一話② 日常の終わり。というか変わり
「ああなるほど。つまりお前がさっき外国人みてーな美人とニケツしてたのはそう言うわけだったんだな」
「そうなんだ。あまりに運命的な出会いだったから、僕のクラスに来ると思ってたんだけどね…」
先ほどのショートホームルームで、隣の四組に転校生がやって来たとの知らせがあった。
僕は「まあそうですよね」なんて思いながら、教室の天井を仰ぎ見ていた。そんな僕に声を掛けてきたのが、雉宮だった。
「お前は知らなかったのか?運命の女神さまってのは、性格が悪いのさ」
「忘れてたんだよ。今朝までは」
「ふうん。お前にしちゃ珍しいな。何かあったのか?」
「……さっき話したよな?」
出会って二年しか経っていない、数少ない友人である雉宮の若年性認知症を少しばかり疑いつつ、一限が始まるまでの時間で眞弓は四組を覗いてみることにした。
しかしそれはもちろん叶わなかった。
平凡な公立中学校に美人転校生が現れたとなれば、一目見たいと思う生徒が何人いるだろうか。三十人か?五十人か?
答えは二百人。
教室から出ようと扉を開ければ、学年を問わず大勢の生徒で廊下は埋め尽くされていた。端から端まで人だらけだ。
「トイレも行けそうにないな…」
行く気はさらさらないが、行きたくなってこの状況だったら絶望ものだろう。
「ちょ…あの…すみま…」
「ん…?」
聞き間違いだろうか。どこからかか細い声が聞こえたような気がした。辺りを見回しても、その声の主は見当たらない。
「聞き間違いか…」
「ち、違います。あの、すみません…」
今度ははっきりと聞こえた。眞弓は視線を下に落とした。そこには、男子の中では小柄な方の眞弓よりも小柄な女子が、今にも泣きそうな顔でこちらをうかがっていた。
「え、あの、なんかした?ぼく」
「いや、違くて…えと、あの…と…」
「と…?」
彼女はスカートを抑えて、声も抑えて呟いた。
「トイレに…行きたくて…」
絶望者がここにいた。
同い年の異性にトイレに行きたいとお願いするなんて、小動物のような見た目に反して度胸がある。教室の中にはほとんど人がおらず、頼める人が僕しかいなかったのだろう。
僕は彼女の手を繋いで、いかにも自分が漏れそうな演技をした。
「すみません!漏れるんで!道を開けてください!」
途端に視線が僕に向けられる。あまりの演技力に、周囲の全員が道を開けてくれた。眞弓は彼女の手を引っ張り、すぐ近くのトイレに走った。
「あ、ありがとうございます…」
彼女はそそくさと女子トイレの中に消えていった。僕も今のうちに行っといた方が良いかなと思い、男子トイレの中に入った。
トイレから出ると、彼女が先に待っていた。僕が出てきたのを見ると、ぴょこぴょことこちらに近づいてきた。ウサギのようだとなんとなく感じた。
「あの、ありがとうございました…眞弓さんですよね…」
「ニコって呼んで。苗字はあんまり好きじゃないから」
眞弓は自分の苗字が女っぽいという理由でいじられたことがあり、それがトラウマになっている。ニコという名前もどっちみち女っぽいから変わらないだろうが、心は少しだけ軽くなるのだとか。
「僕はニコだけど、君は?ごめん、クラスメイトでも名前が覚えられなくて」
「…ちこです。とげいちこ」
(棘苺?)
恥ずかしそうに答える彼女を前に、空耳を修正しながら名前が似ているなと僕は思った。これはもしや運命なのか。
「とげいね…どんな字を書くの?」
「あ、はい…兎と鯨で兎鯨になります…」
「へぇ珍しい。ちこは?」
「カタカナでチコです」
兎鯨チコはそう告げた。僕はまた、名前が似ているなと思った。僕の名前もカタカナでニコだ。まあ名前が似ている程度で「すごい!運命だ!」なんて思えないけど。
僕は自分が来た方を見た。まだ人でごった返している。
「まだ帰れそうにないね」
「いったい何が起きてるんですか…?」
僕は彼女にほんの少し、悪戯をしてみたくなった。
「米騒動って言ってね。米の価格が異様に高騰したせいで皆デモを起こしに行ってるんだよ」
「絶対嘘です」
「本当だよ。社会で習っただろ?丁度今日四組に米の精霊みたいな髪をした生徒が転校してきて、その子に米の価格をもっと下げろって抗議しに行ってるんだよ」
「そんな…ひどいです…米の精霊さんは悪くないのに…」
「ああ、全く許せないよな」
この程度の嘘で騙せてしまうなんて、詐欺業者は彼女を狙えば大儲けできるだろう。そんなことを思いながら、虚言癖持ちのニコと純粋生物のチコは人混みが減るのを待った。
米の妖精を一目だけ見たい者達ばかりだったので、廊下がいつもの状態に戻るのにそこまで時間はかからなかった。
僕と彼女は通れるようになった廊下を歩き、教室へと戻った。
「お前ってモテそうな行動は出来るくせに、全然モテないよな」
「何言ってんだ雉宮」
僕は溜息を吐いて自分の席に戻った。