13ボタン 初活動は、やっぱりゲーセン!①
誰もいない部室。
カラフルな机、フィギュアやぬいぐるみで彩られた部室。
「最初の活動は何にしようか?」
昨日、そんな会話を交わしたばかりなのに、集合時間になっても誰も来ない。
慣れていたはずの孤独感が、久しぶりに訪れる。
まぁこんなもんか…。
窓の外ではサッカー部が士気を上げて走り込んでいる。
汗を流す彼らの声が、風に乗って部室まで届く。
同好会ができたのは、楽のおかげだったけど、俺もほんの少しは、あの日憧れた彼らに近づけているだろうか。
「わくた」
振り返ると、芽衣がいた。
おでこは前髪の後ろに隠れ、大きな瞳がくっきりと際立っている。
言葉が出なかった。
髪を下ろしているせいか、うっすら入ったメイクのせいなのか──。
理由はわからない。
ただ、可愛いと思ってしまった自分に戸惑う。
「…前髪、どうしたんだ?」
「どう、かな?笑心歌がこっちの方が良いって言ってたんだけど」
「あぁ…」
「何かないの!?反応!」
目を逸らしてしまった。
この胸のざわつきをどう処理すればいいのか、わからない。
「…まぁ、いいんじゃないか?」
芽衣が大きなため息をついて、呆れと諦めの混じった声で続ける。
「今日は正門集合でしょ、みんな待ってるよ」
「行こ」
その背中について、部室を出る。
芽衣の赤い髪が揺れるたび、きらりと反射する毛先を目で追いかけてしまう。
──ちょっとした変化なのに、何をドキドキしてるんだ、俺。
正門に着くと、すでにみんなが待っていた。
「おーい!遅いよ二人とも!」
笑心歌は相変わらずテンションが高い。
莉愛はスマホを見つめ、楽は何かぼやいている。
慣れ始めたメンバー。
ほんの少しだけ空気が賑やかに感じた。
絢音は眩しそうに空を見上げていた。
芽衣は俺の隣で、前髪を直しながらふっと息をつく。
口元だけで「ほら、行こ」と呟いた。
同好会の初活動は、俺にとってはいつものゲーセン。
──この道を歩くのも、なんだか久しぶりな感じがするな。
人通りの多い通りを並んで歩く。
この慣れた道をこんなに大勢で歩く日が来るなんて、思いもしなかった。
すれ違う自転車が風を切って通り抜けた。
咄嗟に芽衣の肩を引き寄せる。
「っ…びっくりした」
「危なかったな」
触れた手を離そうとしたのに、なぜか動けなかった。
「…ありがと」
その言葉で我に返った。
「…気にすんな」
その短い会話の後、互いに前を向いたまま、妙な沈黙が続いた。
だけど、後ろは相変わらず騒がしい。
でも、それよりも自分の鼓動がやけに大きく聞こえる。
角を曲がると、見慣れた光景が目に入る。
ガラス越しに光る筐体、微かに聞こえる電子音。
──あぁ、この感覚だ。
俺自身もここ数日ドタバタして、ゲーセンに来れていなかった。
久しぶりのゲーセンに胸の高鳴りが止まらない。
扉をくぐると、空気が一変した。
色とりどりのライトと筐体の声をシャワーのように浴びて、気持ちが昂る。
「ゲーセン!キター!」
笑心歌が真っ先に駆け出す。
その声に釣られて、俺も自然と口元が緩んだ。
「久しぶりだな…」
「久しぶりって何日ぶり?」
「一週間くらいか?…俺にしては、らしくないな」
「得意げに言うことじゃないから」
芽衣は呆れ顔で笑う。
その笑顔でなんだか胸が軽くなった。
よし、まずは、ここ数日で登場した新景品のチェックからだ。
体が勝手に奥の台へ吸い寄せられる。
「わくた!勝手に一人でいかないの」
芽衣に袖を引かれて、動きを止める。
その優しい力加減に、またどきっとした。
──くそ、何でこんなに…。
「それじゃあ…どうしようか?」
「らくみーとリメリメちゃん、あやねるはウチと一緒に行くよ!」
「わくたんはメイメイの先生、よろしくー」
笑心歌はいつもの調子で仕切りながら、三人を引き連れていく。
だけど、絢音はその流れに乗らなかった。
目が合った瞬間、ふっと微笑む。
「私は、枠太君に教えてもらおうかな」
「…そっか、そっか、じゃあ、わくたん二人をよろしくね」
笑心歌は何かを察したように笑って、二人の腕を取り、どこかに消えていった。
