第5話 「封印都市ルメアと星霜の扉」
今週もお読みいただきありがとうございます。
第5話の舞台は古の記憶が眠る都市「ルメア」。
星々の沈黙を破るように、アリサたちは“封印の鍵”を求めて、新たな旅路へと足を踏み入れます。
過去と現在が交差する迷宮――
問いかけられるのは、“選ばれた理由”ではなく、“自ら選ぶ覚悟”。
旅の仲間たちとの絆が、試されるとき。
運命に飲み込まれるのか、意志で光を掴むのか――
どうぞ、深く蒼き迷宮へ、ご一緒に。
夜の霧が晴れぬまま、朝が訪れた。
アリサたちは、かつて繁栄を誇った都市――ルメアの廃墟にたどり着いた。
かつてこの地は「星と月が交わる都」と呼ばれ、魔術と詠唱、記憶の研究が栄えたとされている。
だが今、その面影はわずかに残る石畳と、崩れた塔の輪郭の中にしかない。
「……静かね。まるで、世界から忘れられたみたい」
アリサがつぶやくと、風が彼女の髪をさらった。沈黙に満ちたその空気には、まだ語られていない過去の残響が、どこかに潜んでいる気がした。
ゲルンは倒れた石碑のひとつを撫でながら言った。
「ここには、かつて“星霜の門”と呼ばれる封印があったはずだ。月光の鍵が導く道が、この地に通じているなら……その扉の記憶も残っているはずだ」
「封印ねぇ。そういうの、僕はどうも信用できないんだ」
シエルが肩をすくめながら、草むらに咲いた月草を指でいじっていた。その手つきは、まるで時間を弄ぶように軽やかだったが、瞳の奥には鋭い緊張が潜んでいる。
「でも、面白そうだ。こういう場所には、よく“禁じられた記録”や“失われた魔法”が眠っている。何か……使えるものが見つかるかもね」
ゲルンが低く唸る。「不用意に触れるな。封印とは、本来、触れてはならぬ“想い”を閉じるものだ」
「想いを……閉じる?」
アリサは、星図を開いた。その中央、うっすらと浮かび上がる銀の線が、まるで何かを導くように、朽ちかけた建造物のひとつへと流れ込んでいる。
「この場所……星が語ってる。あの扉の向こうに、なにか“大きな記憶”が眠ってる」
彼女の指は震えていた。これは、ただの“地図”ではない。星図とは、星の意志が描き出す未来の地形であり、彼女の心と響き合う“運命の鏡”なのだ。
「行ってみよう」
その一言に、二人の仲間がうなずいた。
静寂の都市に、三人の足音が響き始める。
誰もいないはずの街路に、風の声がかすかに混じっていた。
――忘れられた扉が、誰かの祈りを待っている。
* * *
その扉は、城跡の奥にひっそりと佇んでいた。
崩れかけた石造りの回廊を抜け、苔むした壁の向こうに、それはあった。
無数の星の模様が刻まれた半円形の石扉――〈星霜の扉〉。
中央には、ひときわ大きな星の印。その周囲を囲むように、細い銀の線が複雑な文様を描いている。
どれも古の星詠み文字であり、現代に解読できる者はほとんどいないはずだった。
けれど、アリサの目はその文字を自然に追っていた。
「……星の記憶……月の記憶……時を織り交わし、選ばれし者に、未来のかけらを託す……」
アリサの声が、無意識に紡がれていく。
ゲルンが目を細めた。「その言葉……聞いたことがある。“扉は星の巫女にしか開かれぬ”という、古い言い伝えだ」
「へえ。じゃあ、君がこの封印を開けるってわけだ、巫女さま」
シエルが口笛を吹き、壁に寄りかかりながらも、鋭い視線で扉の周囲を見張っている。まるで、何かがこちらを見ているとでも言いたげだった。
アリサは胸元から星図を取り出す。
星図は、扉に近づくごとに淡く光を強めていく。
やがて、その光が、扉の星印にぴたりと重なった。
「……開く」
ぽつりとこぼした瞬間、アリサの手から放たれた光が、星印へと吸い込まれる。
すると、扉全体に刻まれた星々が順に淡く光を帯び、まるで夜空の星座が目覚めるように輝きを放ちはじめた。
「おい、待て……これは……!」
ゲルンが身構えると同時に、扉の周囲の空気が歪んだ。
光に包まれた星霜の扉が、低く唸るような音を立てて、ゆっくりと開いていく。
中から現れたのは、ひとつの記憶――いや、「時間そのもの」だった。
淡い霧の中、少女の幻影が浮かび上がる。
長い黒髪に、星の装飾をあしらった祭服。
どこか、アリサと似た面差しをしていた。
