五話② ガチで醜くて汚い勝負
「お前ってやつは本当にどうしようもにゃい程バカちんなんだからにゃあ…」
猫は僕の横を歩きながら―――実際には、横にある家の塀の上を四足で歩きながら言った。
僕を“奴”から守るための護衛としてこうして一緒にいるわけだが、彼女は授業中も放課後も、静かに後をついて来ていたらしい。そのため、再修正こと虹崎と僕が、旧校舎の一階で密談していたことの内容は全て把握していた。
「というか猫、結局“奴”ってのは鬼木羅木で合ってるのか?」
「そうだにゃ。ここまで来て鬼木羅木じゃなくて、例えばほら、覚えているかにゃ?兎鯨チコ。それが“奴”だ、とかいうミスリードはしないにゃ」
兎鯨チコ。はて、誰だったっけ。少なくとも眞弓の記憶にそのような人物はいなかったような。単に忘れているだけなのか。
それは置いておいて。
「じゃあなんで僕にそのことを教えなかったんだ?どうせ今、というかいずれ、必ず明かすことではあったんだろ?」
「そういうノリって言っちゃえばそうなんにゃが、まあ言っても問題ないんにゃよ。鬼木羅木は再修正なんかじゃなく、間違いなく結社寄りの立ち位置なんにゃよ。仲間に手を出そうとする奴なんていないにゃろ?ま、あいつがどうして自分の事を再修正だ、にゃんて言ったかまでは、にゃあには分からんが」
僕にもさっぱり分からない。虹崎が結局曖昧な物言いをしてくれたがために、鬼木羅木という存在の意味不明さが増してしまったいたけれど、猫がこうして言ってくれたので、なんだか安心した。
あいつの言葉を信用して、真っ先に虹崎に聞きに行ったのが間違いだった。
「結社寄りっていう事はつまり、結社ではないってことか?だったらあいつは何なんだ?」
「結社自体、盤伝中やその周辺の小さな団体にゃ。鬼木羅木はまた、にゃあ達とは違う存在っていうか……」
猫は立ち止まり、塀から飛び降りた。
「詳しいことは吹雪に聞くにゃ。にゃあは別に、鬼木羅木っていう存在がいるってことは知ってるけど、それ以上は何も知らないにゃ」
毎回重要なことを知ってる風で知らない奴だ。僕はもしかして弄ばれているのか。狐ではなく、猫に化かされているのか。それこそ彼女は化け猫と呼ぶにふさわしいけれど。
無礼なことを思いながらも、僕は質問を続けた。
「吹雪は何でも知ってるのか?」
「何でも知ってる奴なんかいるわけ無いのにゃ。どれだけ馬鹿なんにゃ?」
それは確かに僕が悪い。聞くまでも無いことだった。
「それと、これは吹雪が言ってた事なんだけど、一応言っておこうかと思ってにゃ…」
猫は僕の目の前で、くるりんと一回転をした。
「ニコと鬼木羅木は、絶対に相容れない。ってにゃ」
「……」
そんなこと、あいつと言葉を交わした時に理解している。あいつも言っていた。
『俺と手前ェは限りなく違う。育ちも思想も何もかもだ。だから会おうなんて思ってなかったが、まあこれも運命だな』
言うまでも無く、思わせぶりな、いかにも考察してくださいって感じの台詞だ。もちろんあいつにこれを言われたその夜は、気分が最悪で頭もまわらなかったけど、土日は考えるのに十分すぎる時間があった。
いつの間にか、猫は再び塀を歩き始めた。僕も歩みを再開した。
「吹雪が、鬼木羅木と何かしら関わりがあるっていうのは分かる。で、その吹雪が僕の事を誰かに口外するって可能性はあるのか?」
猫は僕の事を流し目で見た。
「まあ、無いわけではないにゃ。この世は0と1で構成されてるにゃけど、確率に0っていうのは存在しないからにゃ…」
つまりはとてつもなく低いという事だ。だがしかし、僕が新メンバーとして結社に入ったってことは、猫と吹雪と霧隠先生以外に知る人はいないはず。
(猫、お前なのか?それとも先生?)
