第1話「星の囁きと月光の予兆」
はじめまして、S.Brownです。
『月光の鍵』は、星読みの巫女アリサと、彼女を取り巻く仲間たちの、選択と代償の物語です。
少し不器用で、けれどまっすぐな彼女の旅路を、そっと見守っていただけたら嬉しいです。
物語は、静かな夜の祈りから始まります――。
夜風が湖面をなでる音が、アリサの耳に柔らかく届いてくる。 空は深い群青に染まり、そこに無数の星が針のように鋭く瞬いていた。
アリサは村外れの丘に佇み、両の手を胸の前に合わせる。 月光に銀髪が優しく照らされ、薄衣の裾が揺れたとき、彼女の姿はまるで夜空の巫女のようだった。
「永遠の夜に瞬く、無垢の灯。
あなたが抱く未来の記憶を、この身に降らせてーー
いま、我に運命の導きあらん。」
静かに瞳を閉じると、胸の奥に熱が宿る。
星の声が微かに響き、そのさざめきが脳裏に光の文様を描いた。
やがて視界に現れたのは、月光をまとった一振りの銀の鍵。
ぼんやりとした輪郭の中で、鍵は脈を打つように輝き、何かを呼びかけている。
――月光の鍵。 その名が無言のうちに心に突き刺さり、身体が小さく震えた。
* * *
アリサが生まれ育ったリセル村は、森と湖に抱かれた静かな集落だった。
昼間は湖面が太陽の光を反射して宝石のようにきらめき、夜には月と星が村を守るように降り注ぐ。
アリサの家は崖の上に立つ古い石造りの館。 彼女の一族は「星詠みの家系」として知られ、代々、星の声を読み解く役目を受け継いできた。
今夜、アリサは村の祭壇で年に一度の「星降りの儀」を終えたばかりだった。
揺れる松明の炎に照らされたアリサの表情は、どこか遠い場所を見つめていた。
「アリサよ、星は何を告げた?」 村長ソルヴァの低い声が響く。
「……銀の鍵が見えました。月光に包まれ、扉を開こうとしていました。」
ソルヴァの顔が一気に険しくなる。
「やはり……。伝承は真実であったか。」
アリサは小さく首を傾げた。 「伝承……?」
ソルヴァは杖を地面に突き、声を低くした。
「星は語る。 月光の鍵は、扉を開く唯一の鍵なり。 扉の向こうには『創星の根源』と呼ばれる原初の力が眠っておる。 それを手にした者は、世界の理を改変し、命さえも作り変えることができる。
だが、それは欲望と犠牲の代償の上に成り立つ。
だからこそ、星詠みの血族は鍵を守り、真に選ばれし者を導く使命を負うのだ。」
その言葉は、アリサの胸の奥に鋭く突き刺さった。
「私が……その鍵を探さねばならないのですか?」
「お前にはその資格がある。そして、お前だけが星の声を正しく聞ける。」
ソルヴァは月を仰ぎ、老いた瞳を細めた。
「月影団――奴らは鍵を奪い、理を超えた偽りの楽園を作ろうとしている。 お前が立ち上がらねば、この村も、世界も滅びる。」
アリサはぎゅっと両手を握りしめ、胸に熱いものが込み上げた。
* * *
アリサは自室に戻り、星図を前に座り込んだ。 古びた紙の上には、無数の交錯する線と星の印が描かれている。
「私が……世界の理を守るために……」
これまでの生活は静かで、村を癒やす言葉を与えるだけだった。
だが、その裏にこれほど大きな使命が隠されていたとは夢にも思わなかった。
「私一人で、本当にできるの……?」
恐れと覚悟が胸の中でせめぎ合い、息が詰まる。
そのとき、扉をノックする音がした。
「入ってもいいか?」
銀鎧をまとった青年――ルキオだった。 彼は村を守る夜警の任務を果たすため、帝都から来た騎士見習いだ。
「ルキオ……どうして?」
「お前の様子が気になった。村の者に頼んで、夜警を代わってもらった。」
ルキオはそっとアリサに近づき、机の上の星図を一瞥する。
「星の声は、そんなに厳しいのか?」
アリサは小さく頷いた。
「私は、世界を守るために鍵を探さなくてはならない。 でも……怖いの。」
ルキオは無言で彼女の前に座り、そっと手を取った。
「怖くて当たり前だ。お前は一人で背負いすぎる。」
アリサは瞳を伏せ、震える唇で絞り出す。
「でも、星は私を呼んでいる。 私だけにしかできないって……わかってるの。」
ルキオは軽く笑い、柔らかく息を吐いた。
「なら、俺が剣となり、盾となろう。 星が何を告げようと、お前を守る。それだけは約束する。」
彼の言葉に、アリサの胸の奥に温かい光がともる。
孤独という重い影の奥に、微かな、けれど確かな温もりが差し込んだ瞬間だった。
* * *
その夜遅く、アリサは再び星図に向き合っていた。 深く息を吐き、瞳を閉じる。
星々がさらに鮮やかに輝き、頭上の月はまるで巨大な瞳のように彼女を見下ろす。
『月光に鍵あり。 創星の根源は選ばれし者を待つ。 願いを叶えしとき、世界は救いか滅びか――』
アリサの意識は白い光の渦に呑み込まれた。
見えたのは銀色の鍵、その先に広がる黒曜石の扉。
その扉の向こうには光と影が混じり合い、絶え間なくうごめく影たちの悲鳴が響く。
「……やめて……!」
両手を伸ばすが、目の前の鍵は遠ざかる。
銀の鎖がアリサの腕に絡みつくと、彼女をどこかへと引き込もうとした。
「私に……選べというの……?」
自問する彼女の視界に、突然強い光が差し込んだ。
「アリサ!」
ルキオの声が現実に引き戻す。
彼はアリサの肩を強く揺さぶり、その瞳には必死の光が宿っていた。
「お前は一人じゃない!」
アリサは大きく息を吸い、瞳を見開いた。
アリサはゆっくりと立ち上がり、ルキオの手を握り返した。
その小さな手は、震えながらも確かな決意に満ちていた。
「行くわ。星が呼ぶなら、私が応えなくちゃ。」
ルキオは笑みを浮かべ、剣の柄に手を添えた。
「なら、俺が共に行こう。星の巫女よ、覚悟を決めろ。」
アリサの胸には熱い火が灯った。
恐怖を超えるほどの使命感――それは「世界の未来」を背負う覚悟。
二人が見つめ合うその瞬間、村の門の見張り台に影が揺れた。
かすかに映ったのは、月影団の紋章――白い朧月が刺繍された黒い布。
「……もう、来ているの?」
ルキオの瞳に鋭い光が走る。
アリサの脳裏には、星図に描かれた道筋と、彼女を待つ無数の影が重なった。
星は語る。
月は見守る。
そして、その先に待つ選択――扉を開くのか、それとも閉じるのか。
旅の始まりは、静かで、しかし決して戻れない夜明けを告げていた。
(第2話『血の契約と獣の影』へ続く)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
第1話は、アリサが“選ばれし者”としての運命と向き合う序章です。
明日、第2話『血の契約と獣の影』を投稿予定です。続けて読んでいただけたら嬉しいです。
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