1ボタン 人生最高のイチオシ☆プライズ
夕陽の差し込む放課後のゲームセンター。
今日も電子音の喧騒と眩しいネオンに包まれた空間に足を踏み入れる。
通路を進めば、景品の落下音と電子的な歓喜の声が響いて、俺の存在を証明する。
この熱狂が、ここは〝自分の居場所″だと教えてくれる。
そう、誰にも理解されなくても、この世界は俺を受け入れてくれる。
「これでゲットかな…よし」
心地よい落下音が響き、筐体が煌めく。
そして、当たり前の達成感を両手に抱え、今日の目的を見据える。
そう、今日登場の新景品。
人気アニメのメインヒロイン。
俺にとって特別な存在だ。
そんな彼女は、いつも橋の上の四角い部屋に囚われていて、俺が助けに来るのを待っている。
そんな「救出劇」をこれまで何度も繰り返してきた。
まず、どこに彼女が囚われているか探る。
今日の彼女は地下の奥深く、薄暗い底に閉じ込められているようだ。
「順当に行きますか…」
冷静にアームを操り、やがて箱は橋から滑り落ちた。
──ゴトンッ!
転んだ彼女の手を持ち、そっと優しく引き上げる。
「待たせたな、よかった…無事で」
胸の奥に小さな安堵が広がる。
恋人の体温を思い出すような、奇妙な幸福感。
こんなささやかな勝利が、いつも心を少しだけ満たしてくれる。
顔を上げると、通路の向こうでひとりの女子高生が筐体の前に立ち尽くしていた。
「やっぱり、無理なのかなぁ…」
小さな手に百円玉を握り、今にも泣き出しそうな表情で、窓の向こうのぬいぐるみを見つめている。
──なんだ、このざわつきは。
心の奥にあるボタンを押されたような感覚だった。
「いっけぇー」
それは筐体の声か彼女の祈りか。
数秒後には光を受けた黒髪のボブを揺らし、項垂れている。
遠くから覗いてみるとプレイしているのは〝確率機″。
あれは、簡単には取れない設定だ。
このままだと、何千円も費やすことになる。
昔の自分を見ているようで、放っておけなかった。
「ちょっと、やってみても良いか?」
「え…?」
振り向いた瞬間、世界が止まった。
星空を閉じ込めたような眩しい瞳、整った鼻筋、口元の儚い曲線──全てがあまりに完璧に調和していた。
涙を堪えた瞳に、ネオンの黄色い光が揺れて反射している。
それは、あまりに綺麗だった。
今までにない衝撃が体を駆け抜け、自分の中の何かが書き換えられていく。
「あぁ、ちょっと大変そうだなと思って…」
気を取り直して、ぬいぐるみを確認する。
それは、SNSでも話題のネコのぬいぐるみだ。
「取れるかな…?」
壁の向こうのぬいぐるみを心配そうに見つめる。
その瞳は光に揺れ、全てを吸い込んでしまいそうだ。
「まぁ、見てろ」
「これの台はある程度お金を入れるまではアームの力が弱い設定なんだ」
「じゃあ、取れないじゃん」
少し不満に膨れた表情が、筐体の窓に映っている。
その表情にもドキッとした。
「でも、こいつは腕と体に少し隙間があるだろ?ここに、アームを通すんだ。UFOキャッチャーの本体は獲得口に寄せて…ここらへんかな?」
レバーで調整しながら、ボタンを押す。
彼女は降りてくるアームを固唾を飲んで見つめている。
アームは狙った場所を的確に捉えていた。
動きは弱々しいが、ぬいぐるみをそっと持ち上げ、腕を組んだまま出口に到達する。
間もなくして、忙しない電子音が獲得を知らせた。
「よかった…はい、これ」
ぬいぐるみを手渡す。
一瞬、彼女の小さな手と触れた。
じんわりと伝わる熱が彼女の痕跡を残していく。
その感覚が胸の奥でくすぶり、鼓動がわずかに乱れた。
「いいの?」
期待を込めた瞳を拒む必要などない。
「まぁ、俺は要らないから」