「これは……過去の星詠み……?」
アリサが息を呑んだとき、幻影が口を開いた。
『これを読んでいるあなたへ。この扉が開かれるとき、再び“夜の理”が揺らぎます。』
声は風のように儚く、けれど確かに胸の奥に届いた。
『月光の鍵は、記憶の封印。世界が忘れた“失われた星”を繋ぐ最後の希望。どうか、選ばれしあなたが、あの城へ辿りつけますように。』
幻影はふわりと消えた。
扉の奥には、円形の部屋があった。
天井のないその空間には、夜空がそのまま張りついたように広がっており、星がゆっくりと回っていた。
「これは……天球儀……?」
シエルが驚いたように呟く。だがアリサには、わかっていた。
これは“未来を視るための部屋”――星霜の神殿。
「月光の鍵の、真なる座標が……ここにある」
アリサがそう告げた瞬間、天球の中心に小さな光点が灯った。
それは、遥か西の空――古の伝承に語られる「暁の迷宮」へと続く道を、淡く、しかし確かに指し示していた。
* * *
天球の星がゆっくりと巡るなか、アリサは星図を広げ、示された座標をそっと指先でなぞった。
「……“暁の迷宮”。聞いたことがある」
ゲルンが低く呟いた。「昔、北の王国が築いた禁忌の地。今は誰も近づかない、失われた都市だ」
「禁忌、ねえ。そういう場所には、だいたいロマンと危険が詰まってるもんさ」
シエルが指先で宙に炎の輪を描きながら言う。
「でもさ、本当にそれだけが手がかりかい? この神殿、もっと何か隠してそうだけど」
彼の言葉に、アリサは再び部屋を見渡す。
天球の下、石畳の床に埋め込まれた紋章の中心に、わずかに異なる色の石があることに気づいた。
その石にそっと触れると、かすかに温もりが伝わってくる。
光が脈打ち、そこから再び幻影が立ち上がった。
今度の幻影は、ひとりの男だった。
年老いた、しかし眼光の鋭い星詠みの長老。彼は静かに口を開く。
『これを記す者は、星霜の巫子・サリス。今この地は終わろうとしている。月影の王が、鍵の封印を解かんとしているのだ。』
幻影の声は、まるで何百年もの時を越えてなお、なお鮮明に訴えてくる。
『この〈星霜の扉〉を通じ、星詠みの記録を残す。我らが命をかけて封じた“鍵”は、いずれ選ばれし者によって再び開かれるだろう。その者が、星を読む者であるならば――。』
男の幻影は、アリサの方へと視線を向けたように見えた。
『未来を託す。星と共に歩め。夜の底でなお輝くものが、君を導くだろう』
ふっと幻影が霧散した。
部屋の空気が静まり返る。
その言葉は、アリサの胸の奥に深く刺さった。
知らぬ誰かが、何百年も前に託した祈り。
それが、今、彼女の前で目覚めた。
「……鍵を奪おうとするのは、月影団の王……?」
「月影団には長い歴史がある。だが、王を名乗る者がいるとは聞いたことがない」
ゲルンの眉がわずかに寄せられる。
「鍵を解くために動いてるなら、ただの盗賊集団なんかじゃないね。もっと深く、もっと古い闇があるってことさ」
シエルの声音は、冗談めかしながらも真剣だった。
アリサは天球を見上げた。
そこには、今の空にないはずの星が、ひとつだけ、深く、蒼く、明滅していた。
「……この星。まだ地上では観測されていない。でも、星図には確かに刻まれてる」
それはまるで、未来の記憶。
「“失われた星”。記憶の彼方に葬られた、本当の星のかけらかもしれない」
そのとき、アリサの胸元の護符が淡く光り、微かな音を立てた。
――カシャン……。
音に反応するように、天球の中央に小さな裂け目が走り、ひとつの銀の板がゆっくりとせり上がった。
それは、星図の一部を模したような装飾が彫られた、古い記録盤だった。
「……これは……!」
アリサが板を手に取ると、星図が共鳴するように震え、そこに新たな線が浮かび上がる。
それは、暁の迷宮を起点にした、新たな“星の経路”だった。
「これが……次の導き……!」
アリサの目に宿る光が、星図と共に強くなっていく。
――失われた星。忘れられた祈り。古き封印。
それらすべてが、いま一つの糸で結ばれようとしていた。
* * *
蒼い残響の城を包む風が、少しずつ温度を変えていた。
夜明けの兆しが遠く東の空を白ませ、古の石壁に差し込む光が、淡く揺れている。
アリサは、神殿の外縁に立ち、静かに目を閉じた。
