十話② 柊奏音は光り輝く
「………それは一体……どういう事?」
僕は首を傾げる。虹崎は真面目な表情を崩さずに、説明を続ける。
「眞弓君、君は“反乱軍”の子達と関係を持ってるよね?」
彼女の言う反乱軍というのはつまり結社の事だろう。
「彼女達も別にこの世界の登場人物であるわけで、わざわざ再修正とか再起動とかする気はないの。越えてはいけないラインを越えたらダメだけど」
と淡々と語る。つまりは僕が奏音と関わる行為が―――
「つまりは君が、奏音ちゃんと関わることがラインを越える行為なんだよ」
「……あの、よくわかんないんだけど。どうして僕が奏音と関わるのがダメなんだ?具体的に教えてくれなきゃ―――」
と、言いかけたその時、二人が急に距離を縮めてきた。そして僕の首筋に、あの黒い機械が添えられる。
「勘違いしてるっスよね。あたし達は対等じゃないんスよ」
「眞弓君、君は美優達の裁量次第でどうとでもなるんだよ。一応、再修正の協力者として、君の人を危険にさらすような行為は看過できない。記憶は消せなくてもいくらでも再起動できるってことを忘れないでね」
こうして脅してくる彼女達は、およそ正義の味方様とは思えない。せいぜいあの雨の日くらいだ。彼女達の事を正義の味方の様に思ったのは。
いや、獅子谷はともかくあの場にいた虹崎は偽物だったか。じゃあ結局正義じゃないじゃないか。…少なくとも、僕にとっては。
首筋に当たる冷たい感覚は、流れる冷や汗か修正機か――――修正機?
僕は賭けに出ることにした。少しでも優位に立ちたかったというのが正しいか。
「………それは“修正機”なんだろ?僕は何故だか修正されない。記憶を消されない。だから、今この場での脅しは無意味だ」
「……試してみるっ?」
返す虹崎に僕は不敵な笑みを浮かべる。
「…ああ、かかってこ――――」
と、その瞬間、僕の左頬を虹崎の拳が直撃した。パイプ椅子に座っていた僕の体は、勢いよく後ろに吹き飛び、床を転がった。積まれたコピー紙の入った段ボールや、筆記具の在庫が音を立てて転がり、散乱する。
左頬を触りながら、僕は虹崎の事を見上げた。
「普通に殴ってくんのかよ!」
「殴っちゃうよっ!」
「殴るんスか!?」
虹崎は僕の制服の襟を掴んで、持ち上げた。片手で。とんでもない膂力だなあ、なんて暢気に考えられない。足が地についていない。
「こっちの方が効果的でしょっ!」
と、僕の体は再び飛ばされた。生徒会室の長机の上を滑るように転がり、上にあった雑貨を一掃する。僕の体は長机の向こう側、生徒会長席の下まで滑って落ちた。
獅子谷は口をあんぐりとさせてその様子を眺めている。
虹崎は長机の上に登って、こちらへと歩み出してくる。
「ねえ、眞弓君。どうして君は無駄なことをするの?」
一歩一歩、僕の元へと向かってくる。
「どうせ何も変わらないよ。世界は君が認識しているところまでしかない。世界を変えたなんて思っても、いずれそれは大したことが無かったって気付く」
虹崎は生徒会長席の上に立ち、その下に転がる僕の事を見下ろした。
「諦めて。君のためにも、美優のためにも」
そうして言い捨てる。
「世界のためにも」
冷酷に、冷淡に。月の裏側の様な冷たさで。
「じゃないと腕の一本くらいは折っちゃうからねっ!」
と、先程までとは打って変わった明るさで、僕に彼女は笑いかけた。その温度差がやはり怖い。
彼女は机の上から降りて、生徒会室から出ようとした。
「…………ないよ…」
小さく零された言葉。それに虹崎は足を止める。
眞弓は膝を押さえて立ち上がりながら、彼女の方を見る。その目には闘志が宿っている。
「冗談じゃ…ないよ……!!どうして僕が……我慢しなきゃなんないんだよ……!」
喉の奥から絞り出されるその声には、恨みや憎みといった負の感情が累積していた。
「僕の事なんてなんにも考えてないんだろ…!自分勝手な都合で僕の行動を縛りやがって……!」
虹崎に向かってありとあらゆる感情をぶつける。投げ飛ばす。それに対して彼女は何の抵抗も見せない。眞弓の目を虹崎はまっすぐ見つめる。そんな時、横から声が聞こえた。
「…眞弓さん、君はあたし達のことを少しでも考えてくれてるんスか?」
声のした方を見る。獅子谷は、呆れたような表情で僕の方を見ていた。僕は彼女が放った言葉に何も言えなかった。
「沈黙……ってことは図星っスよね。何スか、それ。自分の事は棚に上げて、自分勝手に批判して、一丁前に悩んでる振りっスか?」
「そこまで」
獅子谷の口を物理的に、虹崎はその手で塞いだ。彼女のその驚異的な移動速度には驚かされる。
「だめだよっ獅子谷ちゃん。美優達が偉そうに講釈垂れちゃ」
そして彼女は、僕の方を振り返った。いつも通りの、明るい笑顔を張り付けて。
「……やっぱり……いいよ、眞弓君。奏音ちゃんとそういう関係になっても」
「なっ……良いんスか!?」
冷や汗を垂らす獅子谷に、虹崎は微笑んで吐き捨てる。
「美優達には……止められないよ」
諦めたように。
彼女はそのまま生徒会室から出ようとした。獅子谷はそんな彼女の背中に弱弱しく言葉を投げる。
「………その決定、後悔しても知らないっスからね。あたしは責任取りませんから」
虹崎に届いたのかも分からないその言葉は、生徒会室の中を漂って、僕の耳に入り込んだ。獅子谷は溜息を吐きながら立ち上がる。
「待って」
「………何スか」
彼女は不満そうに片方の眉を吊り上げてこちらを睨む。少しだけその威圧にひるみそうになったが、唾を飲み込んで何とか耐えた。
「どうして僕が奏音に関わっちゃいけないのか、その理由が言えないのは分かった。じゃあその理由を言えない理由を教えてくれない?」
「………なんだかこんがらがるっスね。まあ端的に言っちゃえば、あたし達は再修正以外の人間と関わるのを極力避けるべきなんス。あたし達が過度に関わっちゃうと、既定路線を大きく外れた終末を迎えちゃうかもしれないんスよ」
「終末………終末って……?」
「あたしは知りませんよ?虹崎さんも………多分。あたし達の役割はただ、この平穏で変わらない日常を、ひたすらに継続させていくこと以外に何も無いんス。まあ恐らく、終末っていうのはそんな日常が終わりを迎えてしまうってことだと考えられるんスけどね」
僕の日常はもうとっくに終わりを迎えていると思うのだけど、そういうわけじゃないのだろう。でもその“終わり”というものを考えてみたとき、なんだか言いようのない不安感が僕の中に漂った。
「僕が奏音と関わることが、その日常の終焉を呼び寄せる事だったら、言うべきだと思うんだけど」
「あたしも本当そう思うっスよ?あの人、頭ん中お花畑っスから………でも、上司の決定に逆らうことは出来ないんスよ。そもそも決定を出したのはあの人っスから、理由を聞くのはあの人にしてください」
なんて、獅子谷は言って部屋から出て行った。その時丁度、昼休みの終わりを知らせる鐘が鳴る。
僕は彼女達の発言を頭の中で反芻しながら、五限目の授業に遅刻を承知で参加することに決めた。




