十話④ 柊奏音は光り輝く
定期演奏会当日。僕は心の中に一抹の不安を抱えながら、定期演奏会の会場である市民文化会館を見上げていた。
あれから虹崎が僕の事を定期的に監視してきていたが、僕は奏音と会話することは出来ていたし、別に止められているわけでもなかった。
流されて、そのままの状態で、この日へ。いつか行った脳内会議の内容など、彼はもうすっかり忘れてしまっている。しかし、自分が柊奏音と良い感じになるのは別にいいだろうという思いは心の中に残留していた。
今日この日が終わったら、きっと僕と彼女は更に関係を築き、やがては付き合いだすのだろう。そんな平和なことを考えていた。
なんだかこの演奏会が荒れそうな気がするのは、おそらく僕の十メートル程後ろをつけて来ている虹崎のせいだろう。
受付にチケットを提示し、指定されていた席に腰かける。こういうところの椅子は少し傾いていて、自然と深く座ることになる。
演奏が行われるメインホールには、ちらほらと人が集まっていた。同じ学校の生徒だったり、演奏する吹奏楽部の生徒の親だったり。それ以外でこういう演奏会に来ている人は、きっとよっぽどの暇人なのだろう。
そんな僕の思う暇人が、僕の隣の席に腰かけた。
「よう、元気してるぅ?」
「……え、の、無表情……?」
男の姿をしていたが、しかし身にまとう雰囲気が間違いなく彼女だった。
「一々そんなかしこまった名前で呼ばなくていいのにぃ。今日は“私”は“俺”だし、名前は空色駆ね」
「いや、お前が空色……駆…?ってのは教えられるまで分からなかったし。そもそも無表情って呼べって言ったのはお前じゃん」
「えー言ったっけぇ?忘れた」
分かりやすくとぼけている。僕は久方ぶりの溜息を吐いて、椅子にさらに深く腰掛ける。
「で、なんでお前がこんなとこに居るんだよ」
「ん?いやいや、それ、俺に言ってる?盤伝中学校吹奏楽部、ドラム担当の未開十鳥と幼馴染のこの空色駆に?」
「どっちも誰だよ。知らない奴二人だよ」
自分の中学校の吹奏楽部員なんて知るはずもない。知ってても一人だけだ。同じ学校に通っているのなら名前くらいは聞いたことがあっても良いのだが、その二人の名前は残念ながら知らなかった。
すると彼女は聞き覚えのある声を、具体的には猫撫で声を出した。
「じゃ、にゃあはどうかにゃ?」
横を見ると、黒髪ロングの制服少女がこちらを覗いていた。
その瞬間、背筋をぞわりと何かが走る感覚がした。虹崎に化けていた時は感じなかった感覚。今になってやっと、彼女がとても背徳的な存在だったという事に気付かされた。
「………二度と喋るな」
「……へぇ。怒るんだ」
興味深そうに、
「別に怒ってない」
「怒ってるじゃん」
言う彼女に、
「怒ってないから」
「怒ってるでしょ」
ほんの少し、苛ついた。
真っ直ぐ前を見て、あるいは彼女の方を見ないようにしていた僕に、彼女もとい彼は椅子にもたれかかりながら声を掛けた。
「ま、俺は嫌われたくないからね。子猫ちゃんの真似事はやめる。俺は指定席に移動するから、その前に一つアドバイスだ。きっと君より、この世界の仕組みを知っている俺からの」
言って、立ち上がり、僕の方を片目で見た。
「とっとと帰れ」
空色駆は冷たく言い放し、僕の元を離れて行った。そんな物言いに少しムッとしたけれど、しかし何かを言い返すことはしなかった。
低いブザーの音が鳴り、幕が上がった。大小様々な金色の楽器を持った人々が、扇状に座っている。奥の方には木琴だったりドラムだったり、叩けば音が鳴る楽器が置かれていた。打楽器か。
舞台右手に置かれためくりには”プロローグ・ワン”と書かれている。
その時、楽器が音を奏で始めた。指揮者もいないので、チューニングしているのかと思ったが、しかしその時点から曲が始まっていたらしい。
舞台袖から黒いスーツ(つまりタキシード)を着た男性が現れ、舞台の中央につくと同時に一礼した。そうして彼は奏者の方を向き、細い棒を構える。そして、まとまりがないような演奏をしている者達の音が一つになる。
そうして奏でられ始めた曲は、なんだかのんびりしたものだった―――なんて思っていたら、唐突に盛り上がり始める。本当に唐突に。
簡潔に言えば「面白い」「楽しい」演奏だった。
曲が終わり、指揮者が一礼。会場は少人数の拍手に包まれる。そして指揮者は舞台袖に帰って行き、ドラムを叩いていた一人が舞台中央へと移動した。
「皆さん、本日は第十七回盤伝中学校吹奏楽部定期演奏会に来ていただき、誠にありがとうございます!部長の未開十鳥です!」
つい先ほど聞いた名前に思わず視線が動く。まあどこにでもいる奴だった。金髪を後ろで一括りにした、海外なら多分どこにでもいる奴だった。
「先程の曲は、田村修平作曲、プロローグ・ワンでした!この曲は2021年に書きおろされ―――」
と、なんだか長い挨拶が終わり、次の曲“ディープ・パープル・メドレー”。初っ端から盛り上がるスタイルの曲だ。手拍子を叩く仕草をされたらそれに乗るしかない。
トランペットの音に乗りながら手拍子を叩き、やがて曲調はスローになった。そして曲は終了した。また、指揮者は舞台袖に引っ込んでいく。どうせまた出てくるのだから、その場に突っ立っていても良いのに。
続いて”東京スカパラダイスオーケストラ”その次は”sing sing sing”と、なんとなく聞いたことの有る曲が続いた。そしてその次、”リズと青い鳥”の演奏が始まった時、僕は「あ」と声を漏らした。
これ、奏音が音楽室で吹いてた曲だ。
なんて思うと、フルートを吹いている青髪の少女と目が合った―――気がした。少し距離が離れているので、顔の判別はあまりできない。こちらを見ているかどうかなんて分からない。
そしてなんだかこの会場の、全体の空気が変わった感じがした。これまで盛り上がる曲ばかりで、唐突な路線変更な感じがした。
部長と名乗ったドラム担当のはずの未開十鳥が黒くて長い管楽器に持ち替えて演奏をしているのにも、何かしらの理由があるのだろうか。
自然と目を閉じ、聴いていると、二つの場所からしか音が出ていないような感覚に陥る。
目を開けてその場所を見ると、そこには青髪のフルート少女が、金髪のオーボエ少女が立っている。他にも音があるはずなのに、彼女達の音にしか耳がいかない。少しフルートの方が音が大きいかもしれない。
分からない。分からないが、これが吹奏楽なのだろう。
曲が終わった時、自然と拍手していた。それは僕以外も同じだったらしい。曲の終わりでまた指揮者は舞台袖へ。疲れないのだろうか。
その後も数曲演奏し、最後は“宝島”で終了した。
「―――という事で本日は、皆さん足を運んで頂き、誠にありがとうございました!」
最初の挨拶と同じように、未開十鳥が締めの挨拶をした。僕を含めた観客は皆、礼をする彼女達にありったけの拍手を浴びせた。




