12ボタン ようこそ!クレゲ同好会へ
隣に座る君はなんだか落ち着かない様子で、目がキラキラしていた。
放課後への期待感がそのまま瞳に透けて見える。
小声で話しかける。
「なんか嬉しそうだな」
「だって、もう少しで部活だよ」
「同好会な、そんなに楽しみなのか」
黒板を叩く音が止み、チャイムが退屈な一日の終わりを告げる。
うーん、と背伸びをして、凝り固まった体をほぐしていく。
自然とみんなが集まり、旧校舎へと向かった。
昨日は薄暗く感じた廊下も、今日は賑やかで明るい。
ペンキの匂いが仄かに漂い、昨日の記憶が混ざり合っていく。
「虹の中にいるみたいだね」
部室に入ると絢音は両手を広げて、くるりと一回転する。
木目の床を踏む音が軽やかに鳴り、まるで舞台のように華麗で、釘付けになる。
風がペンキの香りの合間を縫って、彼女の匂いを運んでくる。
「あがるっしょ?」
笑心歌の問いかけに絢音は少し笑顔を薄くして言う。
「青春してて羨ましい。私もやりたかったな」
その声はどこか遠くて寂しい。
絢音の気持ちにもう少し寄り添えば良かったと、胸が痛む。
「絢音ちゃんも一緒にレイアウト考えようよ」
芽衣がそう言って空気を変えると、すぐに女子3人の会議が始まった。
俺と楽は言われた通りの場所に、机と椅子、ロッカーをあたふたと動かしていく。
あれこれ注文をつけられるが、楽しそうな女子たちを見ていると…悪くない。
「ほら枠太、そっち持てよ」
「なぁ、見てみろよ、目の前の素晴らしい光景を。眩しすぎて視界が真っ白になりそうだぜ」
笑って、揺れて、また笑って。
この景色がずっと続けばいいと、つい思ってしまう。
「レイアウトも完璧だね!」
絢音の声が響く。
色んな指示に従ってきたが、ようやく完成したらしい。
見渡した教室は荒んでいたとは思えないほどカラフルで、これまでにない輝きを放っている。
「芽衣、梢は来るって?」
「梢ちゃん部活前に顔出せたら出すって言ってたけど…」
ふと、入り口で影が動く。
扉の小窓からスポーツウェアと波打つ黒髪が見え隠れしている。
胸の前でぎゅっと握られた手。
まるで教室に入る勇気を探しているみたいだった。
「なんだ、来てるじゃないか」
「…どうしてもって言うから来てあげたわよ」
「相変わらず素直じゃねぇなぁ」
「うるさいわね」
そう言いながらも、芽衣のもとへ近寄っていく。
バスケットシューズのソールは何度も走り込んだ跡が見て取れた。
「芽衣〜」
「梢ちゃん!」
二人の笑い声が教室に溶け込んでいく。
「笑心歌でーす、よろしくー」
「絢音です、よろしくね」
「梢よ」
肩をすくめて少し身構える梢。
その様子を見て、笑心歌が話しかける。
「こずえーぬはクレーンゲーム好きなの?」
「こずえーぬ!?何よそれ」
「あだ名!髪とかフランス人形みたいだし、ピッタリっしょ?」
「フランス人形って、どういう意味よ?」
「可愛いし、テンション上がるかなーって」
「…まぁ、いいけど」
梢の頬がほんのり赤くなり、前髪を直す仕草をする。
「やった!こずえーぬ、ほら、スマイル」
笑心歌の無邪気さに、梢の硬さもほどけていき、口元が和らいでいた。
「じゃあ、みんな揃ったところで乾杯しようぜ」
楽は教室に溶け込んでいた冷蔵庫から缶ジュースを取り出す。
「いつの間にそれ持ってきたんだよ」
「今朝な、親父に運んでもらった」
「お前、マジで行動力の塊だな」
その行動力がなんだか羨ましい。
シュパッという音が響く寸前──
不意に聞こえた軽い喧騒にも負けそうなかすかな声。
「…ここ、クレゲ同好会?」
入り口を見ると、眼鏡をかけた小柄な女の子がそこに立っていた。
制服の袖をぎゅっと握って、おろおろしている。
「もう、入会希望者が来るのかよ」
「さすが、ウチだね〜」
「一体何をしたんだ?」
「これ!」
笑心歌がチラシを掲げる。
「掲示板に貼っておいたんだ」
「笑心歌、すごいね」
「あやねるに言われると照れる。でも、意外とやるでしょ?」
芽衣が小柄な女子を中に招き入れる。
「あなたは?」
「…中道…莉愛」
目を背けながら、ゆっくりと俺を指差す。
「俺に何か用か?」
「……リメの初めてを奪った男…」
その言い方は非常にまずい。
他にもマシな言い方ありますよね?
