4橙の光のあとで
ダンジョンからの帰路、あゆみはいつものように冒険者ギルドへと足を運んでいた。
道中、心の奥に小さな高揚感があった。
見つけた隠し部屋の内容が、あまりにも――濃かったのだ。
隠し部屋の発見自体は、実を言えば今回が初めてではない。
だが、これほどまでに貴重な品が眠っていたのは初めてだった。
通常の中層ダンジョンではまず見かけないような魔具や素材。
金属の質も、魔力の密度も、格が違った。
発見された部屋は後に、ギルドによって“安全な休息地”として再調査され、地図が書き換えられることになる。
それほどまでに、この発見は“成果”として価値があった。
ギルドに到着すると、いつものように素材やアイテムの買い取り窓口へ向かう。
あゆみはこれまでにも、拾った戦利品のほとんどをギルドに売却していた。
――別に、義理立てしていたわけじゃない。
交渉できる商人もいなければ、他に売り先を持っているわけでもない。
ただ、ギルドが買ってくれるなら、それで十分だった。
それが少しでもギルドの利益になるのなら。時には、相場よりも少し安く引き渡すことさえあった。
――だからこそ、ギルドの職員たちは自然と彼女に親切だった。
あゆみにとって、それはちょっとした“信頼の証”のようにも感じられた。
以前、彼女がダンジョンで発見した希少な“鑑定補助アイテム”も、扱いきれないと判断してギルドに譲っていた。
そのアイテムのおかげで、ギルドの鑑定部門の精度と速度は格段に向上。
いまでは、あゆみの持ち帰る珍品も確実に鑑定される。
そしてその日もまた、顔なじみの鑑定師の前に、あゆみは布に包んだ収穫を一つずつ並べていった。
「ふむ……これはまた、珍しい品々を」
いつも通り淡々とした口調だが、手元を走る指先の動きに緊張がある。
そして、あゆみが一番気になっていた、小さなランタン。
あの、静かに揺れる灯火を宿した不思議な魔道具が、彼の手に渡る。
「見たことのない構造ですね……少々お時間をいただきます」
そう言うと、鑑定師は魔術式を静かに起動させる。
ランタンの表面に指を滑らせるように魔力を流し込み、浮かび上がる魔法陣をじっと覗き込む。
長年の経験が、その目に何かを映し出したのだろう。
彼はゆっくりと顔を上げ、静かに告げた。
「……これは、非常に珍しい代物です。『再生の燈火』――そう呼ばれているようですね」
「再生……?」
「ええ。ダンジョン内において、設置者が死亡した場合……この燈火を設置した場所で蘇生し、探索を再開できると記録されています」
「……っ、それって、本当に……?」
声を上げそうになるのを抑え、あゆみは言葉を噛みしめる。
鑑定師は頷いたまま、さらに続ける。
「ただし条件があります。効果があるのは“ダンジョンの内部”に限られる。また、設置者がダンジョンから出れば、設置した燈火の効果も消滅します」
「それって……回数制限とかは……?」
「確認できる範囲では、制限は記されていません。ですが詳細は不明です。慎重に使用されることをお勧めしますよ、マダニ様」
「……なら、入口近くに毎回設置すれば……」
あゆみはそう呟き、手の中のランタンを見つめた。
金属の骨組みの奥で、燈火は静かに揺れていた。
生きているように。
それが、自分の“保険”となる。
そう思うだけで、足取りはずっと軽くなった。
それからの日々、彼女はダンジョンへと潜るたび、必ずその燈火を入り口近くに設置した。
《再生の燈火》と《幸運》スキル。
二つが噛み合った時、彼女の冒険者人生は一気に跳ね上がる。
深層へと挑み、希少な素材を得る。
魔物の群れすら独力で切り抜け、宝箱からは上位階層にしか存在しない品を引き当てた。
その活躍は、もはや噂ではなく、“事実”としてギルド中に広まっていった。
「マダニ様、また深層に……」
「ひとりで? 信じられない……でも本当に、あの人ならやりかねない」
冒険者たちの視線を背に、あゆみは淡々と報告書を提出し、また次の探索に備える。
自信はあった。
だが、それは“自覚のない慢心”でもあった。
その日も、燈火を設置し、深く潜っていく。
ダンジョンの雰囲気は、何かがざわついていた。
空気が妙に重く、冷たい。
いつもと同じだ。
そう思い込もうとした。
だが、目の前に現れた魔物は、これまでとは違っていた。
それは黒く、鋭い刃のような毛並みを持つ異形の狼。
魔石に封じられた麻痺魔法を投げても、まるで無視するように突進してくる。
(速い――!)
