第4話 「蒼き残響の城と古の声」
深まる霧の先、伝説に沈んだ“蒼き残響の城”がその姿を現します。
星図が導くその地には、過去と記憶、そして鍵の断片にまつわる秘密が――。
ついに三人の旅路は、「真実の扉」に手をかけます。
※前話までを読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。
本作は毎週木曜に更新予定です。
物語もいよいよ、星と月が交わる深層へ――どうぞ最後までお付き合いください。
朝靄がうっすらと立ちこめる中、三人は森の縁にたたずんでいた。
蒼い光が差す方角――そこに、伝承で語られる「蒼き残響の城」がある。
星図に記された導きに従い、アリサはそっと足を前へ出す。
「……ここから先は、誰も踏み入れたことがない領域だ。」
ゲルンが森の匂いを嗅ぎながらつぶやいた。
彼の背に背負った戦斧は、霧に濡れて鈍く光っている。
「そういうの、燃えるね。」
シエルは軽口を叩きながらも、指先にほのかな魔力を灯して周囲を警戒していた。
その笑顔の奥にある緊張を、アリサは感じ取っていた。
城は、森のさらに奥深く、岩肌を這うようにして建つ古の遺構。
かつて神々の祭殿として使われていたといわれるその城は、現在では「声を封じる墓」とも呼ばれている。
そしてそこには、星詠みの伝承に語られる「月光の鍵の断片」が眠るという。
「……星が示すなら、私たちが行くしかない。」
アリサは星図を握りしめ、霧の中へと一歩踏み出した。
風が木々を揺らし、霧の奥で何かがささやいたような気がした。
それは――懐かしい声。
けれど、それが誰のものなのか、彼女にはまだわからなかった。
* * *
城は、森を抜けた丘の先――
岩の断崖に、ひっそりと眠るように建っていた。
その姿は、まるで蒼い夢の残骸だった。
崩れた塔、苔に覆われた回廊、かつては栄えたであろう神殿の柱が、いまはただ風に晒されている。
だが、不思議とそこには「生」の気配があった。
静かに脈打つような、霧の中の蒼光。
呼吸するように微かに揺れる城の影は、どこかで誰かがまだ“待っている”ことを伝えているようだった。
「ここが……」
アリサは息を呑み、思わず星図を握る手に力が入った。
星の導きは確かに、この城を指している。だが、その光はいつもより淡く、不安定だった。
「妙だな……風が止んでる。」
ゲルンが低く唸り、斧に手をかけた。
その獣の感覚が、何か異質なものを感じ取っている。
「空気が……重い。音が吸い込まれていくみたいだ。」
シエルも火の精を呼び出そうとしたが、指先の火球はすぐに萎れて消えた。
「魔力の流れが、ここでは淀んでる。……この城、ただの廃墟じゃない。」
「……封じられているのね。声も、力も。」
アリサの囁きに、誰かの気配が答えるように、かすかに、耳の奥で何かが囁いた。
それは、歌のような――それでいて、祈りのような――記憶の音。
アリサはその声に導かれるように、ゆっくりと城の門へ歩み寄る。
門扉は半ば崩れ落ち、もはやその機能を果たしていない。
だが――彼女が足を踏み入れた瞬間。
胸の奥に、鋭い痛みが走った。
「っ……!」
崩れかけた石床の上、星詠みの加護がわずかに光を放つ。
星図が熱を帯び、淡い銀の文様が空中に浮かび上がる。
「……これは、記憶の残滓?」
アリサの意識が、ふっと引き寄せられる。
視界の端に、誰かの影が見えた。
金の髪をなびかせ、白い衣を纏った女性。
その目は閉じられ、唇は祈るように震えていた。
「――あれは、先代の……」
彼女は、星詠みの巫女だった。アリサの祖母の時代に、この地を訪れた者。
だが、その記憶は伝承に記されていない。星図にすら残されていない。
「なぜ、隠されたの……?」
ゲルンとシエルも、アリサを囲む文様に気づき、緊張を強める。
「アリサ、何が見えている?」
