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5応えたくて、踏み出した先で

初めて“死んだ”あの日から、あゆみは少しだけ冒険に慎重になっていた。


それは臆病になったわけではない。

ただ、“死ぬ”という出来事が、どれだけ心と体に爪痕を残すかを知ったからだ。


そして同時に、《再生の燈火》が本当に“命を戻す”ものだと実感もした。

あの一撃で自分の命は確実に潰えた。

けれど、あの炎がそれを繋ぎとめた。


少なくともこの世界では、自分にはまだ“余裕”があるのかもしれない。



そう思いながらも、あゆみの足取りは慎重だった。

以前のように、どんな階層にも迷わず飛び込むようなことはしない。

危険を事前に察知し、魔石や装備で対処しながら、少しずつ、深く潜っていく。


その様子を見て、ギルドの職員たちは「マダニ様も慎重さが身についた」と、半ば安心したように笑った。



そんな折、街に一つの話題が持ち上がる。




――“新たなダンジョンの発見”――



街から北へ進んだ先、魔力濃度の高い深い森の奥。

古びた神殿のような入り口が突如現れたのだという。


ギルドの調査によれば、どうやらこのダンジョンは“新しく生まれた”ものではないようだ。

長い年月を経て、木々と苔に覆われ、人々の記憶から忘れ去られた“古いダンジョン”――


そして、その構造もまた、通常のダンジョンとは違い、まるで“何かを守るように”閉ざされていた。



「古いダンジョンほど、魔力が濃く、深くなる。過去の探索記録から見ても……下層には相当なレアアイテムがある可能性が高い」



そんな噂がギルド内を駆け巡り、冒険者たちは次々とその森へ向かい始めた。



浅い層ではすでに、いくつかのパーティが探索に成功し、装備や素材を手にして帰還していた。



街は活気づき、商人たちは装備の強化を始め、ギルドも本格的な攻略に向けて準備を進めている。


そしてあゆみに、再び注目が集まった。



「マダニ様なら、深層まで踏破できるのでは?」


「《再生の燈火》があるなら、きっと何か見つけてきてくれるはず」


「また、あの人が何かとんでもないお宝を持ち帰ってくれるんじゃないか」



冒険者たちのささやき。

ギルド職員の視線。

街の人々の期待。



そのどれもが、あゆみの背に静かに積もっていく。

否定したくはなかった。

彼らが、自分を認めてくれていることは嬉しかった。


だから、あゆみは静かに頷いた。

逃げる理由が、もうなかった。



ダンジョンへ向かう日の朝。

あゆみがギルドを訪れると、出入り口近くで見覚えのある背中が目に入った。



整えられた金色の髪、軽装の冒険者用装備。

無駄のない動きと、自然に人を安心させる空気――



「……アレンさん」



小さく名前を呼ぶと、彼はすぐに振り返った。

見覚えのある青い瞳が、柔らかくあゆみを捉える。



「おや、マダニ様。お久しぶりですね」



相変わらずの丁寧な口調。

でもその声は、どこかほっとしたようだった。

あゆみは一歩近づき、わずかに視線をそらしながら問う。



「……今日は、ギルドの仕事ですか?」



「はい。新ダンジョンの対応で人手が足りず、しばらく現場にも出ています。そちらは、探索のために?」



あゆみは小さく頷いた。



「はい。例のダンジョンの、浅層の探索はもう済んでるみたいなので……今日は、少し奥まで」



そう答えると、アレンはしばしあゆみを見つめた。

表情に、ほんのわずかな迷いの影が落ちる。



「……慎重に行ってください。あなたの力を疑っているわけじゃない。ただ――」



そこで言葉を切ると、彼はふっと目を細めた。



「……ある時から元気がなくなったように思えて。少し……気になっていました」



あゆみの胸が、わずかに軋んだ。

“ある時”――それは、初めて死んだ日のこと。



ダンジョンの帰り道で、フレアとすれ違ったときに言われた「酷い顔をしているよ」という言葉。

震える声で「大丈夫」と言った自分。

あの夜の、心の底に残る冷たさ。



「……ありがとうございます、大丈夫です。あれからは……気をつけてるから」



自分でもわかるほど、声が固い。

でもアレンは、それ以上は何も言わず、ただ優しく微笑んだ。



「それなら、よかった。――いってらっしゃい、マダニ様」



その言葉に、あゆみは黙って頷く。

そして背を向け、ギルドの門を出た。



背後に残ったぬくもりのような気配が、ほんの一瞬、心にしみ込んだ。

けれどそれは、すぐに霧のように溶けていく。



《再生の燈火》の入ったカバンが重い。

