七話④ 非日常の始まり
僕はとりあえず、虹崎に全て打ち明けた。妹が殺されたこと。その妹を守るために猫が戦ってくれたこと。僕が異常をきたしたこと。何から何まで、包み隠さず。
そうして話していると、なんだか心が落ち着いてきた。
「ふううううん…」
腕を組んでアヒル口をしている彼女は、先程まであの二人を相手取っていた戦士とは思えないが。
「ま、とりあえずそうだね……その、猫?って子は正義のために戦ったから見逃してあげるとして、鬼木羅木君かなあ、問題は」
「問題?」
僕は頸を傾げた。
「いやね、こうも思想がやばばになっちゃってると、一回再修正の本部に連れてって、ちょおっとした処置を施さないといけなくなるんだよねぇ」
「処置……なんだか物騒な言い方…」
虹崎は僕の言葉を人差し指で遮った。
「そりゃ物騒だよっ!なんたって、今回は“再修正”じゃなくて“再起動”する必要が出てきちゃったんだから!」
「再…起動…?」
聞いたことのある単語だけど、きっと僕が考えている物とは全く別の物だろう。そしてその予想は間違いでなかった。
虹崎は答えた。
「そ、再起動。肉体や精神の状態を全て“元の形”に戻してあげるの」
肉体を元の形に戻す。それを聞いて、僕はもしかしてと思い、まだ木に縛り付けられているままの妹の方を指差した。
「じゃ、じゃああの、あそこで殺された僕の妹も元通りに出来るってこと!?」
虹崎は目の横でピースをした。
「そゆことー。だからもう、気は張らなくていいからねっ」
その一言で、僕は膝から崩れ落ちた。やっと僕はここで安堵することが出来たからだ。
そして、虹崎の登場から少しして、獅子谷が傘をさしながらやって来た。
「ちょ、いつの間に来てたんスか虹崎さん…あたし徒労ってこと?」
「いや?全然。とりあえず獅子谷ちゃんは、そこに縛られてる眞弓君の妹ちゃんを再起動してあげて。美優は美優でこの殺人鬼とお話しないといけないからさっ」
虹崎は鬼木羅木の手を後ろで拘束しながら言った。片手でのそれだけど、きっと普通の手錠よりも強固なものだろうとなんとなく思う。
獅子谷は「了解でーす」と返し、僕の妹の肢体を「あちゃー」とか「あらあらあらら」とか言いながら袋に詰め始めた。
「もう、終わった?」
と、唐突に隣で声がした。首だけを動かして見ると、そこには電話で呼んでおいた吹雪が僕に傘を差しながら立っていた。
「あ、うん。ありがと―――」
と、僕の声を遮るように、彼女は僕の頭に手を置いた。そしてそのまま、手を横に縦に動かす。唐突な行動に、もちろん僕は取り乱す。
「え、何!?急に何!?」
「………」
問いかけには答えず、彼女は僕に鞄から出した折り畳み傘を渡して、気絶してしまっている猫の下に駆け寄った。
「なんなんだ、急に……」
彼女なりの「お疲れ様」の表現なのか。猫の頭は僕より長い時間撫でている。
そんな様子を見ていた虹崎は、僕の肩を叩いた。
「じゃ、美優はこの鬼木羅木君を連れて行くから、また学校でねっ」
「あ、うん」
虹崎はそう言うと獅子谷に手を振り、鬼木羅木を拘束したままこの場を後にした。そしてこの場には僕と猫と、猫の事を撫でる吹雪と、妹を袋に詰めている獅子谷の四人が残された。
まだ雨は降り続けている。
「あ、あの、眞弓君…?」
獅子谷が声を掛けてきた。何事かと見ると、そこには先ほどまで猫の頭を撫でていた吹雪が、獅子谷の頭を撫でているではないか。
「君のお連れさんさ…なんであたしを撫でてるんスか?」
「えぇ…僕に言われても……」
吹雪は再修正の事を恨んでいると思っていたので、こんな行為に及ぶのは意外でしかなかった。まあ「一緒に戦ったから」とかなのだろうか。だとしたら単純だと思うけど。
そして吹雪は、この場にいる全員の頭を撫でたと思えば、僕に向けて言った。
「 」
雨で掻き消されて全く聞こえなかったけれど、口の動きでなんとなく何を言っているのかは分かった。ただ、なぜそんなことを言ったのかは分からない。
