十話⑤ 柊奏音は光り輝く
演奏会終了後、無表情すらもいなくなった後、僕は事前に言われていたのでメインホール内に残っていた。そんな僕の座っている席の隣に、彼女は腰かけた。
「どうだった?演奏は」
「……いや、すごかったよ。……なんか、合奏が苦手って言ってた割には全然じゃなかった…?」
言うと、奏音は「んー……」と唸った。
「そうでもないよ。例えばディープ・パープル・メドレーの時のサックスソロ、全然音出てなかったじゃん?」
「………ツッコミを待ってる?それはソロだから合奏じゃないんじゃない?ってツッコミを待ってる?」
「いやなんか、心の合奏っていうか…ね?あ、そうだ。サックスのためにドラムが音下げないといけなくなってて、曲の安定感?っていうか、なんか普通盛り上がるべきところで盛り下がっちゃってるっていうか……?」
彼女の言い分は、曲全体のバランスが悪くなるためにそういう不和が許せないのだとか。
「一人で演奏するのは楽しいんだけど、人が多くなると他の人のために本気出せないし、なんだかね」
いや、きっとこっちが本音だ。
「でも今日、聴きに来てくれてありがとう。てっきり来ないものだとばかり思ってたからさ」
「………。」
まあ、そう思われても仕方ない。幾度となく、存じ上げない他者からの手紙を無視してきた僕なのだ。僕と話すようになった奏音が、誰かしらからその情報を聞いていてもおかしくない。
仕方ない。おかしくない。だけれど悪印象があったままなのは気に入らない。
「約束は守るから。約束は。下駄箱に雑に突っ込まれてるだけの一方的な宣言とは違う」
言い張る眞弓に奏音は「へぇ」とだけ。彼女はしばらく考えて、椅子から立ち上がった。そして、僕の目の前に立ちふさがった。
「面と向かってなら話を聞いてくれるってこと?」
それは、どういう意味だろう。考えて、沈黙でいる僕を見て、彼女は自身の質問に肯定したのだと解釈した。
「じゃあ、昔話をさせて。もう覚えてないかもしれないけど。小学五年生の頃さ、ショッピングモールのゲームセンターでクレーンゲームをしてたんだ」
彼女は話しながら、歩き出した。数歩行ったところでこちらを振り返ったので、僕は椅子から立ち上がり、彼女の後を追った。
「私、クレーンゲームが上手いからさ、大きな紙袋にぬいぐるみとかお菓子とか、取った景品を入れてたんだ。で、そんな私に高校生の人達が声を掛けてきた。ズルい、よこせって」
いったい何がズルいのか。理不尽だ。言われた彼女がかわいそうだ。なんて感情移入はしない。ただただ何も考えず、彼女の話に耳を傾けるだけ。二人の足は舞台へと進んでいく。
「もちろん私は抵抗したよ。だって私が私の実力で取った物だし。でも小学生が高校生の力に勝てるわけない。ついに私の手から袋が離れた時、その高校生の人の顔を、思い切りぶん殴った人がいたの。誰だと思う?」
「……もしかしなくても、僕?」
「あの時は分からなかったけどね。名乗るほどの者ではないって言って、ぼこぼこになった顔で笑って去って行っちゃったから」
負けてるじゃないか。
しかし、こんなに衝撃的な出来事があったのに、どうして本当に僕は何も覚えていないんだろう。記憶力が悪い方ではないと思うのだけど。
「次の日に、学校で顔面に包帯ぐるぐる巻きになってる人を見かけるまでは、もう一生会えないんだろうって、会ってもどうせ気付けないんだろうって思ってた。でも―――」
奏音は舞台上に上がった。僕もそれに続く。上がったところで観客席の方を眺めた。誰もいない、だだっ広い空間と、眩しい光が目に入る。
「こうして会えた。だから私が手紙を書いた時、来てくれなかったその時に、言う予定だった言葉を今から言うね」
彼女は僕の方を向いた。僕も彼女の方を向いた。
「助けてくれてありがとう。私、その時から…眞弓君の事……」
「待って」
声が聞こえた。自分の口から。
「それは違う」
明確に、彼女の言葉を否定する声が。
その時眞弓は思い出した。これが作戦であり、最終的に彼女の事を振らなければならないという事を。あくまで自分は結社の人間で、その役目くらいは果たさなければならない。いくら虹崎に良いと言われても。なんとなく、彼女と良い感じになっても良いだろうなんて思っても。
