14ボタン 初活動は、やっぱりゲーセン!②
「ちょっと!やめてってば!」
笑心歌の悲鳴が電子音を突き破った。
「ほら、わくた行くよ!」
「あとミリ残しなのだが…」
「どっちが大事なの!」
芽衣に背中を叩かれる。
キープ中の札を乗せて、声がした方へ走り出す。
──次で、次で取れるはずなんだ…。
「…こっち」
莉愛が小走りで先導する。
光の波をかき分け、通路の先にたどり着くと──
楽が胸ぐらを掴まれていた。
相手はガラの悪い男が三人とピンクの混じった金髪の女が一人。
派手な女は筐体に背中を預け、爪をいじりながら笑っている。
「おい、筐体に体重をかけるな」
「そこじゃないでしょ」
間髪入れずに芽衣のツッコミが飛ぶ。
俺の言葉に、男の一人が舌打ちした。
その目つきは明らかに喧嘩慣れした人間の、それだった。
楽を突き飛ばして、靴音を出しながらこちらに近づいてくる。
無意識に後退りしていたらしい、背中に何かが軽くぶつかった。
「てめぇ、誰に口聞いてんだ?」
至近距離で睨まれる。
視線がぶつかるだけで、背中に汗が伝う。
(こ、怖ぇ…)
「……こいつら、オレが取った景品を勝手に──」
「いや〜、俺もこれ欲しくてよ。ちょうど良かったぜ」
男が手にしているのは、景品のフィギュア。
楽から奪った物だろう。
指の関節が白くなるほど、楽の拳が震えていた。
「これは俺にくれるんだろ?なぁ?」
「やるわけねぇだろ」
「…あ?文句あんのか?」
胸ぐらを掴まれた。
襟元がねじれて、顎が上擦る。
喉奥がぐっと締まっていく。
掴んだ男の手が熱い。
男の顔が歪み始めた。
嫌な汗がこめかみを伝い、唾液が逆流してくる。
(──ねぇ、これ、どうしたらいいの?
生まれてこのかた喧嘩なんてしたことないし、人を叩いたこともないです。
誰か助けてください…)
目の前で拳が振り上げられる。
…もう、おしまいだ。
「やめて!」
誰かの叫ぶ声が聞こえた。
その時だった──
涼やかな高い声が響く。
変に高いけど、聞き慣れたその声が空気を裂く。
「お客さま〜、どうされました〜?」
未来さんが割って入り、男の腕を掴む。
笑顔を装っているが、目の奥からは冷たい怒気が滲み出ている。
初めて見る表情で俺も怖い。
「チッ、なんもねぇよ」
ようやく手が離れた。
締めつけられていた喉が悲鳴を上げ、肺が酸素を取り戻す。
息を吸うだけで痛い。
「しらけるわ…帰るよ。じゃあ、またね」
「わ・く・た・く・ん」
派手な女はニヤリと笑い去っていく。
名前を呼ばれた瞬間、背筋を氷でなぞられたような感覚が走った。
──俺の名前…。
「あんたら、ここで好き勝手するのは、許さないよ」
去り際のあいつらを、未来さんはそっと威圧したまま見送る。
その凄みが怖いくらいに印象的だった。
「…し、死ぬかと思ったぁ」
安心した途端、全身の力が抜け、その場にへたり込む。
体に力を入れることもままならない。
「わくたん、大丈夫!?」
笑心歌が目の前にしゃがむ。
その動きで、スカートの裾がふわりと舞い、視界をかすめる白い光。
(……み、見えてる…何がとは言わないが、確実に見えてしまっている)
「大丈夫?怪我してない?」
「あぁ、なんとか……ありがとう」
「笑心歌!見えてる!」
芽衣が笑心歌をそっと立たせ、何かを耳打ちした。
「えっ、まじ?ご、ごめん!」
顔を真っ赤にしてスカートを押さえる。
その慌てようが妙に可笑しくて、笑いがこみ上げてきた。
「でも、枠太君もみんなも無事でよかったね」
絢音の声で、張りつめていた空気が緩んでいく。
ふと耳に入るクレーンゲームの騒がしい声が、いつもの日常を思い出させる。
ようやく一息つけた気がした。
「未来さん、ありがとう」
芽衣がお礼を言う。
「タイミング良く来てくれて助かった」
「でも、そんな強気で大丈夫か?」
「大丈夫。私は強いから」
「…そうですか」
「あちょー」
突然、未来さんのチョップが俺の頭に炸裂した。
乾いた音が響く。
