一話④ 日常の終わり。というか変わり
「あれ、君は今朝の……あれ、そー言えば、名前聞いてなかったね!ま、先にこの子を片付けてからで!」
彼女はそう言うと、眞弓とチコの間に割って入った。そして、スカートのポケットの中から拳一握り大のスタンガンのようなものを取り出した。
なんだ、これは。
今朝会った天真爛漫な少女が、クラスメイトの少女に襲われている僕を助けるために、一般社会で到底見れることが無さそうな機械で対抗している。
彼女は、機械をチコの首と思われるところにかざした。その瞬間、空間を埋めていた0と1は、じわじわと元の世界を表現し始めた。
最終的にそれはスタンガンとは違って、音もなくチコを元の姿に戻した。
「うーん、なんか変だね。ウイルスがあったわけでもなくバグっちゃったんだ。これは多分劣化かなー…」
美優は腕の中のチコを見ながらボソボソと呟いていた。
「こ、これは…一体…」
「私はね、こういう異常を修正する役目を背負った演者なんだ。安心して、すぐに彼女は元通りになるから。異常は日常の様々なところで起きてるの。その度に美優とか近くの“再修正”が出張って治してるからみんな気付いてないんだけどねぇ」
彼女は椅子に元の姿に戻ったチコを座らせながら話した。まるでそれが彼女の日常であるかのような振る舞いだ。
それが僕はひどく受け入れられなかった。
「ど、どういうこと?」
「心配しなくていいよ」
彼女は優しい声で言った。
その優しさが怖かった。
気づけば僕は図書室を飛び出していた。後ろから聞こえる制止の声を振り切りながら、無我夢中で廊下を走り、階段を下った。
(なんなんだこれは!なんなんだこれは!なんなんだ!これは!)
そんな眞弓の頭は、何者かによって鷲掴みにされた。
「ちょ…な、なに!?」
「困るんスけど、虹崎さん。なぁーんで逃がしちゃうんですかねぇ?尻ぬぐいするこっちの身にもなってほしいんスけど」
「ごめんごめん!獅子谷ちゃん。でも獅子谷ちゃんがいるから、信頼して見逃した、的な?」
「元から虹崎さん一人で完結させてくださいよ…」
誰か、女性が美優と話す声が聞こえる。パニックが起こっているはずの脳内では、あの子は虹崎美優という名前なのか、なんていう思考が巡った。
ここからどう打開できるのか、僕は考えてみようとしたが、その思考は不幸にも巡らなかった。
ただ僕は僕の顔を掴んでいるらしい獅子谷という人物の腕を掴んでもがくことくらいしかできなかった。
「あーあー、暴れない。大丈夫、君はすぐにいつも通りの日常が送れるようになるから。ちょいとばかし記憶をいじくっちゃうだけー」
その美優の一言で僕はさらに抵抗をするが、獅子谷の腕はびくとも動かない。
これはもう、ダメだな。
「あー、もう、諦めた。好きにすればいい。僕の記憶なんて好きにいじくればいい」
「お、諦めの良い子は好きっスよ。じゃ、虹崎さんやっちゃってください」
その瞬間、僕は獅子谷の腕を振り払った。彼女が油断する一瞬を突いた、僕の策だった。そのまま僕は階段を降り、昇降口を目指して駆けた。
「あ、くそ!諦めの悪い子は嫌いっスよ!」
「知るか!僕は僕の記憶を消そうとしてくる奴らの事なんて絶対に好きになれないだろうね!」
「口答えしないで!大人しくお縄に着きなさい!」
どちらかというと僕を追いかけるあの二人の方が犯罪者めいたことをしている。記憶を消そうと、無害な一般人を追い掛け回しているのだから。
その瞬間―――
「あっ」
何かに衝突した感覚がして、ここで僕の視界は急に切り替わった。
☆☆☆
「…ん、あれ?」
いつの間にか、僕は図書室の中にいた。
ここまでどうして来たのか記憶を辿ってみると、たしか借りていた本を返すためだったような、他に何か理由があったような、ぼんやりとしたものが浮かんできた。
だがしかし、手元に僕が借りていた本は無かった。すでに返したのだろう。
なんだか記憶が安定しない。果たして僕は記憶喪失にでも陥ったのだろうか。頭を押さえながら考える。
図書室には眞弓のほかに誰もいなかった。放課後に図書室になんか来る物好きは僕だけしかいないという現実があまり受け止められないが、特に用事もないので、僕はとっとと家に帰る事にした。
眞弓の去った図書室で、彼女たちは本棚の隙間から姿を現した。
「いやぁーまったく、ちょっとひやひやしたっスね。それもこれも、虹崎さんがテキトーだからっスけど」
「えー、でも、終わりよければすべて良しってよく言うじゃんね!」
獅子谷は虹崎の物言いにため息を吐いた。
「いやでも、あのー眞弓って子?あの子結構面倒くさそうでしたよ。“敵”にまわったら厄介極まりない…」
「あのね」虹崎は獅子谷の台詞を遮った「あの子はただの一般社会の演者だから、そんな失礼な事言っちゃだめだよっ」
虹崎のその台詞に、獅子谷は「はいはい、分かりましたよ」とくたびれた様子で返した。
「でもまー正直、あの子はなんというか奇妙でしたよ。あたし達から逃げるとき、あの子笑ってたっスもん」
獅子谷は虹崎に聞こえるか微妙な声量で呟き、図書室から出て行った。
虹崎は、夕陽の差し込む窓際に寄り、外を見た。丁度校舎から眞弓が出てきたところだった。
「大丈夫。心配いらない。美優が演者達を守るからねっ」
眞弓の背中を見ながら、虹崎は呟いた。