残されたのは俺と芽衣、そして絢音。
三人の間に静かな熱が残る。
「プレイしたい台とかあるか?」
「枠太先生!ぬいぐるみの取り方が知りたいです!」
「ね?芽衣ちゃんも教えてもらおうよ」
絢音は勢いよく手を上げると、芽衣の腕を引っ張って進んでいく。
そのままぴたりと立ち止まり、指差したのは“ちきかわ”のぬいぐるみ。
鶏の2頭身のキャラクターで、女子の間では人気があるらしい。
正直、良さは全くわからないが…。
絢音の真っ直ぐな瞳を見ていると、取らない選択肢はない。
3本爪の筐体。
紛うことなく確率機だ。
だけど、運だけで終わらせたくない。
絢音は俺の隣に立つと、何の前触れもなく、手を伸ばしてきた。
その小さな手が、俺の手を包む。
「え……」
息が止まる。
レバーを持った絢音の手に、俺の手が重なっていた。
そのまま、首を傾げながら、俺の方を覗き込む。
「…枠太先生、教えて?」
心臓が唸りをあげて脈打つ。
瞳の奥に自分の顔が写るくらい至近距離。
「ちょっと!何してんの!」
芽衣が慌てて声を上げた。
俺の袖を引っ張り、絢音から引き剥がす。
「まず、わくたがお手本見せて」
「…お、おう」
落ち着かない鼓動のまま、ポケットから百円を取り出す。
──ただ、手が触れただけだ…落ち着け。
「じゃあ、基本的な狙い方からな」
深呼吸をして、百円を投入。
カランという音がやけに響く。
「まず、設定の確認だ。3本爪の確率機で、獲得口のシールドは低め。移動制限はアームのレールを見るとわかる」
「そんなところ、気にしたことないや」
少し身を屈めて、筐体を見上げている。
「あと、ぬいぐるみを掴む時は、真ん中を掴むのではなく、アームを少し獲得口に寄せること」
「そうすると、ぬいぐるみも獲得口に寄ってくる」
「確かに、ちょっと寄ってる」
アームの動きに合わせて、ゆっくり俺の方へ身を寄せてくる。
少しずつ確実に縮まっていく。
黒い髪が俺の肩をかすめ、柔らかな香りを残していく。
「さっきから、絢音ちゃん近くない?」
「そう、かな?」
「ま、まぁ、こうやって地道に寄せていくのが無難だな」
「ぬいぐるみがシールドに乗ったら、ひっくり返してゲットだ」
「すごい簡単そうに見える…」
「そう見えても、確率機は基本、沼だからな」
「次はあたしね」
そう言って、芽衣が次の台を探す。
その横顔を目で追っていると、ふと視界の端に“新景品”のポップが見えた。
「あれ?」
近づくと、透明な壁の向こうで台座に立つあの子。
ライトに照らされた表情が、まるで俺に助けを求めているように見える。
「うわ、新景品出てたのか…!」
「しかも、残り一個」
「これ、わくたの好きなキャラじゃん」
「なんで知ってるんだよ」
「…だって、あたしの部屋から飾られてるの見えてるし」
「人の部屋を覗くなよ」
「なっ……ふーん、そういうこと言うんだ…」
「中学の時のこと、忘れたの?」
「待った待った、落ち着け」
「ふーーーん」
口を尖らせる芽衣をなだめつつ、設定を確認する。
「悪い、これプレイしていいか?」
「どうぞー」
いつもと変わらない橋渡し。
何度も繰り返してきた救出劇。
けれど、どこか心の奥が静かで、以前ほど高鳴っている気がしなかった。
──いや、気のせいかもしれない。
いつも通りに最初は真ん中寄せ甘めで狙う。
アームがあの子を優しく抱き抱える。
「BCキタ!」
やっぱり気のせいだ。
BCした瞬間はこんなにもワクワクする。
「BCってなに?」
「バランスキャッチな」
景品の重心をしっかり捉えることで、アームが景品を持ち上げる。
上手くいくと一発ゲットの可能性もあるクレーンゲーマーにとっての夢。
BCした時は、誰しもがドキドキとワクワクの狭間にいる。
落ちるか、残るか──その刹那がたまらない。
「…ミリ残しか」
あの角を外せば、次で取れる。
安心感と興奮を同時に抱えながら、ポケットから百円を取り出した、その時──
「…ちょっと来る」
莉愛が焦った様子で、俺の袖を掴んだ。
その直後。
「ちょっと!やめてってば!」
笑心歌の悲鳴が電子音を突き破った。
百円玉が、手の中から滑り落ちた。




