四話① 第一次ファミリーレストランの乱
同じ教室にも様々な性格の人がいる。
以前吹雪が言っていたような、臆病で虫も殺せないような小心者だったり、それと真逆で残虐性を持ったサディストだったり、ありとあらゆる面倒ごとに不干渉を決め込む達観者だったり、周囲を楽しませるために、自分が楽しむために珍妙な行動をとる傾奇者だったり。
つまりはそんな、個性が渋滞した世界に眞弓たちはいるわけだ。
AとBで投票を行ったら、全員が片方に寄ることは絶対にない、思考が乱数によって分配され、設定されたこの世界。
そんな世界において、果たして眞弓が異常を体験し、結社と接触し、再修正とも接触することが偶然の産物であるかは、かなり怪しいところではある。
元からそういう筋書きの物語だったのかもしれない。そう思い込んでしまえるほどに、彼の人生は相も変わらず日常でしかなかった。
平穏無事、天下泰平、安息安寧。つまりはそんな、安定して落ち着いた日々を送ってしまっているような、そんな気がしていた。
ファミレスでメロンソーダをコーラと割った飲料を飲みながら、ふと空想に耽っていた。
放課後、僕はいつも通り旧校舎に向かおうとしていた。そんな僕の腕をがっしり掴んで、駅前のファミレスまで連れ込んだ人物が居た。一人称が「にゃあ」な彼女は、もはや名前を言わずとも誰かの同定は容易いだろう。
「つまりだにゃ、にゃあがお前の護衛を任されたっちゅうことにゃ。まったく、流石のにゃあも吹雪の命には背けにゃいからにゃ。仕方なく、にゃ」
だからと言って、ファミレスなんかに来る必要はあったのか。なんとなく彼女が来たかっただけだろうことは黙っておいてあげるとして。僕は猫の事が信じられなかった。
彼女は、メロンソーダとコーラ、ウーロン茶、緑茶、紅茶、ジンジャーエールを混ぜて茶色く濁った液体を飲んでいた。どういう神経をしているのか分からないけど、とりあえず、その情景にも目を瞑るとして、僕の身に危険が迫っているのだけは理解できた。
先日、吹雪は「奴に目を付けられないように」と言っていた。その時はなんだか突き放されたように感じたが、こうして猫を護衛に付けてくれるとは、案外仲間思いな所がある。
仲間―――果たして本当に彼女が僕の事をそう思っているかは怪しいところだけど。
そして“奴”というのが一体何者なのか、これは猫も「会ってからのお楽しみにゃ~」なんて言って教えてくれなかった。そのノリは何なんだよ。
店員が、両腕いっぱいに料理を抱えてやって来た。僕はどちらかというと小食な方なので、これを注文したのはすべて猫の方だ。
猫はそれに目をキラキラさせながら、卓上に備え付けられた小物入れからナイフとフォークを取り出した。その長い爪では使うのにかなり苦労しそうなものだが、案外器用に爪の先だけで目の前に置かれたハンバーグを切り分けて口に運んでいた。
「いっやぁ美味いにゃあ!シェフをよべにゃ、シェフを」
「……学校の外でもその口調なの?」
観衆の視線が痛い。さすがにファミレスに猫を持ち込むわけにもいかないので、霧隠先生に頼んで、一旦猫の認識阻害を解いてもらったわけだが、にゃあにゃあ言いながら食事を取る女子中学生というのは目に立つところがある。
「にゃあはいつでもこの口調にゃよ?おかしいところなんて、にゃあんにもないのにゃ」
ファミレスににゃあにゃあ言っている女子中学生がいるというのは、これまたかなりの混沌だが、その程度では異常など発生しなかった。
実際、僕は兎鯨チコと会った時以来、異常なんて全く見かけなくなった。確かに日常に変化はあったけれど、なんだかそれも落ち着いて来た。
猫被り少女と鉄仮面少女とコミュ障女史、虹色少女と獅子少女は、僕の日常の円環の中にすっかり組み込まれてしまっていて、全ては定常の日常へすっかり回帰してしまった。
いや、確かに変わったことと言えば、僕が放課後に一人でいる時間が減ったことだ。必ず結社か再修正のどちらかの集まりに出向き、他愛もない話をして解散する。
ちなみに再修正はいつもは旧校舎一階の、結社のすぐ下の空き教室で集まっているようだったので、これまた運命の女神はなんと趣味の悪い―――いや、良い奴なんだろうか。