猫は、いつも通りの暢気で能天気で、何も考えていなさそうな表情をしている。それでいて哲学のような話をするのだから、哲学的キャットという渾名でもつけてやろうか。哲学的ゾンビのようだからやめておくけれど。
(………哲学的ゾンビ、か)
あの旧校舎三階の角教室で、僕達が全てプログラムで出来ているのだと聞かされた時、真っ先にこの話が浮かんできた。
哲学的ゾンビを簡潔に言えば、見た目も中身も言動も、全て人間のようだが内面の意識を持たない存在である。プログラミングの、コーディングによる結果の存在でしかない僕達は、まさしくこれのようだと思ってしまった。
果たして僕達は本当に今、思考を思考し、思案を思案し、思慮を思慮しているのだろうか。僕はそんなこと、証明できるわけがないから棚の上に放り投げて埃を被せていたわけなのだけど。
「まあ、どうせ全ては日常なんだから」
考えても仕方のないことは仕方がない。無駄は省いたほうが良いものなのだ。
無理くり結論付けた僕に、猫は
「それ、お前の常套句にゃ?」
と一言。
「そうだよ。気に入ってるんだけど、どう?」
「常套句なんて、中二病患者以外考えたことないにゃろうな」
猫は歩きながら言い捨てた。
一方眞弓は立ち止まった。その理由は、猫のその何気ない一言が、思ったより彼の心を抉ってくれたからだ。
ここ数日で、一番精神を傷つけられたのはその瞬間だった。
そうして僕は無事、猫によって家まで送ってもらった。一緒に下校したという言い方でもいいかもしれないが、それだと猫がまるで人の様に思えてしまう。彼女の矜持を守るためにも避けねばならないことだが、いや、それだと猫に送ってもらったもおかしいか。
僕は下校中に猫の散歩を済ませてきた。
これでよし。
どこか見当違いな結論を出しながら、眞弓はベッドに寝転んだ。そしてそのタイミングを見計らったかのように、スマホが着信音を奏で始めた。
液晶を見ると、非通知から。嫌な予感がしたけれど、一応通話のボタンを押してみた。
「……もしもし?」
「もしもし?無事に家には着いた?」
電話の主は、意外にも吹雪だった。どんな顔をしているのか想像に容易い、いつも通りの抑揚のない無機質な声だ。
「ああ、着いたけど、どうして僕の電話番号を知ってるんだ?」
「総当たり」
「へえ、じゃあつまり二百億通りくらいある電話番号の中から、僕の番号を見事に当てたってことなのか」
「まあ、最近の番号だろうからそこまで選択肢は多くなかったけど」
「え、本当なのか!?」
「もちろん嘘。雉宮という生徒に教えてもらった」
明日あいつのことを殴るのは確定として。吹雪と雉宮の間に関わりなんて無さそうなものだが、あいつは容姿端麗な少女に頼まれたことは何でも断れない奴なのだ。
これは別に、醜貌怪異な少女に頼まれたことは全て何もかも断るという事を意味しているわけではなく、ただ単に美人に目が無いというだけだ。
ところで吹雪の台詞は冗談と見分けがつきにくい。僕が純粋すぎる可能性もあるが。
「で、なんで電話なんか掛けてきたんだ?実は総当たりが本当で、偶然つながったって理由だけはやめてくれよ?」
「猫を数日だけ預かっておいて」
その言葉に、僕はぽかんとしてしまった。誰かが見ていたら、とんだアホ面だと笑うくらいに。
「え、それは猫のこと?別の猫じゃなくて?」
「今、少しだけ危険だから。寝込みを襲われる可能性も否定できないから。護衛として」
彼女は僕の質問に答える必要は無いそうだった。こっちはボケの一字一句拾ってやってるというのに少し無礼じゃないのか。
僕はベッドから体を起こした。
「いや吹雪、常識的に考えても見てほしいんだけど、猫と僕は同年代の中学生同士なんだ。いくら他人から見て猫でも、僕からしたら異性の女子。一つ屋根の下なんて信じられないだろ!」
「………勘違いをしているようだから言うけど、私とあなたは同い年。猫は制服を着てるだけで、本当の年齢は分からないの」
「もっとダメじゃねぇか!あ、すみません」
思わず口調が荒くなってしまった。
「もしかして、あの猫に発情するの?」
僕は大声を出した。
「するわけねェ!あ、すみません」
勢い余って立ち上がってしまったので、一旦もう一度ベッドに腰かける。
「別に私が、猫の面倒を見るのが面倒臭くなったからあなたに預けるわけではない」
それを言わなければそんな事、思いもしなかったんだが。というかこれも冗句だろう。もっと分かりやすく言って欲しいのだけど。
さあ、今までの発言をまとめると、まるで彼女がこれまで猫を自宅に泊めていたという事にはなるだろう。
つまりあいつは野良猫ではなく、吹雪の飼い猫だったということだ。
「この電話が終わったら猫に連絡をするから、あなたは玄関を開けて待ってて」
「………」
プツ。
どうやらこの沈黙は肯定と捉えられたようだった。
僕はいつも通り、溜息を吐きながら立ち上がった。
(ま、猫には何かとお世話になってるし。僕が我慢すればいいだけだ)
部屋を出て、階段を下り、リビングを通過し玄関に到着。扉の向こう側には人影がある。いや、猫影か。
僕は扉を開けた。
「よう!世話になるにゃ!」
思ったよりも早い猫の登場に、僕はほんの少しだけ面を食らった。