僕が行動しようかどうか迷っているその時、水がパシャパシャと跳ねる音が聞こえた。その音がした方を振り返る。
「……なっ…」
そこには、絶対にこの場にいるわけがない人物がいた。レインコートに身を包んだ彼女は、それでも誰か判別できる髪の毛をフードの中から覗かせた。
彼女はこちらに手を振りながら、駆け寄ってくる。
「おーい!眞弓君!獅子谷ちゃん!」
虹崎美優は、雨の中でも明るく笑っていた。僕達はもちろん、笑う事なんてできなかったけれど。
☆☆☆
雨の中、林の中を二人の男女は歩いていた。一人は鬼木羅木。もう一人は―――
「………おい、もっと別な方法があったんじゃねェか?」
「いや、これが最善だったからさぁ。人を騙すならまず味方からって、馬鹿の一つ覚えみたいに皆言うでしょ?」
彼女は笑う。彼は溜息を吐く。すでに鬼木羅木の両手の拘束は解かれているが、猫や彼女から受けたダメージのせいで足取りはおぼつかない。
「…だからといって、俺ン事をぼこし過ぎなんだ。もっと相手の体を労わってくれねぇとだな…」
「…仕方ないなぁ」
彼女は鬼木羅木の肩に腕を回した。
「これで少しは楽になるのかぁ?」
「……ま、そーいうことじゃねーけど、ありがとな」
鬼木羅木はそう吐き捨てて、乾いた笑いを見せた。そんな二人を、追跡する者がいた。
「おい、鬼木羅木と虹崎」
眞弓ニコは、あの場に落ちていたナイフの内の一つを携えて、二人の前に現れた。
「おいおい眞弓君、奇襲するなら前に出たらだめじゃねェか」
錆びついたナイフが肉を断とうとするような、明らかに無理をしているうめき声にも近しい声を彼は張り上げる。
それに僕は淡々と言う。
「奇襲なんてする気ない。でも一つ聞きたいことがある」
鬼木羅木はハッと強がった笑いを見せた。
「予想はつくぜェ?俺に今肩を貸してる、虹崎の姿をした何者かの正体を知りたいってところだろ?」
「違うよ。もうそっちは予想ついてるんだ。ずっとおかしいと思ってたからさ。今聞きたいのは一つだけだよ」
僕は思った。これはなんて退屈で、平凡な問いかけなんだろうと。
そして言った。
「どうして鬼木羅木はこんなことをしたんだ?」
犯人に聞く質問でこれを欠くことは基本無い。動機を知って僕が納得できるかどうかは分からないが、動機を知らなければずっと僕の心の中はもやもやしたままになってしまう。
だからこそのこの質問なわけなのだが、まるで彼は想定外だとでも言いたげに目を丸くした。
そして、静かに笑い始めた。
「ク……ハハ…そんな事かよ!そんな事を聞くのかよ!お前ってやつはそんなつまらねェ奴だったのかよ!ぜってぇ答えてやんねェわ!」
「じゃあ私が答えるかぁ」
やれやれといった風に、彼女は頭の後ろを掻いた。
「吹雪から聞かされていなかったかは知らないけど、再修正に対抗するには戦力が欲しい。だから異常を起こして、それを経験した人を集めたい。私達は急進派でねぇ、吹雪とは違ってこういう破壊工作を通じて仲間集めをしてるんだよ。だから君の妹を殺しちゃったんだぁ」
虹崎の顔で、虹崎の声で、ニヤニヤしながら言う彼女に、僕はなんだか腹が立った。
「…それじゃあ仲間になるわけないだろ…」
「いやいやいやニコ君、君は他のグループを知ってたからそんな事言えるんだよぉ?そんな大口叩けるんだよぉ?この世界に不満を持ってる人は少なくないから、そんな人たちにこそ、私達は手を貸して、一緒にこの世界をぶち壊そうとしているんだよ。君はそういう非日常への仲介者と会うのが初めてじゃなかったから、違った思想を持つ私達に抵抗感があるだけで、君もきっと吹雪たちと会う前に私達と出会ってたら、今頃一緒にこいつに肩を貸してる頃だったと思うよぉ?」
僕はそんな譫言を言われて、馬鹿真面目にそんな可能性を想像してみた。もちろんうまく想像は出来ない。
「…まあ、言い分は分かったよ。有り得ないし、理解できないけど」
