家族がいるだなんて夢みたい。
神様、女神さま。
レオンの願いを叶えてくれてありがとう。
そして、私の願いも聞き入れてくれてありがとう。
心の中で、そっとお礼を言い、祈った瞬間だった―…