風の匂いが変わっていた。森の湿り気、古城の埃、そして……新しい朝の匂い。
「行く前に、言っておきたいことがあるの」
アリサの声に、ゲルンとシエルが振り向いた。
彼女は星図を胸に抱えたまま、迷いのない瞳でふたりを見つめていた。
「私は、この旅の中でずっと迷っていたの。自分に何ができるのか、選ばれた意味があるのかって……。でも、わかったの。星は、“正しさ”じゃなくて、“決意”に応えるんだって」
ゲルンは黙って彼女の言葉を聞いていた。
その大きな瞳の奥に、どこか懐かしさのようなものが宿っていた。
「私、もう逃げない。星の声を聞くだけじゃなく、自分の声でも進みたい。私の意志で、この世界を見て、守って、選びたいの」
静かな宣言だった。だが、風の中でその言葉は凛と響いた。
「……らしくなってきたじゃないか、巫女さま」
シエルが小さく笑った。
彼の笑みはいつもながら飄々としていたが、その裏にある感情の色は、どこか柔らかかった。
「だったら、僕も本気出さなきゃね。せっかくこんな面白い旅に乗ったんだ、最後まで付き合うさ」
ゲルンは腕を組んだまま、少しだけ口の端を上げた。
「言っただろう。お前の盾であり、剣であると誓った。迷ったなら、背中を押す。進むなら、共に前を向こう」
その言葉に、アリサの瞳が揺れた。
「ああ……なんか、泣きそう」
「泣くなよ、巫女さま。出発前に縁起でもない」
シエルが肩をすくめる。
だが、その声音には優しさが滲んでいた。
アリサは首を横に振り、笑った。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
その笑顔は、夜明けの光を浴びて、どこか神聖に見えた。
そのときだった。
――ガラガラガラ……ッ!
遠くで、石が崩れるような音がした。
三人が振り返ると、神殿の裏手、古びた扉が軋みながら開いていくのが見えた。
そこから現れたのは、一人の老人だった。
長い灰色の髪、星詠みの外套を纏い、よろよろと杖をつきながらこちらへ歩み寄ってくる。
「……誰?」
アリサが警戒の色を滲ませると、男は静かに頭を下げた。
「恐れるな。私は“記録の番人”。この城と共に眠っていた者だ」
ゲルンが斧に手をかけたが、男に敵意はなかった。
その眼差しは、むしろ慈しみに満ちていた。
「そなたが、“星の巫女”か……。ようやく、会えた」
アリサは驚いた顔で一歩前に出た。
「あなたは……この城のことを知っているの?」
「知っている。いや、見届けてきたのだ。星が途絶えた時代も、鍵が失われた日も、そして――月影の王が、再び目覚めようとしていることも」
「……月影の“王”?」
シエルが目を細めた。
老人は頷いた。
「彼はかつて、星の巫女と同じ“選ばれし者”だった。だが、星の声を拒み、月の影に堕ちた」
「……選ばれし者が、なぜ……?」
アリサの問いに、老人は静かに答えた。
「その理由を知るには、まず“暁の迷宮”へ向かうことだ。そこにすべての記憶が眠っている。そして――“月光の鍵”の真なる姿もな」
アリサは目を見開いた。
「鍵の……本当の姿……!」
風が吹いた。
それは、新たなる章の始まりを告げる風だった。
* * *
城の南端、苔むした階段を降りた先に、それはあった。
かつての大書庫だったという石室の奥に、鋼の門が口を開けている。 その表面には、無数の星座が浮かび上がっていた。 光を持たない星々が、まるで“答えを待っている者”のように沈黙している。
「これが……“暁の迷宮”?」
アリサの問いに、記録の番人は静かに頷いた。
「ここは、かつて月影の王が真理を求めて辿り着いた場所。そして今、巫女であるお前が“己の意思”を試される場所でもある」
シエルは星図を覗き込みながら、ため息まじりに言った。
「試されるって言葉、最近よく聞くけどさ……いったい何回あるんだろうね?」
「運命ってやつは、しつこいからな」
ゲルンが肩を竦めると、番人はわずかに微笑んだ。
「この迷宮の中には、“鍵の記憶”が封じられている。ただし、力ずくでは辿り着けぬ。必要なのは、“星と心を繋ぐ問い”だ」
「問い……?」
アリサが顔を上げると、番人は静かに語り出した。
