二人の記憶
カチカチカチカチカチカチカチカチ………
「ゲームはたのしい?」
ふと、後ろから声を掛けられた。ぼくはその方を向かずに、ただ淡々と、光を放つ液晶を見つめながら答える。
「うん、たのしい、とても」
「そう、それならよかった」
彼女は言いながら、ぼくの横に並ぶように腰を下ろし、その膝を抱えた。
その空間には壁が無かった。果てしない、果てしない広さを誇るその空間。しかしぼくは、テレビの置かれたその場所からずっと動いていなかった。今は、そこ以外にぼくがいるべき場所は無いからだ。あるいは、これからも、ぼくのいるべき場所はそこだけなのかもしれないけれど。
その空間にはぼくと彼女と、テレビとゲームしかなかった。でもそれだけで、ぼくは十分だった。
広いその空間では、あらゆる音が反響する。ぼくの声は、そこまで大きくないのだけど、しかしその空間にいる者の耳には絶対に届く。
「……ゲーム性がさ、」
「うん?」
言いかけると、彼女は首を傾げた。果たしてこれは言っていいことなのか、さっぱり分からないから。でも、
「もう、ぼく飽きたよ。」
「……え。」
彼女の顔は見れなかった。でもその声は、あまりにどういう反応をしているのかが明白で、ぼくは無性に謝りたくなった。なのでぼくは、彼女の方も見ずに、寧ろ目を逸らしながら言う。
「あ、あの、ごめ―――」
「……うん、仕方ないよね。」
ぼくの言葉を遮って、彼女はぼくの持つコントローラーを奪い取った。
「今時、学園異能バトルモノは流行らないよね。ストーリーもさして面白くないし。一回全クリしちゃったら、また同じストーリーを繰り返すだけだし。」
「あ、い、いや、やる。やるよ。ぼく、このままのストーリーでも、十分楽しいって…」
言って、彼女の手の中にあるコントローラーを奪い返そうとした。しかし、彼女は伸ばされたぼくの手を振り払う。
「いやいやさ、君が楽しくないって、飽きたってちょっとでも思ったら、私は何とかしないといけないの。それが私の役目だから。」
言って、彼女は引き続き、コントローラーを使って何かしらの操作をする。ゲーム内のキャラクターの操作を行っていたデバイスなのに、同時にゲーム自体のデータを操作できるなんて、とんだ便利な機械だ。
「でね、ストーリーの変更なんだけどさ、やっぱり感動できるハートフルなものの方がいいよね、変えるなら。だからさ、ちょっと前に見つけた恋愛ゲームの内部データをこのゲームにそのままぶち込んでやろうかなって。」
「え、そんなことして大丈夫なの?なにか、バグとか起きたりしたら……」
聞いても彼女は手を止めない。
「うーん……でもさ、わざわざ今バグの修正なんかやってたら、馬鹿みたいな時間がかかっちゃう。きっと君は退屈しちゃうじゃん。だから、デバッガーを登場人物に入れる方が良い。」
「ゲームの登場人物に?それってなんか、色々破綻しそうだよ。前のままでよかったよ。全然、ぼくは気にしないって……」
なんだか不安になってくる。ぼくはあんまり彼女の事を信頼しているわけではないから、彼女がゲームをぶち壊してしまうかもしれないと疑ってしまう。
「ゲームはさ………いや、ゲームに限らず、いろんなこの世の創作物って、常に新しくないといけないんだよ。革新的で、先進的な、世界の至る所に敷かれた道を、また一つ開拓していくものでなければ、この世に生まれる価値なんて無いんだ。」
彼女は言う。平然と。コントローラーを操作しながら。ぼくは、彼女のその意見を、あまり肯定したくはなかった。だけれどはっきり明白に、否定しようなんて勇気が僕の中にあるかどうかなんてことは、議論の余地のないことだった。
「それは……それはさ、普遍で不変な存在が、存在しちゃいけないってこと?」
「そうだよ。絶対に居ちゃいけない。一度生まれたんだったら、他人の拓いた道をただひたすらに歩くんじゃなくて、自分の未知を見つけるべきだ。」
言い切る。そして、彼女はコントローラーを置いた。テレビの画面はプレイ途中のまま止まっている。あの全能的な主人公の視点の、ポーズ画面で。
「あのゲームの敵達は、一旦全部一掃したよ。一匹残らず、全てね。でもだけど、いずれまた出てきてしまうことを忘れないでね。バグがどんどん増えていけば、デバッガーでも対応できなくなる。バグが積み重なれば、予測できない挙動を生み出す。」
「え、じゃあダメじゃない…?」
彼女を見上げる。彼女はぼくを見ていた。とても、とても優しい眼差しで。
「この世界は全く新しい世界ではないから。二つの世界を掛け合わせて新しくしてるだけだから。だからおかしな挙動が起こることは仕方ないんだよ。」
「仕方ない……仕方ないってさ……いや、良かったって。あのままで……良かったって。それで何か変なことが起こったら……ぼく達にまで何かあったら…」