「もう敵同士だからね。しなくて結構」
あきらめたように言い放ち、そして僕を睨みつけた。
「でなんだけど、君はそんな、敵と人数不利のある状況に自ら足を運んで一体どういう領分なのかな?もしかしてそんなナイフ一本で勝てるとでも思ってるのぉ?」
僕はそんな敵意むき出しな彼女に大して溜息を吐いた。
「…別に僕達は敵ってわけでもないだろ。僕は再修正と仲良くはしてるけど、結社に一応所属してるからさ―――」
「ハッ甘ぇな。甘すぎる。気持ちワリィよ、お前。思い出したぜ、眞弓君。俺はそんな甘ちゃんな、お前みてェなボケ野郎の事が糞よりも嫌いだってことをよ!」
鬼木羅木も僕の事をぎろりと睨んだ。もしかしたら刺されるかもと思い、僕は少しだけナイフを強く握った。
そんな僕の様子を見て、鬼木羅木はまた笑った。
「クッ…クハッ!冗談だよ眞弓くうん!なァにそんな身構えちゃってんの?別に今の状態でもお前の事なんか簡単に殺せるけどよ、ちょっとムカついたからと言って、俺がそんな命令に無いことなんてしねェから!」
鬼木羅木は笑い飛ばすように言ったけれど、つまりはそれは「命令があればお前を殺す」と言っているようなものじゃないか。
僕はそんな発言に対し、さらに強くナイフを握った。が、なんだか心の中で「もういいか」と思って、やっぱり力を緩めた。
「…僕はただ、聞きたいことを聞いただけだから。もう行っていいよ」
彼女と鬼木羅木はぽかんと口を開けた。鬼木羅木はなんだか呆れているようにも見えた。
「えぇ?私達を殺しに来たわけじゃないのぉ?」
「…誰もそんな事望んでないし、期待もしてないよ。僕には」
はき捨てる僕に、彼は怪訝な顔をする。
「ほんとにそーかねぇ?人を殺すには一振りのナイフだけで充分なんだぜ?」
と、たった今手から生み出したナイフをちらつかせながら言う。僕はそんな様子に、もうちっとも怖さなんて感じなかった。
僕は溜息も吐かなかった。
「あまり引き留めても悪いから、ほら早く行きなよ」
催促するように眞弓は言う。それに彼女は「じゃあさ」と話し始めた。
「最後に一つだけ質問なんだけどさぁ、ニコ君」
彼女は相変わらず、いやらしい笑顔をその顔に張り付けて言った。
「私達の事、嫌いじゃないのぉ?」
彼女の口から出たその質問。それは僕には全く予想できない物だった。どうしてそんな質問をしたのか、どういう心持でそんなことを言ったのか、彼女が一体何を考えているのか、全てが全く分からなかった。
だからとりあえず、僕は本心を言う事にした。
「嫌いかどうか……もちろん鬼木羅木が奈央ちゃんを殺した時は、こいつの事を殺してやるってくらい恨んだけど、なんか今はそうでもないんだよ。再起動すれば元に戻るって聞いて安心したからかもしれない……」
そこまで言って僕は「いや、」と台詞を訂正した。
「多分、君達が何をしても僕は嫌いにならなかったのかもしれないや。恨みはするけど、嫌いにはならないっていう」
鬼木羅木と彼女は眉をひそめた。
「はぁ?お前マジで意味わかんねェな」
「恨みはするよ?恨みはするけど、でも嫌いにはならない。今の状況でいつまでも僕に刃を突き刺さない鬼木羅木も、獅子谷に僕の妹を助けるように指示を出した君も」
二人はその言葉に目を逸らした。その行動が何を意図しているかは、鈍感な僕でもかなりわかりやすいことだった。
僕は彼らに背を向けた。
「じゃあ二人とも。元気でね」
そんな台詞を吐いて、僕は歩き出した。
そんな僕の背中に、彼女は声をかける。
「一つだけ教えてあげるよ、ニコくぅん」
僕は立ち止まる。
おそらくニヤニヤしているのだろうと予想できるような声色で、彼女は言葉を続けた。
「私は兎鯨チコじゃあない。私は皆には無表情と呼ばれてる。そこのところ、間違えないようにねぇ」
そう言って、無表情と鬼木羅木は林を歩いて去って行った。眞弓はその足音だけ聞いた後、吹雪たちが待っている場所へと帰ることに決めた。




