3ボタン 揺れる重心・定まるハート
今日も俺は、いつものゲーセンのドアをくぐる。
休日のせいか、カップルや家族連れが多い。
普段は羨ましいと思うのに、今日は真逆だ。
悩みのタネが増えて、昨夜もまた眠れぬまま朝を迎えた。
頭がぼーっとして筐体のネオンが霞の向こうにあるようだ。
「ったく、どうして、落ちてくれないんだよ」
理由は分かっているが、やはり狙いが定まらない。
「お〜、なんだか今日は沼ってるね〜」
背中からあの人の声が降ってきた。
「仕事してください」
「休暇中で〜す」
振り返ると、そこにいたのは店員の星名未来さん。
長い髪を後ろで束ね、首にかけたネームは今日も裏返っている。
未来さんは、俺を見かけると必ず話しかけてくれる。
以前、その理由を尋ねたら、「弟に似てるから」だと言っていた。
そんな未来さんの年齢は27歳だそうだ…。
「誰がおばさんだ!!」
まずい、また思考を読まれた。肩がびくっと震える。
「言ってない言ってない!未来さんは素敵な女性ですよ」
「あら、ありがとう、でも若くて綺麗とか言ってくれないのね」
ニヤリと笑って、からかってくる。
いつも鋭くて細い目が、笑った時は目尻がくしゃっとするのは、積み上げてきた優しさだろうか。
「何か飲みに行こうよ!奢るから!」
お決まりのパターンだ。
「プレイ中なんですけど、」
「クレゲはいつでもできるけど、私と過ごす時間は期間限定だよ〜?」
「それに、その形は結構厳しいから、諦めな!」
ぐいっと腕を引かれる。
俺はその強引さに負けて、足を引きずっていく。
「ほら、飲みな!」
自販機で買った缶コーヒーが、綺麗な放物線を描いて飛んでくる。
掴み取ったそれは、冷たくて、頭の中にかかった靄を和らげてくれた。
「17歳、恋、青春だね〜」
ベンチに腰をかけ、脚を組み、背もたれに体を預ける。
コーヒーを口に含んで、遠くを見つめながら、いつかを懐かしんでいるようだった。
規則正しく引かれた駐車場の白線が、今日は美しいと思った。
「若いのは、羨ましいっすか?」
「ばーか、私にも平等に17歳の一年はあったんだよ」
「いやー、青春だったなぁー!」
なぜかドヤ顔で空を見上げる。
ただ、その瞳の奥にほんの少し寂しさを感じた。
「…人生の先輩から言わせてもらうと、一度手放したものはもう戻らないよ」
その声は、いつもの明るい声と違って、静かで自分の過去と重ねているかのようだった。
その忠告はコーヒーと共に、すーっと俺の中に入って、じんわり沁みていく。
「…」
目を見ることができない。
きっと全て見透かされている。
「昨日のこと、一緒に来てた彼女、涙浮かべて走って帰るの見たよー」
「やっぱりそのことかよ…てか、見てたんだな」
未来さんは、何故か得意げに笑っていたが、これも彼女なりの優しさなのだろう。
ゆっくりと言葉を探しながら、昨日の出来事を語った。
自分でも整理できていないことに気がつきながら。
「まだ答えが出ないなら、その気持ち伝えてみたら?」
「彼女は待ってるかもしれない、一度会ってみると良いよ!」
「ぬいぐるみも渡せてないんでしょ」
俺が悩んだ時は、いつも背中を押してくれる。
でも、自力で踏み出せない自分にも苛立ちを覚えた。
「…ありがとう、ちょっと行ってくる」
「俺のどこが良いのか、自分でもわからないけど」
正直、自分の中で答えは、まとまっていない。
でも、会って話せば、少しは前に進める気がした。
「大丈夫、君は無愛想で素っ気ないけど、良いとこもあるよ!」
ベンチから立ち上がり、背伸びをする。
「どこかは知らんけど」
小さく笑って、俺の肩をぽんと叩く。
ほんの少しだけ勇気を置いて。
「おい」
「あのぬいぐるみの設定は、今朝見直しておいたよ〜」
未来さんはこちらを見ることなく、ひらひらと手を振りながら去っていった。
途中、小学一年生くらい男の子がぬいぐるみを取れずに泣いていた。
なぜか放っておけず、さらりと取って手渡す。
嬉しそうに走っていく後ろ姿が、なんだか微笑ましい。