「迷宮に入れば、そなたの過去と向き合うことになる。恐れ、後悔、罪、願い……そのすべてが幻となって現れるだろう。だが、それらをただ見るだけでは、意味はない。お前自身が“どの星を選ぶか”を問われるのだ」
アリサの喉が、小さく鳴った。
「星を……選ぶ……」
「そう。星は、お前を導くものではない。お前が“導こうとする意志”に応えて、初めてその力を灯すのだ」
彼の言葉は、まるで遥か遠い時代の祈りのようだった。
アリサは星図を見下ろした。 そこには、まだ描かれていない空白の部分があった。 もしかすると、それこそが“鍵の在処”を示す領域なのかもしれない。
「行こう」
彼女は迷いなく言った。
「その扉の先に、答えがあるなら、私は知りたい。“選ばれた”意味だけじゃなく、私自身が選ぶべき未来を」
ゲルンは頷き、シエルは笑った。
「そろそろ、星詠みの巫女の旅ってやつが、本当の意味で始まりそうだね」
アリサが扉に手をかけると、指先に微かな光が灯った。
それは、星図の中心から伸びる細い光の糸だった。
彼女の胸元で、鍵の幻影が静かに脈動する。
重く静かに、鋼の門が開かれる。 その先に広がっていたのは――
深い蒼と銀の迷宮。 星々の残響が反響する、時の檻。
一歩踏み出すと、まるで時空が歪むような感覚がアリサを包んだ。 光と影が交錯し、記憶と幻が溶け合っていく。
そして――
彼女の前に現れたのは、まだ幼かった自分の姿だった。
小さな手。怯えた瞳。星詠みとして選ばれる以前の、自分。
「……あなたは、だれ?」
その問いは、鏡のように反射して返ってくる。
“あなたこそ、わたし”
背後から聞こえた声に振り向くと、そこには、母の面影があった。 けれど、どこか違う。 その瞳には、静かで絶望的な諦めが滲んでいた。
「あなたは……母さん……?」
「わたしは、“見届けた者”よ。あなたの運命が始まった日から、すべてを見てきた者」
アリサの視界が揺れる。
「……あなたは幻なの? それとも――?」
「これは、お前自身が内に抱える記憶。恐れ、罪、そして希望。試されるのは、お前の“答え”だ」
彼女は、アリサに手を差し伸べた。
「答えてごらん。お前は、この鍵を何のために探している?」
アリサは震えながらも、その問いに向き合った。
「……私は、この世界の未来を知りたい。破滅の予兆ではなく、希望の兆しを。星が導く“救い”を信じたい」
「だが、救いは時に、誰かを犠牲にする」
「それでも、私は進む。誰かを救うためではなく、自分が信じる未来のために」
幼いアリサが、微笑んだ。
「それが、お前の“鍵”だよ」
その瞬間、星図の空白が、ゆっくりと光で満たされていく。
輝きの中心に、銀の光がふっと揺らぎ、 ――それは、“鍵の記憶”が形を取りかけたような、共鳴の幻だった。
「……これが、欠片……?」
手を伸ばすと、その光は星図の奥へと吸い込まれていく。
触れられるようで、触れられない。 だが確かに心の奥に、星の鼓動として刻まれた。
アリサが目を開けると、現実の光が差し込んでいた。
迷宮の幻影がほどけ、ゲルンとシエルが駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
「……うん。見えたの。たぶん、“最初の鍵の記憶”……」
アリサは、胸に手を当てた。 その奥で、星の共鳴がまだ微かに揺れていた。
「物語は、まだ始まったばかりだ」
空が高く、風が澄んでいた。
(第6話「月影の王と運命の裂け目」へ続く)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
“過去と向き合う”ことは、時に戦いよりも困難です。
けれどそれは、未来を選ぶための大切な通過点。
今回アリサは、星と自らの意志を結び、第一の“鍵の欠片”を見出しました。
仲間との絆もまた、迷宮の深部で静かに結び直されています。
次回、第6話「月影の王と運命の裂け目」では、物語が大きく動き出します。
過去に影を落とす“王の記憶”と、“本当の選択”が、アリサたちを待ち受けます。
無料公開は第6話まで――
ぜひ、次回話もお楽しみください。
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引き続き、星と月に導かれる旅を、どうぞ見届けてください。