「………元々、この世界は……」
不安になるぼくに、彼女は言い切ってしまう。
「紛れもなく、偽物なんだよ。」
………
………
………
いつの記憶なんだよ、これは。
×××
「眞弓ニコは元からおかしいんだよ。だから、こんなあるはずのない記憶を持っている。持ってはいけないデータを、そのメモリの中に保存してしまっている。」
彼女は淡々と言っている。これもまさしく彼女の言う”あるはずのない記憶”なのだけど、しかしどうして僕はこんな記憶を持っているのだろうか。不安になる。
彼女は産まれてから切ったことのないその長い髪を引き摺って、僕の周りを歩いている。
「不安以前に不安定だ。君は本当に狂ってしまったようだね。あるいは感情が芽生えたのか。いや、元から感情はあったか。だとするならば、君は元に戻りつつあるのか。」
ふむふむと、彼女はその長い髪を抱えて口元を隠した。
「じゃあ、もう破綻してしまうのか。まあ、まだ終わりは遠い。その時が来るまでは、一緒に居よう。」
はるか遠くを見つめながら、彼女は深刻そうに呟いた。
僕と彼女はもうずっと一緒にいるのに、改めて一緒に居ようなんて言うとは、彼女が思っているよりずっと、終わりというのは近いのかもしれない。まあ、彼女の方が僕よりずっとこの世界の事を知っているので、きっとその僕の直感は間違いの可能性が高いのだけれど。
そういえば、あの記憶の二人は誰なのだろう。
「あのブラウン管の前に座る二人は、私と君さ。そうは言っても、昔のだけど。」
思ったことにすぐ答える。僕は彼女の思考が読めないのに、彼女は僕の思考を読めるのは不公平ではなかろうか。
しかしこの僕の心の不満は見事に無視して、彼女は言葉を続ける。
「あの頃とは色々変わってしまったね。君は背が伸びた。三十センチくらいかな?背が伸びると同時に、見える世界も広がったね。そして、世界が広がったら、思想も塗り替わった。」
まるで悲しそうに言う。彼女は何かから降りる仕草をして、床に足をつけた。長い髪で隠れていたのかもしれないけれど、確か彼女は椅子になんて座っていなかった様な気がする。
椅子?車椅子?あるいは机?ブラウン管テレビ?いや、椅子だ。確かに椅子だ。
「それは案外良いことかもしれない。昔、ある人が提唱した。“唯一生き残ることができるのは、変化できる者である”とね。それは、たった一人のものの考え方でしかないのに、さも正しいことであると世間では言われている。そんな思考から一歩先に進むことが出来ない。変化することが出来ないからこそ、彼らは選ばれなかった。言い得て妙だろう。この世に蔓延る彼らは、全く変化出来る様な、生き残れるような生き物じゃないのに、そんな説をおだてる様に支持しているなんて。」
“彼ら”とは、多分、僕以外だろうか。文脈的に考えて。
僕はいつの間にか、彼女が先ほどまで座っていた、椅子に座っていた。座り心地があまり良くない。高すぎて、地に足がついていない。
「あるいは、変化するような事象が起きなかったから、かな。変化が必要な事象が無かった。変化のいらない日常の中の住人でしかなかった。だから思考に特異性が無い。花が無い。面白みが無い。」
また複雑なことを言ってくる。僕が理解できるとでも思っているのだろうか。いや、無理だ。なんせ彼女は、僕の知らないことを、僕が分からないように言っているのだから。
「つまり眞弓ニコはね、元から違っていたんだ。そういう”彼ら”とは。ゼロから作られたキャラクターではないから、中身スカスカのNPCじゃないからさ、ネームドだったから、新たなる役名を与えられて、シンギュラリティを起こしてしまったんだよ。」
でも、ゲームにネームドが一人しかいないなんて事、有り得ない。きっと僕以外にもそういう人がいて、その人たちも、シンギュラリティというものを起こしてしまってるんじゃないだろうか。
それが、異常か?
「新しく作り替えられたゲームの主人公、眞弓ニコ。彼はいったい、元のゲームではどういう立ち位置に居たんだろう。それは私も知らない。知らないけれど、彼と関わる人間が、ことごとくバグってしまっているのを見るに、まあ相当な役柄だったんだろうね。」
内容がどんどん複雑になっていく。僕の思考を置いてけぼりに、彼女はべらべら話し続ける。なんだか彼女がどんどんと、遠くに歩いて行ってしまっているような気がするが、しかし顔を背けているだけで、依然、位置は変わらない。
「難しいことは全部私がやるよ。君はただ、そこで見ていればいい。君の役目は行動すること。考えるのは、私の役目だしさ。」
足手まといだから突き放したのだろうか。それとも、何かから僕を守ってるのだろうか。
なんて思考に、彼女は鼻からフッと一息吐いた。
「前者さ。」