「……何かが……語りかけてくる。星でも、風でもない……“封じられた声”が……。」
彼女の額に、微かに汗が滲む。
次の瞬間。
――ようこそ、“選ばれし者”。
低く、けれど優しい声が、空気を震わせた。
アリサの目の前に、淡い蒼光が揺れる。
それは人の形をしていた。けれど、確かに「人」ではなかった。
その存在は、“この城の記憶そのもの”。
「この城には……何かが眠ってる。」
アリサの声に、城の奥から、風ともため息ともつかぬ音が響く。
「行こう。」
ゲルンが斧を構え、シエルが火の糸を指先に灯す。
「この城が“記憶の墓”なら、俺たちはその封を解く旅人だ。」
アリサはゆっくりと頷いた。
「封じられた声を、私たちの手で……もう一度、この世界に。」
そして三人は、古の静寂に包まれた回廊へと足を踏み入れた。
その先にあるのは――“真実”か、それとも“試練”か。
星の光は、いまも淡く、彼らを導いていた。
* * *
蒼い残響の城の内部は、想像以上に静かだった。
崩れた石壁には、時間の重みが重なり、どこか遠い夢の終わりを思わせる。
けれど、その静けさの奥に、確かな「何か」があった。
「……ここだけ、時間が止まってるみたい。」
アリサはそう呟きながら、苔むした床を踏みしめる。
空気は乾いているのに、湿った記憶の匂いがする。
まるで、誰かがここで永い眠りに就いているかのような、静謐と緊張が漂っていた。
「気をつけろ。さっきから、風の音がまったくしない。」
ゲルンが斧を背に回し、気配を探るように周囲を見渡す。
獣のように鋭い感覚が、この空間の「異常」を告げていた。
「妙だな……この建材。街の石造りとも違う。古代魔法の封刻が使われてる。」
シエルが壁の文様を指でなぞり、舌打ちする。
「魔法陣ってやつか?」
「そう。でもこれは“境界の輪”。時間と空間を閉じ込める術式。……この城自体が、何かを“内側に封じてる”構造になってる。」
アリサは胸元の星図に目を落とす。
そこに浮かぶ銀の文様が、まるで心臓のように微かに脈打っていた。
「この奥に……何かが眠ってる。」
彼女が一歩、闇に近づこうとしたその瞬間――
ザァ……ッ。
足元の石床が、淡く青く光った。
そして、まるでそれに反応するように、空間の奥から“声”が響いた。
――我を呼ぶは、誰なるか。
それは、声というにはあまりに深く、古い響きだった。
耳ではなく、骨の奥で聞こえるような――“存在そのもの”に問いかけるような声。
ゲルンが咄嗟にアリサの前に立ちふさがる。
「来るぞ……何かが!」
すると、城の中央――崩れた祭壇の上に、光の輪が現れた。
そこに立ち現れたのは、人影のような幻影。
だが、それは人ではなかった。
長くなびく外套、仮面のような白い面、
背後にたなびく光の翼のような残像。
その“声”は、どこか神のようで、どこか人のようだった。
――汝ら、“鍵”に選ばれし者か。
アリサは一歩踏み出し、両手で星図を掲げた。
「私は……星詠みの巫女、アリサ。星の導きに従い、ここへ辿り着きました。」
幻影はしばし沈黙し、やがて静かに言葉を紡ぐ。
――ならば、試練を受けよ。
――ここに眠るは、“古の声”
そして、幻影が腕を広げた瞬間、
空間が揺らぎ、光と影がうねるように世界を包んだ。
アリサたちは、まるで意識を吸い込まれるように、
別の“記憶の世界”へと引き込まれていく。
――そこは、過去だった。
まだ穏やかな時代。
星詠みの巫女が、月影団と手を取り合っていた時代。
「……これは……?」
目の前にいたのは、若き日の先代巫女と、ひとりの青年。
白銀の鎧を身に纏い、凛とした顔立ちの青年は、先代と手を取り合い、
互いの存在を信じ合っていた。
「月と星は、共に在るべきだ。過去を乗り越え、私たちが未来を築こう。」
彼の声は、確かにまっすぐだった。
だが――
次の瞬間、その光景が音を立てて崩れ始める。
