九話① これから始まる
理由は一切分からない。始まりは幼稚園の頃だったと思う。それ以前の記憶はあるわけが無い。
いちご組だった僕は、あまり関わった事のないりんご組の子にたんぽぽを渡された。たんぽぽというのは何故かはっきり覚えている。そして花を渡すという行為がどういう意味を持つのか、僕にはなんとなくだけど分かった。だから、僕は―――
次も幼稚園の頃だ。今回は同じ組の子にチューリップを渡された。毎回どうして僕は渡された花は覚えているのだろう。花だけは、覚えているのだろう。今となっては、もう―――
小学生に上がって、流石に花を渡してくるような子はいなくなった。その代わり、下駄箱に手紙が突っ込まれ始めた。僕は毎回その手紙の内容を見ては―――
一旦言っておこう。僕は別に格好良くない。顔は中の中で、スタイルも普通。特に運動をしているわけではないし、勉強ができるというわけでもない。しかしなぜか、ずっとモテた。雉宮は僕がモテないと言っていたけれど、実際はその逆で、モテ過ぎていた。
そして中学生になり、告白されることが無駄に多くなった。なぜ無駄かと言えば―――
誰でも良かった。恋愛という物を体験したくなった。これは決して嘘ではない。だから僕は、兎鯨チコの告白を了承しようとした。結局彼女は兎鯨チコに化けている無表情で、付き合う事にはならなかったわけなのだけど。結果としてそれは良かったのかもしれない。
今になってようやく気付いたからだ。それはとても非道で、最低なことだという事に。特に、嘘ではなかったという事が。本心からそう思っていたという事が。
僕は信じられなかった。
☆☆☆
目が覚めたとき、僕は猫によって自宅に運び込まれていた。あいつがどんな説明をしたのかは知らないが、今日の夕飯に赤飯が出された状況だけを見れば、僕にとってあまり良い説明ではなかったようだ。
とりあえずそれをたいらげ、早々に自室へと戻る。そして机に向き合って、椅子にもたれて考える。
(柊奏音……いったい誰なんだ…)
と、机の上に置かれた鞄の中を漁る。あの時作戦概要を聞くことが叶わなかったので、おそらくこの中に資料があるはずだ。
そんな眞弓の予想は正しく、彼は作戦資料を見つけることが出来た。
「柊奏音勧誘作戦……」
呟いて、一枚めくる。二ページ目には彼女の概要が書かれていた。
(中学二年生で十四歳…僕と吹雪と同い年。クラスは……僕とは違うみたいだ。吹奏楽部…フルート奏者…みずがめ座…誕生日は一月二十三日…これって必要な情報か?)
その後も家族構成や出身の小学校、好きな食べ物(餃子らしい)だったり、作戦に意味があるかは分からない様な雑多な情報ばかりが続いた。およそ五ページ。
少ないように思えるかもしれないが、A4用紙を上から下まで全て埋め尽くす行為がどれだけ果てしないか、分かる者は多いのではないだろうか。というかこんな量の情報を、どうやって吹雪は手に入れたんだろう。
そしてやっと、六ページ目、赤字で“重要事項“と書かれた見出しの下にお目当ての情報が書かれていた。
(小学校五年生の頃、高校生にカツアゲされそうになったところを眞弓ニコによって助けられる……こんな情報まで乗ってるのか……そんな事した覚えは……無いとは言えない)
当時の僕は、とある教師に言われた「大丈夫、誰にだって才能はあるよ」という一言のせいで、自分の事をおそらく全能だと思い込んでいた。「なにかに特化した才能が無いってことは、何でもできるって事だろ」という言い分だ。
そのせいで何度か危ない橋を渡ったことがあったため、中学に上がった後の僕は普通に生きることを選んだ。
それまでの自分を捨てたその生き方は、つまりは忘れるという事であり、僕がそのことを覚えていないというのは仕方のないことだった。
(……まあ、だからと言って向き合わないのは不誠実なんだよな)
自分が起こした行動の結果、そうなってしまったのだったら、僕はこの作戦を成功させるとか以前に、彼女の気持ちに素直に向き合ってやるのが筋なのだ。そもそも、忘れていたことが罪なのかもしれない。
少し自分に失望して、溜息。
思っていたより自分が出来ない奴すぎて嫌になる。猫や吹雪におんぶにだっこでいる状態がこれ以上続くのは耐えられない。だから自分で決めて、行動してみせる―――なんて、それで結果的に彼女達の意に反した行動を取ってしまったら元も子もない。安定のためには、ちゃんと指示に従った方が良いのだ。
そして引き続き重要事項に目を通していると、一つの単語が目に入る。
(……“異常頻発体質”………?)
聞き慣れない単語に首を傾げるも、そのすぐ下の行にそれに関する説明が添付されていた。さすがは吹雪だ。
(えっと…“文字通り異常を頻発してしまう体質であり、それは再修正による再起動をもってしても修正不可能”………)
あの日、鬼木羅木と対峙した日に、彼によって殺された妹が家に帰ったらケロっとしていた様子を思い出す。あまり、思い出したくない事だが。
引き続きその下の文章に注目する。
(“異常の発生は、大抵が感情に起因するものであるため、情動的な人柄だという事が推測できる。実際事実である”………なるほど、つまりは僕の得意じゃない人種ってことか)
得意ではないというだけで、嫌いというわけではない。会ってもいないのにバイアスで評価なんて僕はしない。しないけれど……少し嫌な予感がした。
またページをめくる。そのページの見出しには“作戦概要”と書かれている。これまた長い文章だけど、それをほとんど読んだ時、
「………なっ…!」
と、思わず声を漏らしてしまった。そこに書かれていたのは、僕の考えていたことと真逆のことで、絶対にやってはいけない事だった。