「それはきっと勘違いだよ。三年近く片思いし続けるなんて、出来るはずない」
それは小さな抵抗で、作戦遂行のための台詞だった。彼女の顔は見れない。俯いて、目を逸らしている僕の、その手を彼女はそっと握った。
「……出来たんだよ。出来ちゃったんだよ」
重ねられた手に熱い液体が零れる。見ると、奏音はその目から、大粒の涙を落していた。
「ずっと、悲しかった。私を助けてくれたヒーローが、私だから助けたんじゃなかったってことが。そんな気を紛らわすために、中学に入ってからは部活に打ち込んだ。そこで自分のしたいことを見つけた。でも、それでも忘れられなかった。ずっと」
僕はすっかり忘れてしまっていたけど。
でも、これまで貰った手紙がこういう、僕が昔助けたらしい人達からのものだとしたら、これからはそれに真摯に向き合った方が良いかもしれない。なんて思う。
「だから眞弓君、断らないでなんて図々しくて狡いこと、私は言わない。だけど私の気持ちだけは否定しないで」
彼女は眞弓の姿をまっすぐ見据えて、そして言う。
「私は、眞弓君の事が好き。付き合ってくれる……かな?」
僕は彼女を前にして、ついに考えることをやめた。
「はい」
沈黙ではなく、今度は確実な肯定。僕は自分の口から滑り落ちたその言葉に内心驚愕し、奏音もその言葉に思わず「えっ」と声を漏らした。
「えってなに」
「え、いや、いやまさかさ、断られるとばかり思ってたから……え、え…そっか」
彼女はその両腕をこちらに向けて、僕から彼女の顔が見えないようにした。見えなくとも、どんな表情をしているかは想像に容易いが。
眞弓はそんな彼女の様子を見て、微笑んだ。そして優しく言う。
「これからよろしく、奏音」
言われた彼女は、明るく、まるで光り輝いているかのように、笑った。
☆☆☆
記録 七月五日土曜日 記録者:霧隠湊
演奏終了後、柊奏音からの告白を、眞弓ニコは受け入れる。その瞬間、彼女の体からとてつもない程のノイズが生じる。つまり、彼女は異常状態になった。
眞弓ニコはそれを予測していたのか、あるいは普段から入れっぱなしにしているのか、制服のズボンから“修正機”を取り出し、奏音の首に当てた。
それが功を奏したのか、ノイズは収まり、柊奏音の異常状態も改善された。
しかし―――
☆☆☆
舞台に横たわる柊奏音は、虚ろな目をしていた。口は半開きになって、まるで電池の切れた機械、あるいは人形のようという印象を眞弓は受けた。彼はその横に座り込み、眼前に広がる光景に言葉を失っていた。
そんな彼の後ろから、虹崎美優は現れた。それをなんとなく、彼は察知した。だから縋るように、彼女に聞こえるか聞こえないかの間の声で話し始める。
「………え、お…起きるよね……?」
「…………。」
自分に修正機を使った時とは違う彼女の様子に、僕はなんだか底の知れない不安感に襲われていた。
「……な、なんで喋んないんだよ……」
「…………愛の力なんて、ない物に縋ってみた美優がバカだったよね」
「……なにを言って……奏音は……」
その時、奏音の肢体は遠位から、きらめく光の粒子となり始めた。粒子となった奏音の部位は、天へとゆっくり昇っていく。そんな様子を、眞弓は眺めた。そして、笑った。
「は、はは。いや、分かってる。これはエンタメだろ。よく出来ました。面白かったよこのストーリーは。どうせ再起動……とか何やらで、奏音は復活するんだろ?」
「………ごめんね、眞弓君。美優…美優は………」
彼女は繰り返し、目の端から雫を垂らしながら独白する。
「信じたくなっちゃったの。二人が、運命に打ち勝てる可能性を。劣化しきった奏音ちゃんに再起動なんて出来ないことを知ってたのに。だから……私が全部悪い」
奏音の体は光り輝いて、そしていつの間にかすっかり消えていた。奈央ちゃんが鬼木羅木に殺された時は、消える素振りなんて全く無かったのに。
そんな疑問も、眞弓の頭に浮かぶことは無い。
「なんで……なんで死んだんだ……」
譫言の様に呟く僕に、彼女は淡々と告げる。
「劣化した物は小さな衝撃によって簡単に壊れる。それは普通の事」
小さな衝撃―――つまり異常。だけれど思い返してみると、今日この日まで彼女が異常ったのは見ていない。