月影団の裏切り、先代巫女の絶望、そして“鍵”が生まれた理由。
「これが……“始まり”なの……?」
アリサは膝をつき、胸を押さえる。
その記憶の痛みは、まるで自分の心を突き刺すようだった。
「アリサ!」
ゲルンの叫びが遠く聞こえる。
「君は……何も背負う必要はない!」
シエルの声が、彼女の肩に触れた瞬間、
アリサの内にあった“他人の記憶”が、静かに沈んでいった。
――ならば、汝は合格者。
幻影が消えゆく中、最後に微かに微笑んだように見えた。
――この地の声を、再び星へ託す。
いずれ、“月”が目を覚ます時のために。
そして空間は再び静けさに包まれ、
アリサの手元に、銀の光の粒がそっと降りてきた。
それは――鍵の欠片だった。
「……これが……」
星図の上で、鍵の欠片が静かに光を放つ。
「ひとつ、見つけたのね。」
アリサは涙をぬぐい、仲間たちの方を振り返った。
ゲルンは黙って頷き、シエルはニッと笑った。
「ようやく旅が“始まった”って感じだね。」
アリサは小さく笑い返し、鍵の欠片を胸に抱いた。
物語は、静かに、しかし確かに進み始めていた。
* * *
城の外に出た瞬間、三人を包んでいた重苦しい空気がふっと軽くなった。
まるで、あの城の中だけが“時”に取り残されていたかのようだった。
空にはすでに昼の気配が差し始め、
灰青色の雲の合間から、わずかに陽光が滲み出している。
「……変な感覚だったな。あれが“記憶の残響”ってやつか。」
ゲルンが低く唸り、手にした斧を肩に戻す。
「うん、あれは……ただの幻じゃなかった。
あの巫女と月影団の青年、本当に……互いを信じてた。」
アリサは星図を見つめたまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「でも、何かが起きて、すべてが壊れた……」
「たいてい、そういう時は“信じる力”より、“恐れ”の方が先に動くもんさ。」
シエルが空を見上げ、煙のように声を吐いた。
「人は過去を恐れ、未来を疑い、最後に“今ここ”さえ手放すことがある。」
彼の横顔には、どこか冷たく乾いた痛みがあった。
アリサはその表情を見て、言葉を探しかけ――やめた。
代わりに、そっと星図を閉じた。
「ありがとう、シエル。……私、もう迷わない。」
その声には、先ほどまでの揺らぎがなかった。
「ルキオのためでも、村のためでもない。“私自身”のために、この旅を続ける。」
ゲルンがアリサの言葉に頷き、大地を踏みしめるように一歩前に出た。
「それでいい。お前が選んだなら、俺は支える。それが“血の契約”の誓いだ。」「それが“自分の選択”ってやつなら、僕も口出しはしないよ。」
シエルは肩をすくめて笑うが、どこか優しさを滲ませたその声が、
この奇妙な三人の距離を、また一つ近づけた。
そのとき――
風が吹いた。
高く、澄んだ空から吹き下ろすような風。
どこか懐かしく、そして新しい風。
アリサの髪がなびき、胸の中で何かが確かに響いた。
「行こう、次の地へ。」
「次の鍵は……どこに?」
シエルが尋ねると、アリサは微笑み、星図を開いた。
「――“選ばれし者の記章”。そこに、次の欠片が眠ってる。」
「なんだいその、最終ダンジョンみたいな名前は。」
シエルが呆れたようにぼやくのに、ゲルンが静かに応じる。
「……最終でもなんでもない。これは、まだ旅の序章だ。」
アリサは星図を胸に抱えたまま、そっと言った。
「でもね。私は思うの。“はじまり”って、何度あってもいいんだって。」
「ふふ。名言かもね。」
シエルはくすりと笑い、ゲルンは短く息を吐いた。
三人の影が、また歩き始める。
かつては知らぬ者同士だった彼らは、
今、互いの“過去”を知り、“現在”を分かち合い、
そして“未来”をともに描こうとしていた。
それぞれに傷を持ち、それぞれに誓いを胸に抱きながら──旅は続く。
