第11話 はじめてのおすわり
「今日は何かあったのですか?
確か今日は、姉上の婚約者であるセリオン殿下が来られていたのですよね?」
「えーっと…そうね。そうなんだけど…」
「もしかして、殿下と何かあったのですか?」
「え?いや、何かってほどじゃないんだけれどね…
少し頭にきて、怒っちゃったの。それで逃げてきちゃった。」
「そうなのですか?!
いつも殿下の言うことを笑顔で黙って聞いていた姉上が?!」
「へぇ…黙って聞いていたのね、私。
好きだったのか?顔が?」
レオンと手を繋いで歩いていると、「何があったの?」とレオンが訊いてきた。
鋭く殿下の名前を出されたので、怒ってしまったことを伝えると、レオンはとても驚いた表情を見せた。
そして、私はいつも笑顔で口答えすることなく、イエスマンになっていたらしい。
それを初めて知った。
から、あんなに殿下が驚いていたのね。
この世界は男尊女卑なところもある気がするから、そういう態度が“当たり前”とされていたのかもしれない。
だけど、私はそんなの、まっぴらごめん。
自分を大事にしてくれない人と一緒になって、その人を大事にするなんて、頭おかしいんか?って思う。
「でも、嬉しいです。僕。」
「え?」
「父上や母上、兄上たちの前では、あの人とても優しいですが、
姉上と二人きりになると、姉上を虐げていたのを僕は知っていました。
助けられなくて、ごめんね。
でも、姉上自身が頑張って怒ったの、僕は嬉しいなって。」
「レオン…ありがとうね。」
私が口答えしてしまったと話すと、レオンはなぜか嬉しそうにしていた。
どうやら、あの男の本性を知っていて、どうにかしたいと思ってくれていたらしい。
私からすれば、レオンがそんな風に思っていてくれたというだけで、
もう、それだけで十分に嬉しかった。
家族に愛されている方が、何倍も幸せだもんね。
そんなことを思っていた、その時だった。
後ろから馬車の走る音が聞こえ、ふと振り向くと、
それは、それは豪華な馬車。
すぐに、あの男が乗っているのでは?と、嫌な予感が走った。
そして、その予感は見事に的中した。
馬車が止まり、降りてきたのは先ほど私がキレ散らかしたセリオン殿下。
降りてきた殿下の表情は、どことなく気まずそうだった。
これはいよいよ“不敬罪”で訴えるとか言われるのか?
そう思って身構えていると、殿下は私に言った。
「まだ授業があるだろう?何故帰るんだ。しかも徒歩で…。」
「わ、わたくしはもう退学しますわ。そして逃亡します。」
「なっ…」
まだ授業があるのに出ていくなと言う殿下に対し、私は咄嗟に「退学して逃亡します」と宣言してしまった。
すると、殿下の顔色がみるみるうちに悪くなっていくのが分かった。
なにこの人…本当はまだ体調が完全に治ってないんじゃないの?
そう思いながら見ていると、レオンが突然私と殿下の間に立ち、両手を広げた。
「殿下。これ以上、姉上をいじめないでください。」
「レオン、突然なんだっ…」
「僕は!姉上をお護りすると誓っているんです!
これ以上姉上に酷いことをするというのなら、僕は容赦しません!」
「ちょっとレオン、やめなさい!」
私たちの前に立ち塞がったレオンは、殿下に対して堂々と「姉上をいじめないで」と訴えた。
“姉上を護る”と声を大にして言ってくれたこと、とても嬉しかった。
だけど、相手は殿下。これ以上は絶対にマズイ。
そう思って「やめなさい」と言ったけれど、レオンはまったく引かなかった。
「いいえ!もう僕は我慢できません!
殿下だからなんだというのですか!
姉上を虐げて、駒のように…雑に扱うのが殿下の仕事なのですか?!