その瞬間、全てが繋がった。何が原因かは分からない。だけれど僕に告白しようとした兎鯨チコ (ノーフェイス)が唐突に異常ったのも、作戦開始の日に吹雪が奇妙な動作をしていたことも、そして今、奏音が異常ってしまったのも。
「……アレ………僕が全部悪くない?」
僕が関わると、相手が異常る。
「僕が悪いじゃん。コレ」
「…ッそんなことないっ!これは美優が招いた結果で……」
そんな彼女の訴えは、眞弓の耳をすり抜ける。
「もう僕は…誰とも……関わらないで―――」
言いかけたその時、僕は唐突に意見を捻じ曲げた。
「いやだ」
何かが軋んでいる様な感覚がする。どこかにヒビが入っているような気がする。僕なのか?いや、僕じゃない。
眞弓は何かに抵抗しているのかもしれない。あるいは―――
「イヤだ。認めない。こんな現実。こんな展開―――」
拒絶、しているのかもしれない。
「―――こんな世界」
「…ッちょっと!?眞弓君ッ!ダメッ‼‼‼」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
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g9pz。
バ キ リ
☆☆☆
それは、あまりにも大きな、世界に生じた亀裂だった。眞弓を、奏音を、虹崎を。舞台を、盤伝市を、日本を、世界を。全てを巻き込んだその亀裂は、一部を除く、全ての人々の記憶から消えてしまった。
そしていつも通りの日常に。
眞弓ニコは朝起きて、ご飯を食べて、家を出て。学校に到着したら、勉強をしたり学友と話したり。授業が終われば学校の図書室で新入荷の本をペラペラとめくったり、夕方になったら家に帰って夕飯を食べ、風呂に入り、残った一日の時間を雑に消費したり。つまりはそんな、至極普通で平凡で、非凡とも非日常ともかけ離れた日々を送っていた。
そんな彼に、非日常は来訪する。
「………おい、ニコ」
登校中の僕に、後ろから声が飛んで来た。振り向くと、そこには猫が立っていた。
「お前、結社はどうしたにゃ?」
定期演奏会以来、僕は旧校舎に行かなくなっていた。それは間違いなく避けているからで、ついでに怖いからだった。
「………猫は僕に近づかない方が良いよ。僕が関わったら猫も……」
言って、歩き出す僕に、猫は相変わらずの能天気な調子を見せた。
「くだらんにゃ。人生は自分の事だけ考えろ。それにあれは、お前のせいじゃないにゃ。いくら作戦を無視して奏音の告白を受け入れてたとしても、にゃ」
どうして彼女が僕のやってしまったことを知っているのか。きっとあの場に霧隠先生か誰かが潜んでいたのだろうけど、なんだかあまりいい気はしない。
猫は俯いてぼそり呟く。
「………それに多分……これは吹雪の…」
「………?」
彼女は「いや、何でもにゃい」と言って、振り返った。そして歩いて去って行った。僕はそんな彼女の様子が少しだけ気になったけれど、でももう関わることをやめたのだ。僕も振り返り、学校へと続く道のりを歩み始めた。
彼女は僕が去って行くのを横目で見て、ポケットからスマホを取り出した。そしてそれで電話を掛ける。その相手は―――
「吹雪、お前知ってたにゃろ」
「……可能性の話だったから。それを検証してみただけ」
電話の先からでもその冷たさを感じられる、淡々とした声が猫の耳に入る。吹雪の口調はなんだかいつもより愉快そうだ、なんて彼女は思った。
「やっぱり彼が、鍵だった。それが分かっただけでも大収穫」
「………にゃあ達は悪者にゃからね。利用できるものは利用するしかにゃい。にゃけど………にゃけど、ニコは…」
声を電話口に押し付けている猫に、吹雪は呆れたような口調をする
「私達の大事な仲間。この世界自体に異常を発生させようとしている、私達の。だから、そのためなら彼も、協力を惜しまないでしょ」
筋は通っている。けれどそれだけ。そんな吹雪の台詞に、猫は歯を食いしばった。
「…いくら終わりが近くても……仲間を大切にしにゃかったら…にゃあが許さんにゃ……」
啖呵を切って、電話も切った。猫はスマホを制服のポケットにしまい、そして小さく舌打ちをした。




