一話③ 日常の終わり。というか変わり
という事で放課後。授業風景なんてものは描写する必要性が無いので全て省くとして、今日も今日とて僕の人生は日常だったなと、頭の中で独り言をした。
ではここで、日常の定義でもしようか。
僕は朝、白金色の髪をした女子に自転車で轢かれて、その子とニケツをして学校までやって来た。SHRが終わった後にはトイレに行きたがる女子を引っ張って連れて行ってあげた。
午前の授業では、板書が終わったらノートに僕の想像の有様をぶちまけてやった。
昼休みには図書室に行った。そこでチコさんと会ったけれど、僕の顔を見たら彼女は頬を紅潮させて、そそくさと去って行ってしまった。(そりゃ同クラスの男子に漏れそうなことを告白するなんてことは思い返して赤面しても仕方ないことではある)
今後の彼女との会話は彼女の人権を憂慮して控えることにしよう。
図書室から帰ってきたら机の中に手紙が入っていた。僕は誰に見られないようにその中身を見ると「放課後、図書室に」と、ただそれだけが書かれていた。
僕はこのように人に呼び出されることがしばしあった。しかし毎回呼び出された場所には面倒くさくて行かなかった。僕は自分のリズムを乱されるのを何より嫌うのだ。
だからこそ、手紙が机の中に入っている程度の事は日常茶飯事だった。が、元々借りていた本を昼休みに返すのを忘れてしまったので、僕は放課後に図書室に向かう事になった。
毎度期限を越して返すので、図書委員から借りた本は早く返すように口を尖らせて言われている。これ以上期限を守れないのはまずいので、行くしかなかったのだ。
さて、ここまでの一日を振り返って、今日を総括するとやはり日常の一幕でしかなかった。
朝に白金色の美少女に轢かれ、惹かれ、トイレに行きたい少女を助け、昼休みに手紙を受け取るような、そんな日常は果たして他人にとっては日常であるだろうか。もちろんそんなことを考えること自体が間違いだ。
例えばセパタクロー全国大会優勝チームの日常を考えてみれば、セパタクローの地域大会で優勝しまくるのが間違いなく日常だろう。
僕からすればセパタクローなんてルールも知らない、スポーツであることしか分からないスポーツだ。そんな珍妙なスポーツの、あるかもわからない地域大会で優勝しまくるのは、僕にとっては間違いなく非日常だ。
つまり、人によって日常と非日常は意味合いを変えてくるものなのだ。
日常を定義づけるためには、一般的な人の日常に着目しなければならない。そう都合よく一般的な人と言える者はいないが、間違いなく僕が当てはまるだろう。
僕は自信いっぱいに頷いた。
つまりは僕の過ごす日常こそが日常である。
「そうさ、結局はただの日常なのさ」
ぽつり、僕は呟いた。
眞弓は自分の脳の使っていない部分を刺激しながら廊下を歩き、階段を上り、図書室に着いた。
図書室の前には口の開いた箱が置かれている。人呼んで返却ボックス。この中に本を入れれば返却が完了するという便利な代物だ。これだけ簡単なことも期限内に出来ないのならば、僕は将来社会に出れるのか不安でしかない。
さて、本を入れたら別に帰ってもいい。僕のしなければならない事は実質これで終わった。だが、このまま何もせず帰るのは、それも逆に無駄な気がする。
僕は決心して、図書室の中に足を踏み入れた。部屋のすぐ左手にはカウンターがあり、ここで本を借りることが出来る。カウンター内には基本的に図書委員がいるが、放課後は各々部活等があるので不在だ。
本棚が規則正しく置かれているのをかき分けて進むと、そこには大きな机と椅子が並べられている。その内の一つに彼女は座っていた。
「あ、き、来てくれたんですね…」
「まあ…手紙があったから…」
眞弓もチコも顔を会わせなかった。眞弓はチコを見下ろしているのかと思えば机を見ているし、チコは机の下に視線が固定されていた。
二人の間には少し気まずい空気が漂っている。
「あのさ」切り出したのは眞弓だった「どうして僕をここに呼んだの?」チコは眞弓の問いかけに頬を赤らめてさらに顔を下げた。
「あの、午前のこと、覚えてますか…?」
「もちろん、忘れるわけがない」
「じゃあ、去年の事は…?」
「去年……?」
言われて、中学一年生の頃の記憶を呼び起こしてみる。…うん、あまり思い出すべきではないことばかりだ。
チコさんは同じクラスだった。それだけは覚えているが、僕が何か彼女に対してやったことがあるかと言えば、思い当たるものはない。
「あれは雨の日でした…私が駅前の書店に買い物に寄った時…手が届かない本を取ってくれたの…覚えてますか…?」
「あ、」僕はもちろん覚えていなかったが「あれね!」とさぞ今思い出したかのように大仰な態度をとった。
「あれチコさんだったんだね!」
「そ、そうなんです!」
初めてここで目が合った。奇麗で大きな目をしているなと、眞弓は思った。チコは「あっ」と呟いて目を逸らした。
鈍感を地で行く僕もそろそろ気付いていた。これはきっと告白される流れだと。瞬間も秒も流れない程の光速の時間に、彼女ができたときのこれからの生活を思い描いてみたが、うまく想像できなかった。
想像できない事はもやもやする。ここで一度付き合ってみるのもいいかもしれない。そんな風に僕の心は揺らいだ。
「その時…すごい助けられたなって……今日も…助けてくれて…だから…えっと…その…」
彼女は逸らしていた目を僕に合わせた。再び僕と目が合った。
「眞弓ニコさん…私は…あなたがsin khu dih sok!」
「…え?なんて言ったの?」
急に口調が機械的な、いや、彼女の事を機械と迷いなく思ってしまうほどに口調が無機質になった。
いや、無機質どころではない。間違いなく人の発していい言葉ではなかった。
「きゅ、急にどうしたの?」
「end、nad ndd kek aqs xhy tat nuo ?」
僕はいつの間にか腰かけていた椅子から立ち上がって後ずさりした。彼女の顔に1と0が現れ始める。僕はそれに恐怖心を駆り立てられた。
これは間違いなく、日常の一幕なんかじゃない。
彼女から発生した0と1は、床を侵食し、大気を侵食し、本棚までを侵した。現実味の無いその光景に、僕はさらに後ずさりをした。
過呼吸が始まった。0と1の集合体となった彼女は、立ち上がって僕にゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。
「な、なんだよ、これ!?」
僕は叫ぶ。その悲鳴に応える様に、何者かがこの部屋に登場した。それはあるいはヒーローかもしれない。
「ここかい!バグの発生源は!」
と、唐突に最近聞いた声が僕の耳に入った。彼は声のした方を振り返る。
そこにいたのは、今朝に出会った白金色の少女だった。