その瞳は可憐で、意識せずにはいられなかった。
「ありがとう!クレーンゲーム得意なんだね」
その笑顔に視界をすべて奪われる。
手に残る感触も、胸の奥のくすぶりも、いつの間にか混ざり合って、体の奥から熱をせり上げてくる。
鼓動が今までにないくらい早くなっているのがわかった。
──彼女が心を掴んで離さない。
「そのキャラ好きなの?とっても大事なキャラなんだね」
彼女はそんなことはお構いなしに、袋の中から、さっき取ったばかりの愛しい人を見ている。
だけど、俺はあの一瞬の触れ合いを、まだ引きずっていた。
「…まぁな、お気に入りのキャラだ。でも、なんでわかったんだ?」
「さっき、プレイしてる時、その…色々喋りながらやってたから…」
──しまった、全て聞かれていたのか。
あの時の言動を振り返ると顔を覆いたくなる。
「でも、なんか楽しそうだったよ。あの子のこと、本当に大事なんだなって思った」
少しの沈黙の後、彼女は微かに呟いた。
「…じゃあ、もし私が捕まってたら、君は助けに来てくれるのかな?」
電子音の喧騒にかき消されそうなその問いかけは、なんだか切実で、胸を締め付ける。
俺にはその言葉の意味を掴みきれなかった。
消えゆくその刹那、心の中に棘を残す。
その儚げな笑顔に俺は、言葉を失い、彼女の笑顔を見つめることしかできなかった。
「なんてね、さぁ次に行こう!」
彼女は明るさを取り戻すと、奥へと進んだ。
俺はまだ、何と言えば良いかわからずに。
今はただ、彼女の行先に着いていく。
「次はこれ!」
元通りの笑顔で指差す。
「これでいいのか?」
「喉、乾いちゃった…これ取れそう?」
フック設定か。
この台は周期も掴んでいるし、余裕だ。
いつも通りやれば大丈夫。
でも、いつものタイミングでボタンを離すだけなのに、なぜか手が震えて、瞬間を狂わせる。
儚い笑顔が瞼に張り付いて、離れない。
あれは、どういう意味だったんだろうか?
頭の中で感情が巡る。
──ガコンッ!
自販機から缶ジュースが落ちる音が響く。
彼女に缶ジュースを手渡して、ベンチに座る。
指先を伝うアルミ缶の冷たさが、まだ火照った体には心地よい。
見上げれば、空一面に夕焼けが広がって、雲を黄金色に縁取っていた。
ゆっくりと夜に呑まれる空の境界。
いつも見ているこのベンチからの景色が、彼女といると、全く別のものに思える。
「…取れなかったね」
彼女はジュースを一口飲んで、少し残念そうに微笑む。
夕陽に照らされた横顔は悔しさよりも柔らかさを帯びていて、胸の奥を締めつける。
「…ごめんな」
「大丈夫!ジュース飲めたから、私的にはOK!」
やはり彼女の笑顔は可憐で、吸い込まれそうになる。
手に入れたい、そう思った。
「今日は、ありがとね」
「そろそろ、帰ろうかな…」
彼女は立ち上がり、夕陽を一緒に連れて行こうとする。
このまま会えなくなる気がして、思わず呼び止めた。
それと同時に、思わず言葉がついて出る。
なぜ、こんな言葉を口にしたのか、自分でもわからない。
理由は未だに掴めないまま。
「君は、俺の人生で最高のイチオシ・プライズだ!」
「あんまり、嬉しくないね」
彼女はくすりと笑って、風と一緒に歩き出した。
「俺は…君のハートを、掴みたい!」
「…またね」
振り返って小さく告げると、彼女は微笑みと共に人混みの中に溶けていった。
名前も知らない彼女のことを思いながら帰路に着く。
ゲームセンターのネオンは、まだ眩く煌めいていた。
この光が、なんだかいつもとは違っていて、人生最高のプライズを見つける旅の始まりを告げているような気がした。
きっとこの出会いが、俺の世界の重心を崩してしまったんだ。