その姿を見送り、芽衣の元へ急ぐ。
その足取りは軽くなっていた。自分でも驚くほどに。
「…ほら、良いとこあるじゃん」
遠くからぽつりと呟くその声は、周囲の熱狂に紛れた。
もうすぐ日が沈んでしまう。
芽衣の家までやってきた。決心したはずなのに、手にじっとり汗が滲む。
待つ時間がもどかしく、手にしたぬいぐるみの顔も緊張しているようだ。
ほどなくして、帰ってきた芽衣と目が合う。
「あっ…」
恥ずかしさか夕陽のせいか、微かに揺れた大きな瞳。
少しの間が生まれる。
「ほら、これ取ってきたぞ」
不器用に真っ直ぐ差し出す。
今の自分にできる精一杯で、腕が少し震えている。
「…っ」
何も言わずにぬいぐるみを受け取る芽衣。
「…ううん?君は誰かな?」
次の瞬間、ネコのぬいぐるみで顔を隠して、ぎこちない声を出した。
変に高い声で震えた口調に、緊張と照れが混ざっているのが伝わってくる。
「私は芽衣じゃないよ、誰かと間違えてないかい?」
無理な演技の合間に、時折カチューシャが見え隠れする。
「…いや、無理があるだろ…」
思わず笑ってしまう。
「昨日のこと、話にきたんだ」
「き、昨日…?私は何も知らないよ!」
ぬいぐるみの後ろから裏返った声が漏れる。
「まだ、やるのか…」
まだ誤魔化そうとしている。
数秒後、観念したのか、ぬいぐるみを降ろして、芽衣は顔を出す。
その頬はやっぱり少し赤くて、夕陽と照れが溶け合う、春風に揺れるポピーように。
「公園…行こっか」
ぽつりとそう言うと芽衣は歩き出した。
俺はその背中を黙ったまま、背中を追う。
よく来た公園は、射した夕陽が時計に反射して眩しい。
ベンチに座り、短い沈黙が二人の間に落ちる。
「…ごめんなさいっ!」
芽衣が突然立ち上がり、深く頭を下げる。
「わくたが、女の子に告白してるの見ちゃったの」
申し訳なさそうに、寂しそうに言う。
「嘘だろ…あれを見られたのか…」
唖然とした。
あの時、誰かに見られているなんて思ってもいなかった。
しかも、よりにもよって芽衣に。
恥ずかしさが一気に込み上げて、顔が焼けるように熱くなっていくのがわかった。
「ごめんね、そんなつもりはなかったんだけど…」
「偶然、通りかかって、見ちゃだめと思ったんだけど…でも、気になって…」
芽衣は不安そうにこちらの反応を伺っている。
「好きだよね?あの子のこと」
直球すぎて、返す言葉が出なかった。
「わくたがあんなこと言う人だって、知らなかった」
声は少し震え、何かを押し殺しているようだった。
「遠くに行っちゃう気がして、伝えなきゃって思ったんだ」
俯きながら話すその言葉は、どこまでも真っ直ぐ向かってくる。
「でも、好きとは言われてないぞ」
こうやって、茶化して誤魔化していても何も変わらない。まだ答えは出ない。
「うるさいっ、察してよー!」
その口ぶりは、照れているような拗ねているような。
今の正直な気持ちを伝えよう。
「あの子のことは気にはなるけど、はっきりとはわからないかな…」
あの子への不確かな気持ちを、ありのまま口にする。
でも、話せたことは足元の小石ほどだろう。
それでも、これが精一杯の答えだ。
「え!?まじ!?」
一瞬で表情が変わる。
薄暗かった顔に、ばっと明かりが戻った。
「それって、あたしが入る余地あるよね!?」
「わくたがまだ迷ってるなら、あたしにもまだチャンスあるよね!?」
俺が答える前に、目の前に拳を突き出した。
「振り向かせちゃうからね!わくたのこと!」
真っ直ぐな瞳が、力強くキレイなオレンジ色に輝く。
「覚悟してよね!」
今までにない宣戦布告に胸の奥がじんと温かくなる。
前向きで、ひたむきで、少し不器用なその気持ちに勇気をもらえた気がした。
「“人生最高のプライズ”って言ってもらえるようにがんばろっと!」
「は!?」
思わず変な声が出た。
心は、まだ若干の動揺を抱え。
夕暮れ空の下で笑う芽衣は、どこか大人びて見えた。
ただ今は、二人並んで家路につく。