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この世界に異常が発生しました!  作者: 蓮根三久
一章 日常論者の非日常の始まり
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五話③ ガチで醜くて汚い勝負


 家族には、友人の猫を数日預かることになったと説明した。奈央は大喜びしていたが、母の方は溜息を吐いていた。


「そういうのは事前に言っといてくれない!?」


 と叱りながらも、仕事終わりの服装のままコンビニまで猫用のご飯を買いに行っていた。僕の家庭は猫も杓子も、猫好きなのだ。


「うおでっか!でぶ!この猫、家で飼うの!?」

「飼わないよ。友達が旅行に行ってる間、預かることになったって…これさっきも言ったよね?」

「わー!すげ!」


 奈央ちゃんはいつも通り、僕の言葉には聞き耳を立てなかった。猫は「いや、誰がデブだよクソ……」なんて悪態を吐きながら、奈央ちゃんの腕の中に包まれて大人しくしている。


 一般的な女子中学生並(僕が勘違いしてしまうくらいには)の大きさの猫なのだから、一般人にはそれはもうデカくてデブい猫に見えているのだろう。


 そんな猫を抱えて持てる奈央ちゃんの腕の筋力っていうのは、いやはや末恐ろしいものがある。感心を通り越して恐怖である。


「奈央ちゃん、そいつとしばらくテレビでも本でも見ていてくれ。僕は一旦自分の部屋に戻るからさ」

「了解!」


 奈央ちゃんはビシッと敬礼した。僕はそんな妹の姿と、妹に弄ばれている猫の姿を見ながら、リビングを後にした。


 その時丁度、玄関の扉が開かれた。


「ただいま~」


 と帰って来たのは母で、両手には大きく膨らんだレジ袋を提げている。


「おかえり。そんなに買う物あった?」

「いやいやいや、これから飼うんでしょ?だったらご飯とか、猫砂とか、諸々必要になってくるじゃない?」

「さっきも言ったけど飼わないから。なんで僕の話は聞いてくれないんだよ」


 溜息……を吐く程の事でもない。母や妹が僕の話を聞かないのは日常茶飯事である。


 ところで僕は、母の発言の中で聞き捨てならない項目があった。


「猫砂…?」


 そう。一般的な飼い猫が用を足すために用いられる砂である。母の持つ袋の中をよく見ると、砂を入れるための入れ物的なものもある。


「猫砂って…いるかな?」

「え?いるに決まってるでしょうが。猫飼ったことないの?」


 無いが。ていうかそれは聞かなくても分かるだろ。


「それ、どこに設置するの?」

「うーん。リビングにしようか思ったんだけど、ご飯を食べるところでそれはどうかと思ってね。あんたの部屋にでも設置しようかと思ってるわ」


「僕の部屋に!?猫のトイレを!?」

「え、嫌なの?どうせ空間は有り余ってるじゃない」


 そんな理由で嫌がってるわけじゃない。


「あんたが勝手に借りてきたのよ?もちろんあんたがそういう面倒は見てあげるべきじゃないかしら?」

「ぐう」


 無念にも反論は思いつかなかった。さて、どうすればいいのだろう。


(ま、結局猫がなんとかするんだろ)


 僕はそんな投げやりに締め、母から猫砂と猫トイレを受け取った。


 階段を上がってすぐにある扉を開けると、そこは僕の部屋だ。机と椅子と、ちゃぶ台とベッドと本棚くらいしか調度が無い、整頓された部屋。いかにも一般的な部屋って感じだ。僕らしい。


 部屋の扉のすぐそばに、猫用トイレを設置した。側に置いておいた猫砂の袋を破って、中身をその中にぶちまける。その瞬間に、かつて猫を飼っている友人の家で嗅いだことのある匂いがした。


(ああ、この砂の匂いだったんだな)


 そんなことを、ぽつりと思った。そんな僕のことを、じっと見つめる者がいた。


 僕は開いたままの扉から廊下を見た。


「な、猫!居たんだったら声かけろよな」

「………」


 彼女は何も言わなかった。


「なんで黙ってるんだよ」


 そこで僕は気付いた。僕は今、自分の部屋に猫用トイレを設置していたという事に。彼女の視線はひどく冷徹なものだという事に。


「あ、ち、違うよ?これは母さんに言われたからやってることであって、決して僕が、進んでお前のトイレをここに設置することによって、母や妹から見て合法的に、あわよくばお花を摘んでいるところを眺めてやろうとか、そんなことを考えているわけじゃないからな!」


「………」


 猫は相変わらず喋らなかった。視線は相変わらず冷たかった。確かに今の発言を振り返るとなんだかわざとらしいように思えなくも無いけど。だからといってそんな、朝から公園で酒を煽っている無職を見るような目で見るのはやめてほしい。


 ドタドタドタと、元気に階段を上がってくる音が聞こえる。


「猫、逃げるなぁ!」


 そう言って猫の胴に腕を回す奈央ちゃん。


「奈央ちゃん、そんなことしたら猫がかわいそうじゃないか?」

「ところでこの子の名前何?」


 奈央ちゃんの耳は、どうしてこうも僕の言葉を受け付けないのだろうか。本当に一回くらい殴っても大丈夫かな。


「名前って言っても…猫は猫だからな…」

「じゃあクロとか!」

「絶対にダメだ。安直すぎ」


 体毛が黒いからと言って、クロだなんて名前は付けてはいけない。そう、出産のときの差し入れに好物のメロンが二個あったから、なんて意味の分からない理由で子供の名前をニコにしてはいけないのと同じように(気に入ってるから良いけど。)


「お前は名前に関しては人一倍こだわりがあるにゃあ、ニコ。別ににゃあはなんでも構わんにゃよ。イッコでもサンコでもヨンコでも」


「その決め方なら、じゃあワンコでもいいのか?」


「だめに決まってるにゃろ」


 イッコもワンコも変わらないのに、猫は自分が犬と呼ばれることに嫌悪感があるらしい。

 すると奈央は言った。


「ねえ、いま、猫としゃべってた?」

「え?」


 そうだ、しまった。猫は奈央ちゃんには猫として見えているという事をすっかり忘れていた。だがしかし、案ずる事は無い。所詮は小学三年生なのだから。


「お兄ちゃんはね、こいつとは会話が成立するんだよ。名前はワンコが良いってさ」

「成立してねーにゃろ」


 猫はちゃんとツッコんだ。この家に、僕の言葉をちゃんと受け止めてくれる人がいるのは、かなりうれしいことではあった。


「ふーん」


 と奈央は興味が無さそうにした。


「ま、ニーちゃんの譫言はいつも通りだし、今はまだ騙されといてやるよ!」


 奈央ちゃんはそう言い放ち、階段を駆け下りて行った。


「………」


 僕が実の妹に、たかが小学三年生と侮っていた相手に完全に見抜かれていたという事実は、確かに衝撃はあれど、そこまでプライドは傷つけられなかった。傷つけられるようなプライドなど元から持ち合わせていない。


「案外、馬鹿そうに見えて察しが良い妹にゃなあ」

「僕と似てるだろ?」

「お前と違ってにゃ」


 つらい物言いをしてくれる猫だったが、僕はこういう言い合いが、日常が、嫌いではなかった。



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