10ボタン 駆け抜けて青春
ある晴れた昼下がり、窓から差す程よく暖かい光と満腹感が心地よく夢へと誘う。
「おい、枠太、ちょっと来い」
楽は俺の肩を軽く叩いて、教室から出ていった。
解消されない眠気を抱いて、仕方なく着いていく。
人気の少ない廊下を抜けて、着いたのは誰もいない化学準備室。
「なんだよ、こんな所まで来て」
楽は振り返ると腕を組み、いやに真面目な雰囲気で話し始める。
「お前、最近いい感じだよな?」
「なんのことだ?」
「アヤネ様や芽衣、笑心歌といった色んな女の子と仲良くなり…さらには、スポーツ科の梢さん、リメりんとまで親しくなっている」
「ちょっと待て、なんで楽が梢とリメりんのことまで知ってるんだよ」
「そんなお前にお願いがある」
「勝手に話を進めるな」
「オレにも、その素晴らしい世界を享受させてください!!」
腰から千切れそうな勢いで、頭を下げる。
「はい?」
「よろしくお願いします!」
さらに頭が低くなる。
「よろしくって…何をして欲しいんだよ」
「クレゲ部を作らないか?」
「クレゲ部?」
「…そうだ。部活を作り、女子たちにも入ってもらう。無論、オレも入る。そうすれば素敵な世界の出来上がりだ」
「それに、部活を作れば活動費が支給される。学校の金でクレゲができるなんて最高だと思わないか?」
「……確かに、それはいいかも」
「だろ?部活作ろうぜ。部員は最低5人。顧問は…佐々木で良いだろ、あいつ適当だし。申請書は生徒会に提出。もうフォーマットも印刷してある」
「準備良すぎだろ」
「じゃあ、芽衣から行くか!」
パンッと手を叩く音。
やけに自信満々な楽の表情に少し不安を抱え、教室に戻る。
(化学準備室まで来た意味は…?)
「芽衣さん、ちょっといいかな?」
どこか芝居がかったような、妙に優雅な口調だった。
「楽に…わくた、どうしたの?」
「ちょっと、お願いがあってね」
「何?楽、話し方どうしたの?ちょっと気持ち悪い…」
「楽、お前ずっとそのテンションで行く気か?」
「気を取り直して…クレゲ部を創設します!芽衣には、ぜひ一員になっていただきたい!」
声高らかに宣言する。
クラスの数人がこちらを見て、噂話を始めたようだ。
「えー…」
「お願いしますっ!」
「他の部員は誰か決まってるの?」
「いや、芽衣で三人目だ。アヤネ様と笑心歌とかにも声かけてみようと思ってる」
「そうなんだ…」
「頼む!入ってくれ!芽衣が頼りなんだ」
こんなに積極的な楽は初めて見た。
「…わかった、いいよ。部活ができたら入る」
「サンキューな!」
芽衣は笑って、小さく頷いた。
「次は隣のクラス行こうぜ、笑心歌の勧誘頼む」
俺たちは並んで隣のクラスに向かった。
笑心歌は自分の席でスマホを見つめていた。
「笑心歌、ちょっといいか?」
「…わくたん!おいーっす!」
普段の突き抜けた明るいテンションで返してくる。
「部活作るんだけど、入ってくれないか?」
「まじ!?何部作るの?」
「…クレゲ部」
「何それ、ウケるw」
「入ってくれるか?」
「モチ!面白そうだし、入る!」
「それでは、こちらにサインを…」
「らくみーは何キャラなのw」
「お前、らくみーって呼ばれてるのな」
「羨ましいだろ?」
「あんまり」
「エミィ、サンキューな」
「エミィ!?」
思わずツッコんでしまった。
「全然オッケー!部活できたら教えてねー」
「おう!じゃあまたな」
「エミィってなに?」
違和感を抱えたまま隣の教室を後にする。
廊下に出ると背中から声が飛んできた。
「わくたん、らくみー、ファイトー!」
その声は背中を押してくれる気がした。
「てか、いつの間に笑心歌とそんな仲良くなったんだよ」
「…エミィって距離の詰め方えぐいよな」
「一体何があった?」
「よし、ここからは二手に別れよう」
「梢さんの勧誘も頼む、オレはアヤネ様、探してくるわ」
「誤魔化すなって」
「じゃ、よろしく」
楽は、どこかへ走っていってしまった。