選ばれし者の記章へ。
そして、“月光の鍵”の真実へ。
星が導くかぎり、彼らは歩む。
決して、ひとりではなく。
* * *
旅路を再開した三人は、深い森を抜けて南へと進んでいた。
地図にも載らぬ古道を辿りながら、アリサは星図の導きを胸に歩みを進めていた。「この先に、“記章の間”と呼ばれる場所があるはず……」
アリサの言葉に、ゲルンが頷く。
「伝承では、遥か昔、選ばれし者たちが己の“証”を刻んだ場所。
そこには、“鍵”を継ぐに足る者かを見定める、古き精霊が眠っているとも言われている。」
「ふーん、精霊ねぇ。どうせまた面倒な試練が待ってるんだろ?」
シエルはため息まじりに言いながらも、どこか期待の光を宿した瞳で森の奥を見つめていた。
木々のざわめきが次第に静まり、空気が変わった。
まるで、森そのものが“何か”を黙って見守っているような、ひりつく沈黙。
やがて三人の前に、苔むした石造りの円環が姿を現す。
中心には円柱の台座があり、その上には、時を止めたかのように浮かぶ銀色の輪――それが「記章」だった。
アリサが一歩近づこうとしたとき、突然、空間が脈打つように震えた。
「……来る!」
ゲルンが斧を構え、シエルは火球を片手に構える。
台座の上に淡く光が集まり、一つの人影が形を取っていく。
それは――白銀の鎧に身を包んだ、顔のない戦士だった。
「我は“選定の記章”を守護するもの。星に導かれし者よ。汝の覚悟、魂に問う。」低く響く声が、頭の奥に直接語りかけてくる。
「なぜ、お前はこの旅を続けるのか?」
アリサは、一瞬だけ言葉を失った。
だがすぐに、胸の奥で確かに鳴っている想いを、真っ直ぐに言葉にした。
「私は……私自身の意志で歩きたい。誰かに決められた運命じゃなく、
この手で“鍵”の意味を知りたい。
そのために――星がくれた仲間とともに、前へ進みたい!」
その声が放たれた瞬間、台座の記章が微かに光を放ち、戦士の剣が動く。
試すように、静かに、アリサへ向けて――
だがその前に、ゲルンが立ちはだかった。
「巫女は、選ばれるだけの存在じゃない。自ら選び、歩み続ける者だ。
俺はそれを、この目で見てきた。」
「それに……」
シエルも火球を掲げて、にやりと笑う。
「僕は、彼女の光を“面白い”と思った。その感覚だけは、裏切れない。」
アリサは、二人の背中に言葉を失った。
ただ、胸が熱くなるのを感じていた。
そして次の瞬間、戦士の剣が止まり、静かに光となって消えた。
「……魂、受理。選ばれし者の証、ここに授ける。」
台座の上に浮かんでいた銀の輪が、そっとアリサの胸元へ舞い降りる。
星図の上に触れた瞬間、それは光の印となって溶け込み、中心に刻印を遺した。
「……これが、“記章”。」
アリサはそっと手を当て、胸の奥で震える鼓動を感じた。
世界は今、静かに揺れている。
それは、ひとりの少女が「選ばれる存在」から、
「選び、導く存在」へと変わっていく音だった。
三人は、再び歩き出す。
その背に、古き精霊の祈りと、星々の光を背負いながら――
(第5話『封印都市ルメアと星霜の扉』へ続く)
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
星が示した“蒼き残響の城”には、誰かの祈りが封じられていました。
忘れられた都市、時の止まった記憶、古の声。
その一つひとつに触れるたび、アリサたちの旅は、ただの“鍵探し”ではなくなっていきます。
次回――
8月7日更新予定の第5話「封印都市ルメアと星霜の扉」では、
かつてこの地で命を賭した者たちの“記憶”が、アリサに試練を与えます。
鍵は、ただ“開ける”ためにあるのではない。
開けた先に、何を選ぶか――そこに本当の答えが宿るのかもしれません。
どうかまた、あなたの時間を少しだけ、この物語に預けていただけたら嬉しいです。