この先にあるのは、未知のダンジョンの深い階層。

誰も知らない、未知の領域。



あゆみは剣の柄に手を添え、足を進めた。



古の森の奥、たどり着いた新たなダンジョン。

だがその実、ギルドの記録によれば遥か昔から存在していたはずの、長く人の目から隠されていた迷宮だった。



発見から数日、街は活気づき、ギルドの情報掲示板には新ダンジョンの地図が増えていく。



浅層は既にいくつかのパーティが探索を終え、貴重な素材や中級クラスのアイテムも出てきたと話題になっていた。


そして――マダニ、間谷あゆみは、誰も踏み入れていない階層へと進んでいた。


灯りのない薄暗い回廊。

石造りの床にはびっしりと苔が生え、天井には無数の根が張っている。


嫌な、湿った空気。

ぞわりと肌を撫でるような不快な風。

この階層から先は、確実に“何かが違う”。



「……これは、まずいかも」



呟いた直後、背後から響く低い唸り声。

振り返れば、獣のような四肢、蠢く尾。



目の前に現れたのは、今まで見たこともない異形の魔物。

狼に似ていながら、瞳は六つ。唾液を垂らしながら牙を鳴らしている。



「……来る!」



あゆみは魔石を投げ、即座に麻痺効果を狙う。

が、魔物は避けた。

その背後からさらに2体。追いつかれる。


構えた剣で応戦するが、さすがに数が多い。踏み込むたびに罠が作動し、壁から刃が飛び出し、足元が崩れる。


傷を負いながら、かろうじて逃げ込んだ先。

そこは――魔物の気配が一切しない、不自然なほど静かな小部屋だった。



「は……はぁっ……助かった……?」



乱れる呼吸を抑えながら、あゆみは壁際に背を預けて座り込んだ。



この部屋には魔物が入ってこられない。おそらく、結界か何かで守られているのだろう。

ダンジョンに点在する安全な空間。その一つだった。



けれど、安堵した直後に気づいた。

背中のカバンに揺れる《再生の燈火》のランタン。



「……あ、なんで、これ……?」



血の気が引いた。

慣れないダンジョンでうっかりしていた。

普段は必ず出入り口に設置し、起動していたのに。


もしさっき、魔物に殺されていたら?

この燈火がなければ、もう二度と目を覚ますことはなかった。

足が震え、手が冷たくなっていく。



ギリギリのところで生き延びた。

けれどそれは、《幸運》だったのか、《不運》の結果だったのか。



「……ここで……起動、しよう」



震える指で燈火を床に置き、起動の魔力を込める。

炎の色がふっと変わり、小さな燈火が静かに部屋の空間を染める。



再び立ち上がり、部屋を出た瞬間――あゆみは違和感に眉をひそめた。



「……通路の、形が……違う?」



さっき逃げてきた時と、壁の模様が違う。

曲がり角の位置も、床に刻まれていた罠の痕跡も――すべてが“変わっていた”。



ダンジョンの中には、ごく稀に「構造が動く」ものがあるとは聞いていた。



迷宮自体が生き物のように形を変え、探索者を惑わせるのだと。

あゆみは、その現象を、今まさに目の当たりにしていた。



「……ここ、そういう階層なんだ」



背筋を冷たいものが這う。

構造が変わり、地図も通用せず、罠の位置も不確か。


そしてその矢先――カチッという小さな音が、足元で響いた。


「しまった、罠!」



光る魔法陣。

空間が一瞬揺れ、あちこちの壁が開き、魔物が這い出してくる。



「ちょっ……!?」



その姿は先ほどの異形の狼ではない。

より大きく、目は八つに増え、黒く濁った魔力の瘴気をまとっていた。



剣を振るう。

魔石を投げる。

魔法のカバンからアイテムを取り出しても、次々と押し寄せる牙と爪に押し負けていく。



そして、深く、鋭い痛みが胸を貫いた。



「あ……」



視界が、反転する。

天井が遠ざかり、体が地に崩れる。

意識が闇に飲み込まれる瞬間――



……ふっと、呼吸が戻った。



見覚えのある、あの部屋。

《再生の燈火》が灯る、安全な場所。



「――ッ!」



息を吸い込んで、あゆみは咳き込むように体を起こした。

心臓がまだ、何かに握り潰されているように痛い。


だが、間違いない。

死んだのだ。さっき。



そして、蘇った。あの燈火のおかげで。



「……良かった……戻れた……」



安堵と恐怖がないまぜになって、胸が苦しくなる。

けれど――



部屋を出て、再び進む。構造はまた変わっていた。

帰り道がない。目印も通じない。

そして再び、魔物の群れ。罠。



あゆみは、また死んだ。

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