一人スポーツ科の教室を訪れる。
教室からじろじろと視線が刺さり、場違いな男がまた来たという空気をひしひしと感じる。
「悪い、梢、ちょっといいか?」
小声で梢を廊下に連れ出す。
「あんた、この間はよくもやってくれたわね」
腕を組んで、こちらを睨む。
「何のことだ?」
「フィギュアよ!机の上に置いておくなんて、恥かいたじゃない」
「何を恥じることがあるんだよ」
「馬鹿にされたのよ!」
苛立ちの裏に震えた声があった。
「他人の言うことは気にするな。好きなことに胸を張れ」
「…わかってるわよ。それで何か用?」
「部活を作るんだけど、梢もどうかなって」
「アタシ、バスケ部よ?入れると思う?」
「だよな、悪い、忘れてくれ」
「…ちょっと、待ちなさいよ。ちなみに何部を作るのかしら?」
「クレゲ部だよ」
「そんなの認められるわけないじゃない」
「やってみないと、わからないだろ」
「それじゃあ、部として認められたら入ってあげてもいいわよ」
「素直じゃないなぁ、入りたいならそう言えよ」
「…うるさいわね、サイン必要でしょ?」
「まったく…じゃあ、ここに書いてくれ」
「せいぜい頑張りなさい」
サインを終えると、すぐにそっぽを向いて歩き出す。
教室に戻る直前、梢が頬を赤くして呟いた。
「…できたら教えなさいよ」
その不器用な一言に、軽く笑ってしまった。
自分の教室に戻ると、楽が駆け寄ってきた。
「枠太!アヤネ様が部活に入ってくれるって!」
「あんまり参加できないけど…よろしくね」
「本当に入ってくれるのか?」
「うん、なんだか面白そうだし。部活も入ってみたかったんだよね」
絢音の言葉は控えめだったけど、その瞳には、きちんと期待が込められていた。
「そっか、よろしくな」
きっと部活なんて縁がなかっただろう。
ならせめて、少しでも楽しい思い出を作ってやりたい。
「アヤネ様!サンキューな!」
「よし、枠太、生徒会室に行くぞ」
「行くか」
この瞬間、本当に何かが動き出す気がした。
生徒会に向かう途中に楽に問いかける。
「しかし、こんな思いつきで部活なんて作れるのか?」
「思いつきじゃない。昨日の夜、3時間はかけて構想を練った」
「それを思いつきって言うんだよ」
「大丈夫だ、現に部員だって集まったじゃないか。申請書も完成したし、あとは、提出するだけだ」
生徒会室の前に立つと、廊下の空気が張りつめていて、少し重苦しい。
教室の喧騒が遠くに聞こえて、ここだけ時間の流れが違うようだ。
楽は深呼吸をしてドアノブに手をかけ、こちらに目配せする。
手に汗がじんわり滲んでくる。
「…それじゃあ、開けるぞ」
「失礼しまーす!部活申請しに来ましたー!」
生徒会室に入ると、目の前にいけすかないイケメンが立ちはだかる。
「何しに来たんだい?」
「狩野…お前こそ何してるんだ?」
「一応、生徒会役員をしてるんだ」
髪をかき上げて、さらりと答える。
相変わらず鼻につく。
「申請書、確認するよ」
「ふーん、笑心歌も入るんだ」
「あぁ…いいだろ、別に」
「それは構わないけど、却下だね」
「どうしてだよっ!」
楽が前のめりに問い詰める。
「初めに聞くけど、クレゲ部は具体的にどんな活動をするんだい?」
「えーっと…」
(そこは、それらしい理由考えてないのかよ…)
「…クレーンゲーム?」
「許可できるわけないよ」
「何とかお願いします!」
「無理だよ。どうしてもというなら、同好会でも作ると良いさ」
狩野は、ため息混じりに笑い、申請書を楽の胸に軽く押し返した。
「ちょっと、待ってくれ!」
──バタン
「…閉められた」
「楽、これからどうするんだよ?」
「まー、同好会でも良いか!」
「同好会は活動費の支給あるのか?」
「ない」
「待てよ、それだと活動費でクレゲができないじゃないか」
「オレは、女子たちと楽しく過ごせれば良いんだよッ!」
「ということで、同好会の申請書にサインよろしくな?」
「いや、準備良すぎ」