あゆみは身を捻り、剣を抜く。
だが一瞬、足元の段差に躓いた。
剣が空を切り、体がバランスを崩す。
次の瞬間世界が、真っ赤に染まった。
腹部に、焼けるような痛み。
見下ろせば、狼の牙が自分の肉を抉っていた。
「――――あ」
声にならなかった。
手が、剣を落とした。
視界が揺れる。足が震える。
魔物が咆哮を上げたとき、あゆみの意識はふっと闇へと沈んだ。
……だが、その闇の奥で。
微かに、燈火が揺れた。
ぱち、ぱち、と音がした。
眼を開けると、そこはダンジョンの入り口付近。
ほんのりと揺れる、橙色の光に包まれた場所。
あゆみの体は、傷一つなくそこに横たわっていた。
「……生きてる……?」
手を、指を、胸を確かめる。
夢ではなかった。
確かに一度、“死んだ”のだ。
息が、震えた。喉の奥がざらついた。
胸の内に、黒い冷気のような恐怖が染みこんでくる。
そして同時に、もう一つの感情が浮かぶ。
《再生の燈火》――それが、自分を救った。
戻ってきたのだ。確かに。蘇ったのだ。
ダンジョンの出口をくぐった瞬間、あゆみは光に目を細めた。
生暖かい風が頬を撫でる。
だが、皮膚の下にはまだ、あの“死の感触”が残っていた。
抉られた腹の痛み。
地に崩れた感覚。
蘇生されたはずの身体はもう傷一つないのに、どこか、体がきしんでいる気がする。
足取りは重く、胸の奥がずっと冷たいままだった。
《再生の燈火》は確かに自分を蘇らせた。
でも「自分が死んだ」という事実だけは、何度体を拭っても消えなかった。
だから、ギルドに寄るのも億劫に感じた。
今日だけは報告を明日に回してもいいかもしれない――そんな甘えた思考が頭をよぎる。
その時だった。
「……あんた、大丈夫?」
顔を上げると、道の向こうに立っていたのはフレアだった。
冒険帰りのような軽装のまま、すこし驚いたように目を細めている。
「顔色、ひどいよ。血の気、全然ない」
気づけば、自分の両手が震えていた。
その声が妙に現実感を持って届いてきて、あゆみは思わず唇を噛む。
「……うん。大丈夫。ちょっと、疲れただけ」
かすれた声だった。
でも、それが精一杯だった。
本当は、足元もふらついていた。
あの狼の牙が、まだ心臓に刺さっているような気すらしていた。
フレアは一歩、近づく。
そして、真っ直ぐにあゆみを見つめた。
「……本当に?」
問いかけは、やさしい声だった。
嘲りも、疑いもない。
ただ、心からの心配の色。
あゆみは、うまく言葉を返せなかった。
けれど、視線を逸らしながら、首だけを小さく縦に振る。
それでフレアは、ふっと溜め息をついてから言った。
「じゃあ、今日はもう早く帰りな。ご飯食べてゆっくり寝て、また元気な顔見せて」
その一言に、あゆみの喉の奥がぎゅっと締めつけられた。
声を出したら、泣いてしまいそうだった。
「……うん。ありがとう」
そう言うのがやっとだった。
振り返ると、フレアは背を向けて歩き出していた。
あゆみもまた、ゆっくりと足を引きずるようにして、自分の部屋へと戻っていく。