あまりに直球すぎる言葉に場の空気が一瞬で凍りつく。
「わくた、説明して」
「いや、会うの初めてだろ」
やはり、芽衣やみんなの視線が一斉に突き刺さる。
絢音の冷たい一瞥がより心を抉った。
「…こうすればわかる?」
眼鏡を外し、ピンク色の髪留めを付ける。
その奥から青いインナーカラーが顔を出した。
制服の着こなしは地味というか普通だが、あの日の面影がある。
「……え?もしかして、リメりん…?」
こくりと小さく頷く。
「まじで?この学校の生徒だったのか?」
また、こくりと小さく頷く。
あのプロクレゲ配信者が同じ学校にいるなんて。
これ以上幸運なことはない。
知りたかったあの技もあのテクニックも全て曝け出してもらおう。
「それで、初めてを奪ったってどういう意味?」
芽衣から急激に問い詰められる。
「…痛かったけど、とても熱かった」
「言い方が変だって!」
なぜ、そんな言い回ししかできないんだ。
それは火に油だぞ。
「わくた、どういうことなの?」
「だから、何もしてないって!」
「…それに──」
急いで莉愛の口を塞ぐ。
やましいことは何もない。でも、これ以上喋らせたら何を言うか…。
「んー、んー」
必死に抗議するように声を漏らす。
「ちょっと落ち着け、何を──」
次の瞬間、脳が貫かれたような鋭い衝撃が走った。
視界がぐらりと揺れた。
気づけば、目の前は机の脚。
「莉愛ちゃん、大丈夫?怖かったよね」
「…リメの手、握った。思いきり」
「それだけ?本当に?」
芽衣の疑いの目は、まだやまない。
「な?変なことしてないだろ?」
「わくた、あっち向いて」
「なんでだよ」
「いいから、早く」
芽衣に背を向ける。
それと同時にバチンッという乾いた音と共に背中に激痛。
ほら、やっぱりこうなった。
「わくたんも意外に大胆だねー」
笑心歌の茶化すような声。
まるで何もなかったかのように楽が仕切る。
「じゃあ、新入会員も来たことだし…やりますか」
「改めて、クレゲ同好会創設に〜!」
「KP〜〜!」
「かんぱーい!」
楽の合図に、みんな後を追うように応える。
カシャンという音と弾ける水滴。
ささやかで小さな始まりだったけど、確かな一歩だ。
「くぅー!これだねー」
「らくみー親父くさいよ」
「青春の味だねぇ〜」
「ただのコーラだろ」
「枠太、ノリ悪いぞ」
「はいはい、青春の味でーす」
くだらないやり取りに、部室がまた笑い声で満たされていく。
缶ジュースの上に残る水滴が色とりどりに反射する。
その光が白い壁を何色に染めるのか、まだ誰も知らない。
「そうだ、梢さんが部活行く前に、みんなで写真撮らない?」
絢音が提案する。
「いいじゃん!」
笑心歌がスマホのインカメを構える。
「ほら、ちゃんと寄って!」
ぐっと距離が近づく。
絢音の髪が鼻を撫でて、くすぐったい。
鼻に残る香りに、思わず彼女を抱きしめてしまいたくなる。
芽衣はピースを作り、梢は仕方なさそうに微笑んだ。
「はい、チーズ!」
カメラを見ようとした時、絢音が俺の小指をそっと握りしめた。
あまりに突然で心臓を握られたように体が熱くなる。
どうして、握られたのかわからない。
でも、離さないでいてほしいとも思った。
シャッター音が小さく響く。
古びた校舎の一角だけが夕陽に照らされて、笑い声と一緒に温かくなる。
ちょっと埃っぽい光の粒が宙を舞って、青春の始まりの匂いがした。
「ありがと」
「…青春って、こういうことなのかもね」
絢音がポツリとこぼす。
「そうだな、なんか始まりって感じがする」
窓際では、放課後に吹く風がカーテンを揺らしている。
その柔らかな動きが、言葉の余韻を優しく包み込む。
「最初の活動は何しようか?」
「うーん、悩むねぇ」
「…クレゲしないの?」