僕は…僕は許さないっ…僕の大事な姉上をっ…!!」
「えっ?!レオン?!」
「なっ…お前、それはっ」
「姉上をいじめるなーーーーっ!!」
レオンの怒りのボルテージがどんどん上がっていくのが、目に見えて分かった。
何とかして落ち着かせなければ。そう思ったその時、
レオンの体から七色の光があふれ始めた。
とても綺麗だけど、なんだか少しだけ怖い気もする。
そして、その光を見た殿下の顔色はさらに青ざめていった。
レオンの身に、何かが起きている。そう察した私は、焦りながら声をかけた。
「レオン、やめなさい!」
「いやですっ!」
「レオンっ!」
「いやー!」
「んもう!!
いい加減にしなさいレオン!!おすわりっ!!!!」
「ひゃいっ!?」
「ええっ?!」
「お前、なにやって…」
レオンをどうやってなだめたらいいのか分からず、声をかけ続けたけれど、まるで言うことを聞かない。
それは、昔のレオンにそっくり。
ティッシュペーパーで遊んだり、クッションに穴を開けて綿を出したりしていた頃の姿と重なった。
そう思った私は、何も考えずに「おすわり!」と叫んでしまった。
するとレオンは、ハッとしたように剣を捨て、その場に犬のようなおすわりポーズを取った。
だから思わず、私は噴き出してしまった。
そして、その様子を見た殿下は目を細めて固まり動かなくなった。
そりゃそうだよね。
いきなりレオンがおすわりしたんだもん。
「レオン?」
「姉上…“おすわり”と言われたら、体が勝手に反応してしまいました。」
「ふふっ。でも、そのおかげで落ち着きましたわね?」
「あ…ご、ごめんなさい、殿下に姉上…」
「いいんですのよ。怒ってくれて嬉しかったわ。
ありがとう、レオン。」
「……」
あっけにとられているレオンに声をかけると、体が勝手に反応したと言って不思議そうにしていた。
そんなことってあるの?と思いながらも、「落ち着いたね?」と声をかけると、我に返ったように殿下に頭を下げて謝罪した。
私はすぐにレオンを自分の後ろに下げて、殿下に向かって頭を下げた。
「弟の無礼をお許しください、殿下。わたくしを思っての行動でしたの。
処分は、わたくしだけにしていただけますか?」
「何の処分だ?」
「え?それはもちろん…不敬罪です。」
レオンに何かあったら困ると思い、ダメもとで謝罪し、処分は私だけにしてほしいと伝えた。
すると殿下は眉間にシワを寄せ、「何の処分だ」と問い返してきた。
不敬罪だと答えると、殿下ははぁっとため息を吐き、私に言った。
「何でこれくらいで不敬罪になるんだ。ただの姉弟愛だろう?」
「そうですが…先ほどの屋上での件もありますし…
わたくしは責任を取って、学院をやめてこの国からも出ていきますので。」
「馬鹿なこと言うなよ…。何のために今日、無理して来たと思って…」
殿下は「不敬罪になるわけがない」と呆れた様子で言ってくれたけれど、
私は責任を取るべきだと思い、退学するつもりだと告げた。
それを聞いた瞬間、殿下の目がなぜか潤んでいるのが見えて、私は首を傾げた。
目にゴミでも入ったのかな?なんて思いながら、ひとまず一刻も早く殿下から離れようと口を開いた。
「とにかく!今日は弟も来ていますし、帰らせていただきますわね。
詳しいお話はまた後日ということで、お願いします。」
「…ああ。分かった。乗れ。送るから。」
「お気持ちは嬉しいのですが、今日はレオンとゆっくり帰りますわ。
ありがとうございます、殿下。殿下は早く学院にお戻りになって?」
「…分かった。」
レオンがいるので帰ると伝えると、殿下は寂しそうな“子犬さん”みたいな目になった。
この人、意外と喜怒哀楽が分かりやすいのかも?
そして、「送るから馬車に乗れ」と言われたけれど、同じ空間にいるのは気まずすぎたので、丁重にお断りしてその場を後にした。
私、このまま家に帰ったらお父様たちに何て言われるかな…。
さすがに個人的な問題じゃないから、とんでもなく叱られるんだろうな。
それを考えると、何だか胃が痛くなってきた。
どうか、今日はお父様の機嫌が良い日でありますように。
そう願いながら、レオンと家路へと向かった―…