この間生徒会室を使ったのは、単に近いからというだけの理由らしい。
吹雪の言う、混沌を起こして異常を生むという業務内容には、まだ何も触れていない。
そんな日常の住民である僕は、きまって今日も溜息をした。
「溜息をしたら幸せがにげていくにゃ」
猫はいつの間にやらハンバーグを平らげていた。
「だったら僕はもうすでに死んでるね」
「いやいや、生きることが別に幸せってわけじゃないにゃろ」
猫はまた、哲学的に話し始めるようだった。そんな知的な人物が飲みそうな物は、この卓上には一つとしてないが。
彼女はぐびぐびとその混沌飲料を飲んだ。
「じゃあ猫、幸せって何なんだ?」
「そんにゃの、にゃあが知るわけないにゃろ。にゃあはただの行方不明扱いの女子中学生にゃ。人の幸せにゃんて、にゃあが知るこっちゃないのにゃ」
猫は腕を頭の後ろに組んで、伸びをしながら言った。
机の上にあったハンバーグは、いつの間にやらその姿を消していた。
「じゃあ、猫にとっての幸せは?」
「そりゃ、自由にいっぱい食っていっぱい寝る事にゃ。にゃあは猫ににゃりたいと思って猫ににゃった。にゃあはもう十分満たされてるにゃよ。これ以上望むのは、強欲すぎるにゃよ」
「それこそ」と、猫「お前はかなぁり強欲にゃ奴にゃ」
唐突に向いて来た刃に、僕は少しだけ不意を突かれた感じだった。
「え、そうかな?」
「そうにゃそうにゃ。にゃんせ、ありふれた、変わることのない日常を手放してまで今の生活を手にしたのに、まだまだにゃんだか満たされてにゃいじゃにゃいか」
見透かされていた。彼女のその目には、どこまでも眞弓という存在が見透かされているようで、奇妙で、しかし愉快だった。
「いや、違うにゃ。いやいや違うにゃ。あーにゃるほど。ニコ、お前はどうしようもにゃい程に強欲にゃった。前言を撤回させてもらうにゃ。」
猫は、ステーキを細かく切り分けた。数えてみると、三十六等分されている。
「お前は日常を手放してにゃい。それでも非日常を望んでいる。違うかにゃ?」
「………」
本当に、どこまでも、この猫は僕の心を理解していた。動物の方が人より人の心が分かるというけど、それなのだろうか。
猫は不敵に笑って続けた。
「ま、お前のその顔を見りゃ、一目瞭然だにゃ。もう少しポーカーフェイスっていうのを身につけた方が良いにゃ。でにゃいと、再修正にゃあ見抜かれちまうにゃよ?」
「…僕の心根をここまで的確に言い表してくれたのはお前だけだよ、猫」
そう口ずさんで、ふと気づく。
「そう言えば、猫って名前なんなんだ?いつまでも猫とかお前とか呼ぶわけにはいかないだろ?」
彼女は三十六等分されたステーキの、十六個の片を口に運んだ。
「本名にゃんて、もうとっくの昔に捨てたにゃ。にゃあがにゃあに成った時、にゃあはただの野良猫ににゃったから。野良猫に名前にゃんてのはある方がおかしいにゃろ?」
確かにそうかもしれない。思えば吹雪も猫の事は猫と呼んでいた。ならばそれでいいのかもと思える。
「これまで通り、にゃあのことは猫でもお前でも好きに呼ぶがいいにゃ。にゃあもニコの、お前の事は好きによぶからにゃ」
猫はそう言って、残った二十個のステーキ片を平らげた。僕はドリンクバー以外で何かを注文したわけではないので、取っても怒られ無さそうな大盛ポテトを一本だけ食べた。
やがて猫は、卓に広がっていた大量の食糧をたいらげ、ついでに混沌飲料を追加で三杯ほど飲み干し、満足そうに膨れたお腹をさすっていた。
「いやー食ったにゃ。腹いっぱいにゃ」
外はもうすっかり陽が落ちて、道行く人にスーツ姿の人が増えてきた。スマホを確認すると、時刻は十八時五分だった。
「そろそろ帰るか。猫、財布ある?」
言われて、猫は学生鞄の中を探った。しかし、しばらくすると、その探る手は止まった。
「………え?どうしたの?」
「い、いやあ。考えてみれば、にゃあは猫なんだし、支払いなんてしにゃくてもいいかにゃ………にゃんて」
「え」
僕の口からでた嗚咽をかき消すように、彼女は声を張り上げた。
「いやあ!おごってくれるにゃんて、ニコは優しいにゃ!」
「まだ何も言ってないんだけど?」
「まあまあ、これも護衛料ってことで、今回は見逃してくれにゃい…?また今度返すから…」
僕は溜息を吐いた。