「痛っ、何すんだよ!?」
「馬鹿にしてそうだったから、つい…」
「してねぇよ!」
笑っていた未来さんの表情が、ふっと真顔になった。
「あいつら、最近よく来てるんだよ。枠太も気をつけな」
「ゲーセンは楽しく遊ぶ場所だからね」
「未来さんも気をつけて」
「大丈夫、私は強いから」
「私は強い」
胸の前で拳を作ると、自信ありげに天井を見上げる未来さん。
「まだ言ってる」
──しかし、何であいつ、俺の名前を…。
「やべっ、あの子、放置したままだ」
「ちょっと!わくた!」
取り残したあの子の元へ駆ける。
今、逃したらもう会えない気がする。
急がないと。
プレイしていた筐体に戻る。
だけど、取り残したあの子は、他の誰かに助けられてしまっていた。
「…嘘だろ」
「キープ中にしてただろうがぁ……」
足から力が抜け、膝から崩れ落ちる。
「ティアたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
涙で歪む視界の中、残響のように浮かぶティアたんの笑顔。
その優しい笑顔が胸を強く締めつける。
初めて助けられなかった。
これまで何度も、何度も、何度も何度も助けてきたのに。
絶望の中、右肩に触れる手。
「楽…」
「何で今泣いてんだよ」
「うるせ、お前は俺のティアたん愛を知ってるだろうが」
「あぁ、もちろん知ってるぜ」
袋の奥からガサゴソと一つの箱を取り出す。
「ほら、これ。オレが取ったので良ければやるよ」
「楽、お前……」
受け取った箱には、ティアたんがいつもの笑顔でこちらを見つめていた。
「本当は自分で助けたかったんだけどな」
「じゃあ、返せよ」
「いや、ありがたくもらっとく」
ティアたんをそっと胸に抱く。
角ばっているけれど、彼女の体温がじんわり体の奥に広がっていく。
少し心残りはある。
それでも、失ったはずの温もりを取り戻せたような気がした。
「じゃあ、みんなの所に戻ろうぜ」
楽の後ろ姿がなんだか頼もしく見えたのは内緒だ。
「そうだ!枠太と莉愛、これ受けてみないかい?」
未来さんから一枚のチラシを受け取る。
「クレーンゲーム検定?」
「そっ、1級から3級まであって、初めはみんな3級から」
「3級は技を教えてもらって、実践してみるって感じ。そんなに難しくないから受けてみなよ」
「1級のプロから技を教えてもらえるって、なかなかないよ〜?」
「土曜日って、三日後か」
「莉愛はどうする?」
「……行く」
迷いのない返事。
瞳の奥には、静かな闘志がたしかに宿っている。
「だよな、みんなは?」
「ウチはちょっとパスかなー」
「私も行けないや」
「…あたしは見に行ってみようかな」
「オレも行くわ」
「じゃあ、決まりな。場所は秋葉原か」
「駅に集合して、一緒に行くか」
「あたしは、わくたの家、行くね」
「また寝坊すんなよ」
「は?しないし!」
「そういえば、枠太君と芽衣ちゃんって家、隣同士なの?」
「あぁ、まぁな」
「そうなんだ…幼なじみって感じで良いね、漫画みたい」
「いや結構、大変なんだぜ?」
「小学校の頃は、芽衣が寝坊するから、毎朝俺が迎えに行ってたしな」
「ちょっと!それ言わなくていいじゃん」
「照れんなって」
「別に照れてないし!」
言い返す声が裏返って、芽衣は慌てて咳払いした。
その様子に、楽が小さく笑いながら口を開く。
「なぁ、今日はこの後どうする?」
「疲れたし、帰ろっか」
「いろいろあったねぇ」
「だな」
遠くの出口に一人の少年。
外へ歩いていく彼の手には、ティアたん。
「…あいつ」
思わず足が動く。
別に文句を言いたいわけじゃない。
ただ、同じ人を愛し、クレゲをする人間として、仲良くなれる気がしただけなんだ。
店外へ出る。
曇り空が広がり、水たまりに街の灯がぼんやりと映っている。
濡れたアスファルトの匂いが、生暖かい風に混じって鼻をかすめていく。
人混みに消えた彼の姿は、もう見つけられなかった。




